修行か修業か
テーマ:曳山・歌舞伎
2013/04/18 09:04
今年の曳山祭には地元の三役修業塾から5名(太夫2名、三味線3名)の塾生が出場いたしました。3年前も同じ顔ぶれだったのですが、毎年こんなに大勢出場できるわけではありませんで、昨年は2名、一昨年は1名(ともに三味線)のみ。
各町が発行するパンフレットには、わざわざ三役修業塾生であることが明示されておりまして、今年はその文字があちこちに踊っておりましたが、残念ながらどの町のものも「三役修行塾」と誤記されていました。
どうやら情報提供元のデータが間違っていたらしく、毎年出場されており三役塾の象徴とでも言うべき存在の賀祝さん(翁山・三味線)のところにわざわざお詫びに来られたそうです。
で、賀祝さんが私に「修行と修業ではどう違うんやいな?修行ではあかんのか?」と聞かれますので、「修行って言うと、滝に打たれたり、インドの山奥で、っていう感じやからちょっと違うんちゃうん」と答えておきましたが、確かにどう違うんかと言われると明確には答えられません。
祭が終わって改めて大辞泉で調べてみますと、「修業」は「学術・技芸などを学んで身につけること。また、その分野で規定される課程または年限を済ますこと」とあり、一方「修行」にも一般にイメージする悟りをめざして仏道に努めること以外にも「学問や技芸を磨くため、努力して学ぶこと」の意味もあるようです。
また語感の辞典には、「仏教に密着していなくても、『武者修行』あたりまでは人格陶冶の側面を重く見て『修行』を用いるが、技術の習得が中心になるにつれて『修業』と書く傾向が強くなる」とあります。さらに「『修業』を『しゅうぎょう』と読むと、学業を修める意になる」、と書かれておりました。
これまで「修業」はもっぱら「しゅうぎょう」と読むものと私自身は思っていたのですが、大辞泉と語感の辞典で調べたことから総合的に判断すると、「修業塾」と書いて「しゅぎょうじゅく」と読むのが最も適切ということになるのでしょうか。
でも、完成も頂上もない義太夫の世界。まだまだ修行が足りません。
各町が発行するパンフレットには、わざわざ三役修業塾生であることが明示されておりまして、今年はその文字があちこちに踊っておりましたが、残念ながらどの町のものも「三役修行塾」と誤記されていました。
どうやら情報提供元のデータが間違っていたらしく、毎年出場されており三役塾の象徴とでも言うべき存在の賀祝さん(翁山・三味線)のところにわざわざお詫びに来られたそうです。
で、賀祝さんが私に「修行と修業ではどう違うんやいな?修行ではあかんのか?」と聞かれますので、「修行って言うと、滝に打たれたり、インドの山奥で、っていう感じやからちょっと違うんちゃうん」と答えておきましたが、確かにどう違うんかと言われると明確には答えられません。
祭が終わって改めて大辞泉で調べてみますと、「修業」は「学術・技芸などを学んで身につけること。また、その分野で規定される課程または年限を済ますこと」とあり、一方「修行」にも一般にイメージする悟りをめざして仏道に努めること以外にも「学問や技芸を磨くため、努力して学ぶこと」の意味もあるようです。
また語感の辞典には、「仏教に密着していなくても、『武者修行』あたりまでは人格陶冶の側面を重く見て『修行』を用いるが、技術の習得が中心になるにつれて『修業』と書く傾向が強くなる」とあります。さらに「『修業』を『しゅうぎょう』と読むと、学業を修める意になる」、と書かれておりました。
これまで「修業」はもっぱら「しゅうぎょう」と読むものと私自身は思っていたのですが、大辞泉と語感の辞典で調べたことから総合的に判断すると、「修業塾」と書いて「しゅぎょうじゅく」と読むのが最も適切ということになるのでしょうか。
でも、完成も頂上もない義太夫の世界。まだまだ修行が足りません。