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ふざ県じゃないよ

テーマ:よもやま話
地芝居サミット。とてもいい気持ちで終わったんで今さら言いたくないんだけど、情報化の時代でいずれ誰かが気づいて「おかしいじゃないか」と思うかもしれないから、気づいてしまった私が書くことにいたします。決して事を荒立てるつもりはありません。ただの発散ですので悪しからず。

当サミットは全国の地芝居団体が集結するイベントでして、私が参加した過去数回の大会では「県知事はもちろんのこと」、代議士、県会議員、市会議員さんが軒並み出席され、綿綿と祝辞を述べられる割と政治ショー的側面の強い印象がありました。

今回は県からの予算も頂戴しなかったし、市民主導型でしたので、政治家の方々をお呼びするのは最小限としよう。しかし、全国からお見えになるのだし、少なくとも知名度も人気も高い嘉田知事には主賓としてお越しいただき、全国の皆様への歓迎の祝辞を頂戴いたしたい。それが運営委員会の総意でした。

長浜市を通じて5月には、11月6日(土)の式典主賓として知事出席依頼を出しておりましたが、7月の知事選(嘉田氏再選)を挟んで、確か8月の終わり頃に長浜市を通じて「知事は公務のために行けなくなったので、副知事が代理出席する」という連絡を受けました。

知事の出席はサミットの大きな目玉と考えておりましたので、実はこの時、運営委員は皆一様に少なからずショックを受けまして、私自身心ならずも、運営委員会に出席しこのことを報告した市の職員にお門違いの罵声を浴びせてしまったくらいです。

同時期にアメリカで開かれる「世界湖沼会議」に出席されるのが欠席の理由だという噂がその後流れ、「それならしょうがないか」と諦め、代理でご出席の副知事を主賓とすることで式典計画も進めることといたしました。

ところが、サミットの数日前に今度は「副知事は公務のため出席できなくなり、代理で観光交流局(旧観光振興課)長が出席との連絡。この期に及んでは誰も不満は言わなかったけど、それにしても突然のキャンセルですな。

そして、昨日何気なく嘉田知事の「世界湖沼会議出席の報告」でも見ようかなという気になって滋賀県のHPを開いて、かだ便りという知事の日記を見て唖然。

11月6日(土)  公務のない1日でした(かだ)     だとよ!

決して我々が軽視されたのではなく、恐らく色々な経緯があって結果的にこうなったのだろうとは推察します、私も大人ですから。しかし、のほほんと「公務のない1日でした(かだ)」と書かれた文字を見るのは決して愉快なものではないので、一言唸らせてくれ。

ふざ県じゃないぞ~!!しが県だよ。

濡れ衣

テーマ:曳山・歌舞伎
「濡れ衣」とはご承知の通り「無実の罪。根も葉もない噂」という意味ですが、先日地芝居サミットで米原の壽山組さんが演じられた「本朝廿四孝」という芝居に「濡衣(ぬれぎぬ)」という役名の女性が登場いたします。

この芝居を見ていた孔雀山のけろっぴさんが、「濡れ衣という言葉はこの濡衣という役から来てるんですか?」と質問されました。実はこの芝居、とても筋がわかりづらいんですが、見ている限りでは濡衣さんが、それこそ濡れ衣を着せられている場面はないように思われます。

帰りまして、語源由来辞典で「濡れ衣」を調べてみますと、元々は「雨水や海水に濡れた衣服」という文字通りの意味だったのが、平安時代頃から現代のような意味で使われ始めたようです。

語源は「継母が先妻の娘の美しさを妬み、漁師の濡れた衣を寝ている娘の枕元に置いたため、漁師との関係を誤解した父親が娘を殺してしまったという昔話説」が諸説ある中で最も有力とされているようですが、私的には次のような駄洒落説が気に入りました。

つまり、「無実」という語は「実が無い」と書くことから「みのない」が「蓑無い」となり、雨具として使われる蓑が無いと衣が濡れるため、「無実」を「濡れ衣」と呼ぶようになった、というものです。

そう言えば、先の「本朝廿四孝」には「蓑作(実は武田勝頼)」という役も登場いたします。「濡衣」という役名を登場させることによって、暗に「蓑作」は実は「蓑無い」つまり「蓑作にあらず勝頼」であることを暗示しているのでしょうか。

主役の八重垣姫は、最後には父謙信が家臣に殺せと命じたこの勝頼を助けるために、家の宝蔵から霊狐の守護する諏訪法性の兜を盗み出すわけで、題名の「本朝廿四孝」とは裏腹な親不孝を働くわけですが、元々勝頼を自分の許婚(いいなずけ)に決めたのは父謙信。

「お父さんが許婚と決めた男に尽くして何が悪い。これこそ孝行。とんだ濡れ衣だわ!」と八重垣姫は叫んでいるのかもしれませんね。

晴れ晴れ

テーマ:曳山・歌舞伎
この1週間、いや1ヶ月間、気持ちが高ぶったり、落ち着かなかったり、不安感で眠れなかったり、そんな日々を過ごした人たちが少なからずいらっしゃったのではないかと思います。

第20回全国地芝居サミットin長浜、信じられないような上天気の元、2日間の日程を終了いたしました。3年前から開催の構想を温め、2年前くらいから本当に数多くの人たちのご協力を得ながら準備を進めて参りました。

4年前に埼玉県小鹿野での第17回サミットに一緒に参加したモンテK山君と二人で、言いだしっぺの責任を取って正副運営委員長を務めさせていただきましたが、自分自身、曳山祭は別として、ここまで精力を傾注したイベントは今までにありませんでした。

関わった人の数が多い分、色々な葛藤や軋轢もあったと思います。曳山上での狂言をお願いした孔雀山、翁山の皆さんには、春の祭りでいったん切れた緊張を再び張り戻していただき、米原の壽山さんにも長浜での上演という試みに快くお応えいただきました。

公演部会の主力メンバーとなっていただきました、ゆう歌舞伎の皆さんには随分無理をお願いいたしましたし、三役修業塾生には脚光が当たった分、一人二役三役の過重がかかり、精神的に相当の負担であったと推察されます。(これは自分も含めて)

そして、式典部会として伝承委員会のメンバーが担当してくれたシンポジウムは、綿密な準備が奏功し期待以上の内容でしたし、広報部会が作成してくれたポスター、プログラム、総務の担当したアンケート報告書も関係者から高い評価を受けました。

受付、参加者の宿泊、土産等を担当してくれた接伴部会も、「一体この参加費でどうやってこの内容を?」と参加者を驚かせるようなホスピタリティあふれるサービスを提供してくれました。

若衆会の皆さんが担当してくれた交流会は圧巻でした。連日の太鼓の稽古は歌舞伎のそれに決してひけをとるものでなかったし、交流会のフィナーレを飾った裸参りと練習の成果をいかんなく発揮した太鼓の演奏は全国の地芝居関係者の度肝を抜きました。

そして、各部会の企画をきめ細かくチェックしながら、諸手続きを進めてくれた事務局の皆さん。長浜方式と呼ばれる官民一体運営の成功を久しぶりにかみしめることのできるイベントでした。

天気よければ全て良し。2日間の快晴の天気は偶然であったかもしれませんが、今日まで全力でサミットの準備に取り組んできた関係者に対するご褒美として余りあるものであったように思います。まだ後始末が残っておりますが、ひとまず皆さん本当にお疲れ様でした。


三役に光当たりし晴舞台また引き閉めて陰の精進



脇役ですけど

テーマ:曳山・歌舞伎
以前からちょこちょこ宣伝しておりました、「第20回全国地芝居サミット」。とうとう昨日、第1日目を迎えました。文芸会館にて基調講演、シンポジウム、ゆう歌舞伎公演などを行ない、ロイヤルホテルに場所を移して交流会。

それぞれについて語りだしますときりがありませんし、私自身、これから10時より翁山の子ども歌舞伎の太夫として出場しなければなりませんので、こんなことしてる暇はありませんのや。(と言いながら実は前日に書いてるんですけど)。

さて、今回の地芝居サミットを迎えるにあたって、広報・宣伝のために「のぼり」を作ろうということになったのですが、実は20年近く前に長浜の子ども歌舞伎の「のぼり」が作成されたことがあります。

しかし、最近では一部の商店等で見かけるだけになり、ほとんど利用されていないことに気づきました。こののぼりは長浜商店街連盟が当時長浜に在住しておられた中川佳代子さんにデザインを委託されたものですが、子ども役者の顔を実に「子どもらしく」表現されており、心に訴えかける力があります。
 
私だけでなく、多くの山組関係者もこのデザインに強い愛着を持っている事に気付き、中川さんのご了解も得て、同デザインで再度のぼりを作成し、今回の地芝居サミットで利用することにいたしました。

そして、同じくスタッフ用のハッピのデザインを中川さんにお願いをいたしました。現在は結婚されて高槻市に住んでおられ、ご多忙なこともあり、お互いの思いを一つのデザインに結晶させるのに、何回もやりとりをしたりと時間も費やしましたが、おかげでとても素晴らしいハッピが誕生いたしました。
 
運営委員はもちろん、全国の地芝居関係者からも大変好評をいただきましたが、スタッフ用ハッピということで、地色は出しゃばりすぎない落ち着いた茶色。しかし、背面にデザインされた子ども役者がはっきりと「主張」をしている。

「THE KABUKI PLAYED BY BOYS」という文字がハッピの表面と裏面に配置された2つの円の中に記されておりますが、「長浜」の文字はどこにも出て参りません。しかし、そのことでハッピに洗練されたイメージを与えるとともに、「子ども歌舞伎と言えば長浜なのだ」ということも暗に主張しているように思うのです。

農高なケチャップ

テーマ:よもやま話
昨日、旧湖北町やびわ町方面へ集金に行った帰りに南浜の「みずべの里」にちょっと立ち寄り、
これを発見
POPに「お待たせいたしました」と書いてありましたが、そうずっと探し求めていたんです「農高ケチャップ」。

これねぇ、この通り裏面には
「トマトケチャップ」と書いてありますけど、ちょっと違うんです。そう、謳い文句のように
「ケチャップを超えた美味しさ」なんです。ケチャップというより「ウスターソースのペースト」と表現した方が適切でありましょう。

そう言えば、商品名が知らん間に「トマト長農ソース」とかになってますやん。妻曰く「これ、『中濃』とか『特濃』とかのもじりで『長農』にしたるんやろな」。うむ、そうかもしれぬ。

最初、妻が西中のバザーで買って来て存在を知ったのですが、「ケチャップは甘いしいらんわ」と先入観から私は食べもせず。その後冷蔵庫に入れられたまま、賞味期限を過ぎること1年以上。ある日、食卓にポークソテーが上った時、何故か冷蔵庫の中のそのロデ男ったケチャップが目に入り、何気なくかけてみると、

どうだこれは!まさに熟成された農高いや濃厚なウスターペースト。たまねぎの甘みが利いてます。以来、ポークソテーには、この賞味期限大幅切れの「農高ケチャップ」いや「農高ウスターペースト」が必需品となったのです。

裏面のラベルには「保存料は使用しておりませんので開封後は冷蔵して、お早めにお召し上がり下さい」とありますが、買い求めた2瓶のうち、一つは仰せの通りにいたしましょう。しか~し、もう一方は賞味期限が大幅に切れるまで熟成させますよん。

一瓶200g入りで250円。これはお値打ちでっせ。
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