派手

テーマ:曳山・歌舞伎
冬季五輪、フィギュアスケートだけはエクシビションなんて派手なことやるんですね。さて、この「派手」という言葉の語源をご存知でしょうか?これ、元々は「破手」と書いた三味線用語なんだそうです。破手の「手」はメロディーのことだそうであります。

三味線を演奏する時の組歌の古来のものを「本手組」というのに対し、後年従来の旋律を破った目新しい曲風が現われ、これを「破手」と呼び、江戸時代初期に柳沢検校という三味線の名人が作曲した「破手」が賑やかで華やかな弾き方のものであったため、「ハデ」が目立つ、人目を引く、という意味になったとか。

さて、派手な三味線といえば、豊澤重松先生を思い出します。重松先生とは、知る人ぞ知る大歌舞伎の三味線奏者として名を馳せながら、長浜の曳山祭に昭和46年(1971年)から実に30年近い期間、ほぼ毎年出場して下さった方で、曳山祭に対する戦後最大の功労者の一人と言っても過言ではないでしょう。

最初に曳山祭に出場されたのが、我が翁山。私は若衆として2回の祭を先生と共にさせていただきました。先生は例えていえば、あの世界における長嶋茂雄みたいな方で、だれにも好かれる明るい性格。そして何と言っても「ハッ、ホッ」という掛声が有名でした。

松竹の現役の太夫としてご活躍の葵太夫さんは重松先生と長くご一緒に仕事をなさっており、思い出話をご自身のホームページにお書きになっておられます。

一部を抜粋いたしますと、

『ながらく弾いていただきました豊澤重松師は、この掛け声が売り物で、よく冗談交じりに、「三味線なんか音がしなくてもええ。掛け声で役者をごまかすんじゃから!」と笑い飛ばしておいでになりました。

ある冬のこと、「義経千本桜:河連館」を弾いていただいておりましたら、めずらしくお風邪を召され、お声が出なくなりました。私に「ちょっと猿之助さんに相談するから、君もついてきてくれ」とおっしゃられるのでご一緒いたしますと、3猿之助丈の楽屋で「すみません。こんな声じゃから、わしゃぁ代役してもらったほうがええと思うが、どうだね?」とおっしゃいます。

3猿之助丈は「お師匠さん、体はえらい(しんどい)の?」「いや、三味線は弾けるが、声が出んからね…」に一同大爆笑。三味線弾きさんが声が出ないから休演の相談に見えた…。重松師以外では他流を含めましても前代未聞ではないでしょうか。それほど、重松師は「掛け声」に重きをおいておられました。』


さて、豊澤重松先生が亡くなられて今日で丁度10年が経ちました。いや正確にいうと2000年(平成12年)2月29日なので、1日ずれてはおりますが。でも4年に一度しかしかない2月29日にお亡くなりになるところがまた派手な演出ですね。先生の志を引き継いで、一人でも多くの義太夫三味線奏者が長浜から輩出することを願うばかりです。





アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2010/03      >>
28 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 1 2 3

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧