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娘の卒園

テーマ:よもやま話
昨日はうちの娘の卒園式で、これこのように修了証書と記念品を嬉しそうに持って帰って参りました。

「え~?油甚さん、幼稚園の娘さんがや~ったんですかぁ!?」そんな驚きの声が、パソコン越しに聞こえて参ります。「あれ~、隠し子やろかぁ?隅に置けんわぁ」とかいうあらぬ勘ぐりすら聞こえるようです。

え~、娘と申しましても、「週末の食卓」でおなじみの看板娘(86歳)のことでありまして、実は昨年11月末から、長浜市介護予防事業「運動器の機能向上トレーニング教室」に参加させていただき、週2回灘波の「びわ高齢者福祉センター」に通っていたのです。

母はそこを自ら「幼稚園」と称しており、そこへ行く日をとても楽しみにしておりまして、家で行なう体操の課題を「さあ、幼稚園の宿題しょ~かな!」と言っては、時々さぼったりしながらも、結構頑張ってやっておりました。

その結果、何とこのとおり身長が2cm伸びたんです。つまり、老人性前かがみが少し改善したというわけです。他にも「下肢筋力が目覚しい向上を見せております」なんて成績表には書かれており、妻と私に得意そうに改善した数値を見せてくれました。

ある週末の食卓では、幼稚園のできごとについてこんな会話も

母: きょうなぁ、ピューとした線の上を何歩でいけるか、ていうのをやらったんやわ。

私等: ふんふん

母: 背ぇの高い若い(注:と言っても70代)人らは、ほれこそポンポンポンと5歩くらいで行か~るわな

妻: お母さんは、どうするんですか?

母: 私か?私は「ようし」と構えて、イカイ声出して、「いっち、に~、さん、し~、ごっは~ん」って言うたったんや。みんな、大笑いやったわ。

お世話になった先生方からも、激励の言葉をたくさんいただきましたが、いずれにも「今後とも体操を続けて下さい」と書かれております。「私は三日ぼん(三日坊主)やでな」と言っておりますが、折を見てさぼらないようにムチを入れて行きたいと思います。

お年寄りと一緒にお暮らしの皆さん、ホリンズ先生もおっしゃっておりましたが、老人でもトレーニングや運動によって筋力が改善し、運動器は機能向上するみたいですよ。大事大事にばかりせずに、運動をお奨めしてみましょう。

最後になりましたが、ご指導いただいた先生方、送迎車の運転手さん、市関係各部署の皆さん、お世話になりました。ありがとうございました。

続・コレステロールゼロの油

テーマ:油甚本店
大変長らくお待たせいたしました。と言っても、だれも待ってなどいなかったことくらい知ってるよ~。とは言え、宣言したことでもあり、意を決し実行に移すことといたしました。

昨年12/26に「コレステロールゼロの油」について書きました。すなわち、植物油はすべてコレステロールゼロなんだから、わざわざそれを表示するのは、ちゃんちゃらおかしいぜ、と。

そして、無謀にも「一度日清さんにお電話して『ノンコレステロールでない植物油が欲しいんですけど、何がよろしいやろ?』と聞いてみたいと思います。」なんて書いちゃったんだけど、いざとなるとなかなかね~。

もしかしたら、もうそんな商品を扱うのはやめているかも、と思い、とりあえず「日清オイリオ」さんのウェブサイトを覗いてみます。すると....。やめているどころか、でるわでるわ「コレステロールゼロ」のオンパレード。

一番目立つのは「キャノーラ油」なのですが、その他「コーン油」などにも目立たないけれど「コレステロールゼロ」の表示が。うん、やはりこれは問いたださねばなるまい。これもわしの使命ぜよ、と坂本龍馬になったつもりで、問い合わせ先を探し、ダイヤルを回します、いやそんな古い電話ではありません。

すぐに出や~ります。「はい、お客様相談窓口です」と戦闘意欲を封じるやさしそうな女性の声。 「あの~、お宅さんのキャノーラ油をもらいもんで頂いたんですけど、コレステロールゼロって書いてますよね~」

ここで先方、本当にゼロなのか?という質問だと早とちりしたのか、「ええ、基本的には植物油はコレステロールゼロなんですが、JAS法で100mgあたり5mg以下なら、ノンコレステロールと表示してよいことになっておりますので。」と、先のブログのコメントでくんさんが指摘してくれたことを説明してくれます。

「なるほど、するって~と、油によっては100mg以上コレステロールが含まれているってことですか」「そうですね、動物性油脂には含まれていますが、植物油は基本的にゼロなんです」

「例えば、日清さんの商品でもコメ油とかオリーブ油にはゼロの表示がないんですけど...」と、(どうせ全部ゼロならわざわざ表示せんでもええんちゃうんかい!)という言葉が喉元まで出掛かっていたのですが、電話中始終気になっておりましたのが、電話番号の下に書かれた「※お客様からいただきましたお電話は、お申し出内容を正確にうけたまわるために、録音させていただいております」の文字。

結局、鋭い舌鋒で問い詰めることもできず、あいまいな回答にあいまいな相槌をうちながら「よくわかりました」とウソを言って電話を切りました。コレステロールはゼロでも、代わりにフラストレーションが一杯たまりましたわ。だれか仇を討って下さらぬかぁぁ~~~。

ダブルリミテッド

テーマ:まちづくり
昨日の朝日新聞の1面トップ「ルポにっぽん」は「日系の子 言葉の迷子」という大見出しで始まっていた。日本語も母語も、いずれも満足に話したり読み書きしたりできない「ダブルリミテッド」の子の問題が各地で浮上しているのだそうだ。

私が長浜に帰ってきてから年々外国人、特に南米の日系人が急激に増えていくのを実感していた。長浜市民国際交流協会の理事をしていた時は、外国人生活便利帳の作成を提案して、英語版に続いて、南米の人達のためにポルトガル版とスペイン語版を作成もした。

「バブル経済末期の1990年、人手不足に悩む経済界からの求めに応じる形で、政府は出入国管理法を改正し、日系2,3世とその家族は就労制限のない日本滞在が認められ、それから南米日系人が急増した」とこの記事には書かれていたが、長浜にはまさにその通りの現実が現われた。

そして、最近めっきり彼らの姿を見ることが減った。彼らは世界同時不況の影響で真っ先にクビを切られたからだが、その子どもたちは今帰国するにせよ、日本に残るにせよ、自らの言語能力の現実に直面しているという。

これまで派遣会社や請負の会社が彼らの仕事や住居、学校の紹介まですべて丸抱えで担ってきたため、日系人は用意された「ガラスのコップ」の中で暮らしてきたようなものだという。

この記事には長浜の例が写真と実名入りで掲載されていた。これまで一人娘を派遣会社の経営するブラジル人学校へ通わせていたが、昨年1月に解雇。娘の月謝が払えなくなり、娘は日本語も話せず、一日中部屋で遊んで暮らしているという。全国的にも、リーマンショック後、公立校への転入よりもどの学校へも通わなくなった子が圧倒的に多いらしい。

学校へ行かない子どもたちは「髪の色が違うから怒られたり、いじめられたりするかもしれない」と怖れ、学校へ行っても、いじめられるどころか、話しかけてくれる生徒が皆無で学校をやめた生徒もいるという。

言葉ができないため日本社会になじめず、投げやりになって、似た境遇の仲間と非行に走るケースも多いらしい。法政大学の宮島教授の言葉が胸につきささるように痛い。「顔つきは日本人と同じなのに、日本語が十分使えず、時に行動の仕方がちがう彼らに日本社会は冷たい。この冷たさがまた、日本について学ぶ意欲をそいでいる」

経済のクッションとして振り回される南米日系人。日本人の顔をしていれば大丈夫と高を括っていたのか彼らの受入に正面から取り組まず派遣会社任せにしてきた国。彼らの存在意義を納得消化しきれずに、腫物扱いしている一般市民。

はてさて、Xenophobiaという国民性が一向に変わる気配も無い中で、外国人受入は少子高齢化社会という方程式の解となり得るのだろうか?実に悩ましい問題だ。

夢の2010年

テーマ:よもやま話
皆さん、と言いますか結婚なさってる方、あるいはお付き合いをなさってる方にお尋ねいたしますが、お相手さんとの初めてのデートのことって覚えていらっしゃいます?

私は、明確に覚えております。何せ、いわゆるデートの経験などそれまで全くありませんでしたから。昼御飯を食べて(スパゲッティだったかな?)映画を見に参りました、興味もないくせに。妻は洋画が好きでしたので気を使ったのかもしれませんが、私は前にも申しましたように、登場人物の区別がつかなくなるもので...。

忘れもしません、1985年つまり昭和60年の3月23日、いや24日?いや4月だったかな?いやいや、ちょうど今日から25年前なんで、やっぱり3月23日にしとこう。
見た映画は「2010年」
「2001年宇宙の旅」という映画があって、その続編だったと思います。お~、2010年って今年じゃありませんか。25年前の1985年における2010年の宇宙の旅とはいかなるものであったのか?

残念ながら、全く覚えておりません。初デートで緊張してたから?いやいや、確か大半眠っていたように思います。あまりの退屈な内容に。と、ここまで書いてちょっと自信がなくなりまして、妻に尋ねに参りました。

私: ねえねえ、最初に見に行った映画、2010年だったよねえ?

妻: 2010ぅね~ん?2010年って今じゃないの。あ~、そんなの見たわね~、確か

私: デューン(砂の惑星)ってのも見たよね?

妻: あ~、そっちが先だわ。だって、2010年はパパ寝てたでしょ。

デューンという映画も負けず劣らずつまらない内容だったわけですが、こちらはやはり初デートということで、緊張しており眠ってはいなかったようです。

ということで、明確に覚えていたはずの最初に見た映画は結局間違いでありました。確かだったのは2010年を見て眠っていたことだけ。それにしても夢の中で見た2010年もさることながら、現実の2010年も大した世の中じゃありませんな~。あれは正夢だったのかな?(笑)

稽古場開き

テーマ:曳山・歌舞伎
いよいよ曳山祭が近づいて参りまして、終業式(24日)の午後から稽古が始まります。そこで、昨日は若衆相集いまして稽古場の設営です。

私どもの斜向かいにある「伊部町会館」が稽古場となるわけですが、稽古舞台を設置するために、まずこのように畳を上げてしまいます。

畳の間だけでは手狭なので、玄関の土間の部分にもパレットを敷いて、その上から畳を敷きます。3年前までは酒屋さんに1合瓶用のケースを借りていたのですが、数が揃わなくなって、今回は筆頭さんが市場からパレットを借りてきました。

稽古舞台は、5~600mほど離れたうちのガソリンスタンドの敷地内にある倉庫に収納されているので、そこまでトラックで取りに行きます。

この中から、稽古用の舞台やらその付属品を出しまして、トラックに積み込み、また稽古場へ。

この舞台がやたら重くて、数人がかりで奥へと運びます。

表の方では、2階の壁面に翁山のシンボルマーク「お多福」の入った看板の設置が始まりました。

中の稽古舞台も着々と、いや遅々とではありますが仕上がって参ります。実際のところ、3年前のことですので、どうやって設置したか思い出し、思い出しやるため、なかなかうまく事が運びません。

「だから写真に撮っておけて言うたやんか、3年前にぃ」
「これは、前回は〇〇さんがやらはったんやけど、今年はやあらへんでわからへん」
てなことを毎回、毎回言いながらも、一向に改善もせずマニュアルもできず、そうは言うものの、いつの間にか稽古場はそれらしくなって参ります。

側面には裸参り用の弓張提灯が並べられ、
表には提灯を吊り、「翁山稽古場」の看板を掲げ完成。
いよいよ祭の始まりです。


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