斧九太夫

テーマ:曳山・歌舞伎
他町のことで、いささか差し出がましいのですが、今年度の曳山祭でお隣の神戸町孔雀山さんは「仮名手本忠臣蔵七段目 一力茶屋の場」を上演なさいます。この芝居自体は長浜曳山祭ではおなじみで、戦後に関して言えば13回目の上演で太功記十段目に続く人気演目です。

孔雀山さんの得意芸と言ってもよいかもしれません。特に、昨年それまでの振付師であった市川松尾先生がお亡くなりになられ、今年は、国立歌舞伎俳優養成所の卒業生で現在は舞踊の家元をなさっている千川貴楽さんという私たちと同世代の方の振付です。

どのような振付をなさるのかとても楽しみなのですが、関係者の方からの情報によりますと、通常登場する力弥(由良之介の息子)が登場せず、斧九太夫に役がついているとのことですので、これまでの忠七とは違ったものが見られるかもしれません。

さて、この斧九太夫、歌舞伎の世界では希代の悪役で、その役回りといえば、仇討など我関せずとばかり、さっさと藩の公金を受け取って主家を退去する酷薄無情の人でなし。七段目の「祇園一力茶屋の場」では、由良之助に縁の下から引きずり出され、激しく打擲(ちょうちゃく)される始末です。

この九太夫のモデルは、大石内蔵助と並んで赤穂藩を取り仕切っていた城代家老・大野九郎兵衛だそうですが、彼は算術に長け、赤穂の新田開発を盛んにして藩の財政を立て直したとか。主君の刃傷沙汰の際も穏健な開城を主張し赤穂の本藩である芸州浅野家に藩内の取鎮めを依頼しましたが、籠城抗議すべしという内蔵助の意見と真っ向から対立。

九郎兵衛は穏健派の官僚タイプの人間で、急進派との争いに敗れ、藩内で孤立、というより国家老としての役割を果たした以上、もはや過激派とつきあう義務はない、と割り切ったのかもしれませんね。こうした保守的姿勢は庶民からも不興を買い、討入りにも加わらなかったので「不義士」の汚名を着せられます。

赤穂城には九郎兵衛の功績を伝える史蹟はないらしく、歌舞伎の世界での悪役像がそのまま彼の評価と結びついている現実は彼にとっても無念でしょうね。近年、石田三成等これまでやや不当に評価されてきた歴史上の人物が見直される気運があります。九郎兵衛(九太夫)さんにもそんな日は来るのでしょうか?


<参考文献>
納税月報 2010/2月号
「忠臣蔵にヒーローはいなかった」 菊池明/講談社+α新書 









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