裸の王様

テーマ:よもやま話
社長がアメリカの公聴会にまで呼びつけられる事態に陥っているトヨタ社。その企業城下町である「愛知県豊田市」。ここは多分、元から豊田という地名で、そこの出身の豊田さんが創業した会社なのだろう。そう思っている人は少なくないのではないか。

答えはノーである。ここは元々「挙母(ころも)」という歴史的に由緒ある土地であり、1951年に「挙母市」として市制を敷いたが、その後1959年に商工会議所からの請願で「豊田市」という名前に名称変更したのである。もちろん豊田自動車の町であるという宣言である。

「挙母」の名前は「古事記」にまで遡ると言われ、和歌集にも「衣の里」として詠まれ、江戸時代には幕府領となり封入した本多氏が城を「挙母城」としたとか。さらに江戸時代の挙母藩から廃藩置県で挙母県となるなど、歴史の中でずっと生きてきた地名。そして当地では山車を曳く挙母祭が挙母神社で催されるそうである。

当然、市名変更の際には反対論が巻き起こったそうであるが、元々「ころも」と読みにくい、長野県の「小諸(こもろ)」と間違えられる、という不満も少なくなかったこともあり、トヨタ社による恩恵を多とする意見に押されて「豊田市」は誕生したようだ。

『トヨタ自動車20年史』の中で「挙母という町の名まえにしても、コロモと読める方は、あまりありません。全国の難読地名の栄を、いつも担っているようです。このなじみの薄い挙母に・・・機械工業の花ともいうべき自動車工業が生まれることになった」と、「豊田」がやって来て、この地は脚光を浴びるようになり、市名を変えて分り易くなり、知名度も高くなったと自ら評している、のだそうだ。

ちなみに、日本の市で、明確に私的団体に由来する市名を持つのは、この豊田市と宗教都市である奈良県天理市のみだそうである。同じ自動車会社の雄である「本田技研」は、同様の打診(本田市への市名変更)を鈴鹿市から打診されたが、丁重に断ったという。さらに本田宗一郎氏は会社名に「本田」の名を冠したことも後悔していたという。

豊田章男社長はトヨタの車には自分の名前が全てついている、としてその責任を担っていることを宣言したが、千年以上の歴史を持つ地名を剥奪した尊大さが現在の経営に現われていなかったか、もう一度反省するべき時かもしれない。「ころも」を捨てた「裸の王様」。後世そう呼ばれないように再生してほしい。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2010/03      >>
28 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 1 2 3

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧