ダブルリミテッド

テーマ:まちづくり
昨日の朝日新聞の1面トップ「ルポにっぽん」は「日系の子 言葉の迷子」という大見出しで始まっていた。日本語も母語も、いずれも満足に話したり読み書きしたりできない「ダブルリミテッド」の子の問題が各地で浮上しているのだそうだ。

私が長浜に帰ってきてから年々外国人、特に南米の日系人が急激に増えていくのを実感していた。長浜市民国際交流協会の理事をしていた時は、外国人生活便利帳の作成を提案して、英語版に続いて、南米の人達のためにポルトガル版とスペイン語版を作成もした。

「バブル経済末期の1990年、人手不足に悩む経済界からの求めに応じる形で、政府は出入国管理法を改正し、日系2,3世とその家族は就労制限のない日本滞在が認められ、それから南米日系人が急増した」とこの記事には書かれていたが、長浜にはまさにその通りの現実が現われた。

そして、最近めっきり彼らの姿を見ることが減った。彼らは世界同時不況の影響で真っ先にクビを切られたからだが、その子どもたちは今帰国するにせよ、日本に残るにせよ、自らの言語能力の現実に直面しているという。

これまで派遣会社や請負の会社が彼らの仕事や住居、学校の紹介まですべて丸抱えで担ってきたため、日系人は用意された「ガラスのコップ」の中で暮らしてきたようなものだという。

この記事には長浜の例が写真と実名入りで掲載されていた。これまで一人娘を派遣会社の経営するブラジル人学校へ通わせていたが、昨年1月に解雇。娘の月謝が払えなくなり、娘は日本語も話せず、一日中部屋で遊んで暮らしているという。全国的にも、リーマンショック後、公立校への転入よりもどの学校へも通わなくなった子が圧倒的に多いらしい。

学校へ行かない子どもたちは「髪の色が違うから怒られたり、いじめられたりするかもしれない」と怖れ、学校へ行っても、いじめられるどころか、話しかけてくれる生徒が皆無で学校をやめた生徒もいるという。

言葉ができないため日本社会になじめず、投げやりになって、似た境遇の仲間と非行に走るケースも多いらしい。法政大学の宮島教授の言葉が胸につきささるように痛い。「顔つきは日本人と同じなのに、日本語が十分使えず、時に行動の仕方がちがう彼らに日本社会は冷たい。この冷たさがまた、日本について学ぶ意欲をそいでいる」

経済のクッションとして振り回される南米日系人。日本人の顔をしていれば大丈夫と高を括っていたのか彼らの受入に正面から取り組まず派遣会社任せにしてきた国。彼らの存在意義を納得消化しきれずに、腫物扱いしている一般市民。

はてさて、Xenophobiaという国民性が一向に変わる気配も無い中で、外国人受入は少子高齢化社会という方程式の解となり得るのだろうか?実に悩ましい問題だ。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2010/03      >>
28 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 1 2 3

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧