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知らん間に

テーマ:まちづくり
いよいよ明日は「きもの大園遊会」。お天気がちょっと心配ですが、昨日は抽選会場となる大通寺の山門石畳の清掃を大通寺自警団で行ないました。夏中法要の直前に続きまして、私自身としては二度目の参加となりました。

さて、普段は何気なく見過ごしておりますが、清掃終了後に山門前広場に1枚だけ模様のついている石畳を発見いたしました。中央よりやや右手にその石畳は位置しておりました。

山門前で呉服商を営んでおられますベテラン自警団員のNさん(吉エモンさんのお父さん)に「この模様は一体何なんですか?」とぶしつけにお尋ねいたしますと、

「あのな、これはな」と、Nさんらしく丁寧に説明を始め下さいまして、それによりますと、まず大通寺には庭園に臨みます含山軒蘭亭という建物がございまして、その蘭亭の欄間がこのような模様になっているのだそうです。

「ほんでな、20年前に表参道を石畳化した時に、その時の市の担当部署の商工観光課の人らがな、何かちょっと遊び心を加えたろまいかい、と考えて、この広場の石畳の一枚にその模様を入れやったんやわ」

ということであります。ちなみに、その人たちというのは、元山東町長のMさんや現長浜商工会議所専務理事のTさん達だとか。

この山門前広場は、先日行なわれたアートインナガハマのブースも並んだ場所でありますが、役人らしからぬ柔軟な発想と遊び心を持った当時の市の職員さんの真に「イキなタクラミ」を見せつけられた思いです。

皆さんも大通寺に行かれた際には、是非ご覧になってみてくださいね。

お喜美さんのメッセージ

テーマ:よもやま話
『トテーン・トテーン・・・まだ暗い朝のしじまに響いてくる、巨大な撞木の油を締める音です。それに合わせて菜種を撞く機械の音が、ガチャン・ガチャン・・・と忙しく聞こえてきます。

懐かしい幼い頃からの忘れ得ぬ記憶です。泰蔵(私の伯父)さん、隆次(私の父)さんが居られ毎日の様に遊びに寄せて貰いました。何をして遊んだか定かではありませんが、裏の川辺で「八つ目鰻」を捕まえたり、メダカやエビを取ったり。古井戸の蓋を皆で押し開いて覗いた水面の青黒い色。お店の庭に埋められた大きなカメに移し入れられる油のにぶい黄金色の美しかった事等、取りとめもなく思い出されます。

こんな光景も戦前の事で、戦後になるとガソリン等の需要が増して、隆次さんは一人で全身油にまみれて、あの重いドラム缶を幾つも幾つも暗くなるまで転がらせて居られた姿が目に浮かびます。それのみでなく、仕事熱心で帰宅はいつも夜半になる様でした。御母堂様も「こんなに頑張って身体をこわしやせんかと案じられる」と洩らしておられた程でした。

こんな隆次さんの持ち前の不屈の精神と努力が尊敬と信頼を得られて、公職をいくつも果たされ、今のお店を不動のものになされたのではないでしょうか。礼儀正しく、いつもにこやかに会釈して下さったお姿は忘れられません。

安らかな御冥福をお祈りいたします。』



これは、十七年前、私の父が亡くなった時に、兄が追悼文集の作成を思い立ち、その時に父や伯父の幼馴染であった隣家のおばあさんが書いて下さった父への追悼文です。

昨日は、「お喜美さん」と呼ばれて親しまれていらっしゃった、そのおばあさんのお葬式でした。享年92歳の大往生。父が亡くなった時にいただいたメッセージ、今あらためてここに書き記しておりますと、私たちの世代への叱咤激励のようにも聞こえます。

お喜美さんの、安らかなご冥福を心からお祈りいたします。


(追記)
コブログ・ブロガーの「アロマ大使」さんのご母堂様です。無断で実名を公表させていただきました。申し訳ございません。

ゆずの囁き

テーマ:油甚本店
「ゆずの囁き」....。ゆずは喋りませんよ、言うときますけど。歌を歌う人らでもないですよ。当店で販売しております、ゆずポン酢の商品名であります。

当店のメイン商品は「胡麻油」でありまして、これが売上のダントツ1位なのですが、次なる人気商品といえば、この「ゆずの囁き」なのです。

これは、私どもの親戚で高月町唐川にある「かねなか醤油店」で製造されております。以前にブログで紹介いたしましたように「観音の里」という銘柄でお醤油を製造されております。

実は5年前に、杉田かおるさんが「はなまるマーケット」という番組で、この商品をご推薦下さったことがありまして、その日は朝から晩まで注文の電話が鳴りっ放し。余韻が1週間ほど続きまして、地方発送の荷造り業務による過労で番頭さんがダウンしてしまうほどでした。

現在では、そこまではいかなくても全国にファンが多く、胡麻油と共に地方発送をいたしております。ちなみに「ゆずの囁き」は「ささやき」と読むのですが、結構読み間違いをされるお客様が多いのも事実です。

最も多い読み過りは「ゆずのつぶやき」、次が「ゆずのひびき」。ちなみに漢字にすると「つぶやき」は「呟き」、「ひびき」は「響き」で、全く異なる字なのですが、読み方を間違ってもしょうがないのかな、という気はいたします。ちなみに少数派ですが「ゆずのうごめき(蠢き)」とか「ゆずのどよめき(響めき)」などと読む方もいらっしゃいます。

さて、これからだんだん寒くなりますと、このゆずポン酢の出番が多くなります。何と言いましても鍋料理のお供として最高の働きをいたします。これ以外にも空揚げや焼魚とも相性も抜群。そうそう、戻りガツオのたたきなんかにもバッチリ。さらに白身魚のお刺身にも醤油ではなくて、ゆずポン酢に七味というのも乙なものです。

そして、この季節忘れてはならないのが、秋刀魚。大根おろしにダボダボっと「ゆずの囁き」。これは、たまりませんぜ!

団四郎ワールド

テーマ:曳山・歌舞伎
「団四郎」とは、言うまでもなく子ども歌舞伎振付師「市川団四郎」先生のこと。長浜ではもちろん御馴染みですが、今回は米原中町松翁山さんの振付。本日(10/11)は都合がつかなかったので、後宴の昨日午後5時半からの芝居を観劇に参りました。

団四郎先生の特徴は、原作にこだわることなく見せ場を作って盛り上げることにあるように思います。主役にも脇役にも必ずお客さんから拍手をもらえる見せ場が与えられます。親御さんはもちろんそれだけでも嬉しいのですが、何より役者が本当に楽しそうに演じているのがよくわかります。

今年の米原の芸題は「銘刀石切仏御前」という、金沢学院大の石田学長が書き下ろされ、5月に小松のお旅まつりで龍助町が演じた芝居だそうで、当然長浜では演じられたことがないものです。演出は団四郎先生らしく、琴の演奏や襖への筆書き、他芝居からのおいしい部分のcopy&pasteと、濃厚な味付けとなっておりました。


また、今年は他町の事情で当番町である中町一町だけの出場になり寂しいので、少しでも派手さを加えようという計らいで、三番叟の浄瑠璃演奏が顔の見える出語りで行なわれました。長浜の三役修業塾から太夫・三味線として今回派遣されている龍豊さん・賀祝さんに加えて、壽太夫さんと中学生のS君が舞台上に。

のみならず、舞台の下では、これまた三役修業塾の女性陣が三味線でさらに三番叟の舞台を艶やかなものへと盛り上げます。

(すみません、べっぴんさんを撮るのに手が震えましてピンボケです)

平成2年に開講された三役修業塾の塾生が初めて長浜の曳山祭の舞台に上がったのは、平成7年の萬歳楼で外題は「絵本太功記十段目」だったと思うのですが、その時の振付師は市川団四郎先生でありました。2町目が平成9年の鳳凰山で「石切梶原」。この時も団四郎先生の振付です。

今でこそ当り前になりつつある三役修業塾生の起用ですが、他町がなかなか踏み切れないところを率先して受け入れて下さった寛大な包容力とチャレンジ精神こそ団四郎ワールドの真髄ですね。




週末の食卓(13)

テーマ:週末の食卓
(その1)
妻が夕食の準備をしている時にキッチンに入ると

妻: 「あ~、ちょうどええとこに来た。ちょっと手伝って~よ」

私: 「なに、何で?」

妻: 「めっちゃ忙しいんよ」

私: 「猫の手も借りたいっちゅうやつやな」

妻: 「いやイカの手が借りたい」

10本も要るんかい?



(その2)
テレビで旅番組を見ていて、日光東照宮が出てきた時

母: 「あ~、ここは行ったわ」

妻: 「私も行きました~」

私: 「ボクは行ったことないわ」

母: 「ほうか、日光見るまで結構言うたらあかんのやで」

私: 「え~も、『結構』って言わんで」

母: 「ほうか....、ほんならええわ」

そうなの?そういう問題なの?
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