津多七先生ご逝去

テーマ:曳山・歌舞伎
6年前に「伝統を守った『たあけ』」というタイトルで書いたことがありましたが、日本で最も地歌舞伎が盛んと言われる東濃地域で振付師そして保存会の事務局長として活躍されてきた中村津多七先生が一昨日64歳の若さでお亡くなりになりました。

先生との出会いは今から7年前。垂井の曳山祭に初めて太夫として出場させていただいた時の振付さんで、以来垂井で4回ご一緒させていただきました。御自身太夫もなさっていたこともあり、助言をいただいたり昔の文楽の大夫さんのCDを頂いたりもしておりました。

ご自身の著作にも書かれていた通り、重度のアル中を克服され歌舞伎道に没頭されて来たわけですが、昨年垂井祭の後、体調不良で受診されたところ咽頭がんであることが発覚。抗癌剤と放射線治療を続けて来られましたが、去る4月14日に呼吸困難で地元中津川市民病院に緊急入院。

ちょうど長浜曳山祭の真っ最中でしたが、奥様から三役修業塾生の一人に、「顔を見せに来て下さるのなら意識があるうちに」と先が長くないことを示唆する電話連絡が入りました。

祭が終わった後の土日は事務員さんが休暇を取っておられたので店を空けられず、今週火曜日に行こうと思っていたところ、息子が免許書換ついでに帰省したため、三役塾同僚のIさんと急遽18日の土曜日にお見舞いに行ってまいりました。

喉は癌でふさがっており経鼻チューブで苦しそうに呼吸をされており、瞳孔は半開き。私たちのことはわかって反応して下さり、何か言葉を発しておられるのですが残念ながら理解することはできませんでした。

今年の垂井祭も振付をすべく準備をされて来たのですが、とてもその状態にはなく、長年ゆう歌舞伎で役者として活躍、三役修業塾生でもある七里八須子(岩井小紫八)さんが代理で振付をされることに。以前、曳山博物館子供歌舞伎の振付経験もあり、近年は長浜祭でも三番叟の振付指導を行っておられます。

津多七先生のご冥福を祈るとともに、最後まで気がかりにされていた垂井の曳山祭、立派な芸に仕上げて旅立ちの手向けとしていただきたいと切に願わざるを得ません。津多七先生、長い間本当にありがとうございました。安らかにお眠り下さい。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2015/04      >>
29 30 31 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 1 2

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧