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十六年はひと昔

テーマ:曳山・歌舞伎
「十六年はひと昔、夢であったよなぁ~」という名セリフで幕切れとなる、歌舞伎「一谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」。今年の曳山祭でわが伊部町翁山はこの芝居を演じることになりました。不肖私儀、3年前に引き続き太夫として出場させていただくこととなりました。よろしくお願い申し上げます。

さて、随分昔から歌舞伎に馴染んでいたように思われておりますが、約20年ほど前にこちらに戻ってくるまではそれほど強い関心も無く、ましてや劇場に足を運んで生で歌舞伎を観劇しようなどとは思ったこともありませんでした。

初めて生で大歌舞伎を鑑賞したのは、1998年(平成10年)2月18日のこと。よく覚えてるなぁ、と思われるかもしれませんが、覚えてなかったので、取ってあるダイアリーを順に引っ張り出して、めくって確認して、ようやく探し当てたのです。

長浜専門店会(通称ショップリング)の青年部の旅行で一泊2日で東京に行き、2日目に歌舞伎座に赴き、一幕見といって、通常演じられる3~4程度の演目のうち、一つだけを最後部席から観劇いたしました。確か1500円程度の料金だったと思います。

この時に演じられたのが、ちょうど今年翁山が演じる「熊谷陣屋」、そう十五代片岡仁左衛門襲名公演で、仁左衛門さんが熊谷直実役でした。他の配役は明確に覚えていなかったのですが、調べてみると重(おも)役で現在も存命なのは仁左衛門さん以外は藤の方役の玉三郎さんだけ。

相模の雀右衛門さん、弥陀六の羽左衛門さんも物故者、そして何より義経役がつい先日亡くなられた團十郎さん。それもね、團十郎さんの芸歴を記したサイトがあって、そこを見たら何と2月19日~24日までは「四十肩による初めての休演」と書いてあるではありませんか。

私たちが見たのは2月18日。一日ずれていたら團十郎さんの義経を見られなかったわけですね。初めて見る生の歌舞伎は最上階の最後部、いわゆる大向うからのもので役者の顔もはっきりとは見えませんでしたが、それでも歌舞伎座という本場の何ともいえない独特の雰囲気に気分は大いに高揚したものでした。

この4月にその歌舞伎座は新しく生まれ変わることになりました。この日を楽しみにしていた名優たちが何人もこの世をお去りになり、いささか寂しくはありますが、杮落しの演目の一つとして「熊谷陣屋」が掛かるようです。私たちも負けないように同時期にこの長浜の地で熊谷陣屋を力強く奉納したいと思います。

それにしても、まさに十六年はひと昔ですね~。いや正確に言うと十五年だけど。





浦島太郎

テーマ:よもやま話
先日、石原慎太郎氏は「浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻ってきました」と言って、衆議院予算委員会の質問に立ちましたが、自分が少し離れている間に世間が変わってしまって取り残された状態を「浦島太郎」に例えることがありますね。

幼い時から絵本でお馴染みのこの物語、太郎が竜宮城に行っている間に数百年の月日が経過してしまいます。さて以前に新聞で、この物語は元々は少し内容が違っていたんだということを知りまして、そこで言及されていた「御伽草子」なる書物を覗いてみることにいたしました。

お馴染みの浦島太郎は、いじめられているところを助けてあげた亀の背中に乗って竜宮城に行く、となっておりますが、亀の背中に乗って、しかも水中潜ってどうやって行くねん?という疑問は幼心にも皆さま湧いたのではないでしょうか。

御伽草子では、亀を助けるところまでは同じですが、その後ある女性が船に乗ってやってくる。浦島はその船に乗ってこのうら若き美しい女性に付いていくわけですね。男ですもん、これなら話はわかります。

着いた先が竜宮城なんですが、これもとある島に存在するようで海中ではないのです。乙姫という名前のお姫様もそこで出てくるのではなく、先ほどの船でやって来た女性がそれに相当するのでしょう。この女性、実はいじめられていた亀の化身。つまり亀姫さん。

3年ほど楽しく暮らした後、両親のことを思い出し、帰らねばならぬと言う太郎に、亀姫さんが「ほんなら形見にこれを持っていって」と玉手箱を渡されるところは同じ。帰ってみると、時はなんと700年も先に流れている。

蓋を開けて煙が出て、たちどころに老人になるところも同じなのですが、ここで話が終わるのではなく、太郎は何と千年の命を持つ鶴に変身。そしてあの世で亀姫と一緒になるというめでたい物語。さて、浦島慎太郎さんの物語の結末は一体どうなりますことやら。

アルトの声が好き

テーマ:よもやま話
2月は学校訪問もあって、教育委員としての出仕が多いんですが、昨日の午後は浅井文化ホールで教育研究発表会があり、出席してまいりました。

一般的に「9歳の壁」と言われる現象があって、ここで個人差が拡大し落ちこぼれがはっきりしてくるそうです。このことを実際に生徒や教師のアンケートを取りながら実証していくような研究をされており、とても興味深く拝聴いたしました。

講評をされた京都女子大教授の吉永先生は、「子どもの発達段階と学術的な系統の整合性」を今後研究していくと面白いと述べられましたが、確かに「このことはもっと後の学年で教えた方がよい」、逆に「もっと早い段階で教えても良い」と思うことはありますよね。

特に算数で文章題が苦手と感じる子が多いわけですが、これは算数という教科の中だけで考えるよりも、むしろ国語能力の問題ではないか、と私自身は感じましたので、そんなことを休憩時間に吉永先生と雑談で話しておりました。

全国学力調査では福井や秋田の子の成績がいいわけですが、これらの要因は何かと調べてみると、詰まるところ、「当り前のことを当り前にやっている」、すなわち普段の生活習慣や態度がしっかりしているということになるようです。

さて、記念講演は、NPO法人江戸しぐさ名誉会長の越川禮子先生による「子どもが育つ江戸しぐさ」。「江戸しぐさ」とは、江戸の商人のトップの生活信条から生まれる目付き、表情、口のきき方、身のこなし、まあ「センス」という英語が一番しっくりくるようです。

「傘かしげ」「肩引き」「うかつあやまり」「こぶし腰浮かせ」などの身のこなしを例をあげながら説明するなど、とても87歳とは思えない矍鑠とした姿で、実に興味深いお話をいくつかしていただきましたので、おいおいエッセンスを少しづつ紹介できればと思います。

しかし、「約束を守る」「見て解ることはいわない」「自分の領分をわきまえる」「人は肩書きでなく自分で見て見極める」「世辞がいえる」といった「江戸しぐさ」の本質は、結局先の「当り前のことを当り前に」ということに通じるみたいですね。当り前のことが当り前にできなくなった日本人ということか。

個人的に一番面白かったお話は「男は女のアルトの声が好きなんですよ」てこと。「いや、別に低音の女性が好みってことじゃないですよ。カッとなった時は声がソプラノになりますでしょ。要するにヒステリックではないということですよ」と。いや全くその通り!

「江戸小町」と呼ばれる女性たちは、そのあたりのこともわきまえておりましたのよ、オホホ。

総スカン

テーマ:言葉・漢字
先日、スカンジナビア半島についての記事を書きましたら、一部の方を除いて女性からは総スカンを食うような状況ではなかったかと拝察いたしますが、そう言えば、この「総スカン」ていう言葉ってどういう由来なんだろうか、という疑問が生じてまいりました。

もっぱら「スカン」とカタカナで書きますから、もしかしたらスカンジナビア半島と関係あるんやろか?いや、ほれはないやろ。全部スカの総スカ?あるいは、総スカンクになるほど臭いとか?

で、調べますわな、一応。大辞泉を引きましたら、「総好かん」と書いてあります。え、スカンは「好かん」なの?。意味は「全員から嫌われていること」と。

まさか...、と思いネットでも調べてみますと、この「好かん」は関西弁の「好かん」、すなわち「好きではない」=「嫌い」から来ている、と書かれているではありませんか。へぇ~っ!これちょっと意外でした。関西弁の日常語が堂々と大辞書の一角を占めるとは。

全員から嫌われるから「総スカン」。てことは、一部から嫌われるのは「一部スカン」?

これは何やてか?
「ソース缶を食う」。こんなオチは総スカンを食うな。

高月小の大地球儀

テーマ:まちづくり
先日学校訪問した高月小学校。ここはヤンマーの創始者、山岡孫吉氏の故郷でもあることから、氏の功績を道徳教材として取り上げ、子どもたちの郷土愛を育む取り組みがなされようとしていました。

その話をされた時に校長先生が、「実は今日は『大地球儀』についても、是非お話を聞いていただきたいんです」とおっしゃいます。大地球儀?何それ?ですよね。

実は、昭和28年、つまり今から60年前に、ヨーロッパ視察中の山岡孫吉氏から「帰国したら子どもたちに欧州諸国のお話をするから大きな地球儀を用意しておくように」と5万円が送られてきたそうです。世界の広さと距離感について実感を伴った理解をさせるため、という氏の思い入れだったようです。

さて、制作を求められた学校側は、教員一致団結し、廊下幅から割り出した直径2.4mの球形の骨組み、心棒、地図書きなど、業者の協力も得ながら夜を徹して作成したそうです。

高月小HPより)

この地球儀、平成3年度まで使用されていた旧高月小校舎3階に保管されており、経年劣化により保存状態は良くないものの、その存在感は見るものを圧倒し何より山岡孫吉氏や当時の教師の子どもや郷土に対する熱い思いが込められた宝物だと、校長先生はおっしゃるのです。

「これを私は是非、今の校舎に移し、この学校のシンボルとして玄関入口横の空間に設置したいんです」と。そして「もう一つ旧校舎には、同じく山岡氏から寄贈されたYAMAHAのオルガンがあり、これも修理して卒業式などの伴奏に使えるようにしたいんです」と。

大地球儀もオルガンも現在は「ゴミ扱い」になっているそうですが、この春に平方町にオープンする「ヤンマーミュージアム」に展示してはどうなんだろう、と単純に思いまして質問いたしましたところ、「いや、実はそういうことも同社に打診したのですが、いったん寄贈したものを戻していただくわけにはいかないんですと言われまして」と。

は~、そういうもんなんですかねぇ。ま、いずれにしても、高月小のOBだった人たちもこの地球儀のことは覚えている人が沢山お見えとのことですし、寄付なども募りながら、是非実現できるといいなと心から思います。
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