相生の松と尉と姥

テーマ:曳山・歌舞伎
さて仮名手本忠臣蔵九段目山科閑居は、大星由良之助の息子力弥と加古川本蔵の娘小浪の祝言を巡る母親同士の攻防が一つの見せ場となっております。

中に、力弥の母お石が「♪相に相生の松こそ目出度かりけり」と祝儀の小謡を謡いながら登場する場面があるのですが、そもそも「小謡(こうたい)」というのは、謡曲中の短い一節を謡うために抜き出したもので、この場合は、有名な「高砂」の中の「四海波」という一節だそうな。

「相生の松」というのは雄松と雌松が途中で合わさったもので、夫婦の契りの深さに例えられるんだと。北町青海山の中に相生町という町がありますが、おめでたい名前なんですね。ちなみに「相生(あいおい)」は「相老」つまり夫婦が仲良く連れ添って長命であるという意味も掛けられているそうです。

さらにお石のセリフの中には「尉と姥」という言葉が出てまいります。「じょうとうば」つまり能におけるお爺さんとお婆さんということなのですが、言いにくいのか「じょうとんば」と発音されることが多いと思います。

これまた謡曲「高砂」に基づくもので、能の衣装をつけた老夫婦が熊手とほうきで松の落ち葉をかき寄せるが絵画・人形・彫刻などにされ、婚礼などの祝いに用いられる、とあります。

これも相老と同じ発想で、夫婦が仲良く長く連れ添うことを祝ったものなのでしょうが、面白いのは熊手とほうきを持っていること。これは何か意味があるのでしょうか?

「おまえ百まで私ゃ九十九まで」という言葉がありますが、ほうきは履く(=百)を、熊手は九十九まで(熊手)を表すという俗説があるそうな。お爺さんが熊手を持ってますね。やっぱり男は先に死んで奥さんに見送って欲しいのよね。

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