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兼好診断(9)盈つれば虧く

テーマ:よもやま話
一昨日は、長浜専門店会の新役員会が開かれ、今後の専門店会の運営についての相談が行なわれたのですが、その後はもっぱら先日の日光への旅行の思い出話。あそこが良かったの悪かったの、とわいわい。

評判の悪かった東照宮ですが、新たに代表理事に就任されたS酒店さんが、「ほんでも、わしはあれだけは心に残ったわ」「あれとは?」「ほれ、あの4本の柱のうち1本だけ反対向きに立ったったやつ」

そうなんです、東照宮の陽明門の柱は猿の顔みたいな模様なんですが、1本だけこの彫刻の模様が逆向きになっている「逆柱(さかばしら)」があるのです。

ガイドさんの、「これは『満つれば欠く』、つまり建物は完成と同時に崩壊が始まる。完全なものをつくると後は悪くなる一方。そのため、わざと柱を1本反対向きに立て未完成の状態にすることによって、災いを避けようとしたのです」という説明に一同「ほぉう~~~~」と唸ったものです。

さて、この「満つれば欠く(盈つれば則ち虧く)」という格言は中国の史書が出典だそうですが、「徒然草」にもこれをふまえたことが書かれております。


徒然草 第八十二段

「羅(うすもの)の表紙は、疾く損するがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下(かみしも)はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりて覚えしか。

一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしといへど、弘融僧都が「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のすることなり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

「すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさてうち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。



物事の完全に出来上がったのはよくない。やり残したことをそのままにして置いてあるのは、興趣があってそのものの生命が将来にまで延びてゆくやり方なのだ、と兼好法師......、

ゐゑおしへん

テーマ:保険・金融
「ゑ?!」、「をす」と来て、今度は「ゐ」が頭に。「ゐ」って何となくゴリラを横から見たみたいな感じですね。ほんなことはどうでもよろしいな。

え~、今日は車のナンバープレートのお話でございます。「お前から車の話は聞きたくない?」まあ、そう言わんとぉ、プレートですから、いいですやん。自分の愛車のナンバーって覚えてます?〇〇-〇〇、ふんふん。ほんなら、その左側の平仮名は?

と聞かれると、何やったやろ?と浮かんで来ないですよね。で、これ、「あ」から「ん」までぜ~んぶ使われているのかと思ったら違うんですね。欠番があるんですね。それが「ゐゑおしへん」なんです。

「ゐ」と「ゑ」は歴史的仮名使いで、現在一般的には使用されてないから。「お」は似た字の「あ」や「む」との読み誤りを避けるため。「し」は死を連想し、「へ」は屁を連想するから。そして、「ん」は〇んこを連想するからではなくて、他のひらがなと比べ発音がしにくいからだそうです。

「し」や「ん」はともかく、「へ」はそこまで毛嫌いせんでもええんちゃうかと思うんですけどね。私の母校、長浜北小はクラスが「いろはにほ」だったのですが、兄が通っていた頃は人数が多く「へ」組まであり、兄はその「へ組」だったと聞いています。まあ、笑いの対象にはなりますでしょうけどね。

それから、レンタカーは「わ」ナンバーが使われておりますが、あれは何ででしょうね?調べても理由がよくわかりません。どなたかわかりますか?レンタカーだけに「わ借ります」やろか?

ピンクレディー秘話

テーマ:よもやま話
「オフ会で油甚さんがピンクレディーを歌って踊っていた」。
そんな、あるはずもない根も葉もない噂が巷間誠しやかに囁かれているようですが、そんな戯けたことはぁ~~~、全くの事実です。

浄瑠璃は語ってもカラオケは歌わない、を信条として参りましたが、オフ会の異常な熱気の中、理性がついに感情の軍門に。いやそんな大層なもんではござんせんが。

実は高校3年生の時のこと。長浜市前教育長の北川先生率いる我が3年7組は、文化祭の出し物として当時人気絶頂だったピンクレディーのヒット曲をメドレーでやろうということになりまして、とりあえずメンバーと曲を選定。

男子11名、女子5名で、歌に踊りに何度も練習を重ね、
ペッパー警部
カルメンUFO
渚のシンドバッド
SOSモンスター
サウスポー
ウォンテッドの8曲をリレー形式で熱唱



で、私はと言うとこれで練習して
UFOを歌って踊ったわけ。「ユッフォー!」で始まって、歌の最後には日清焼きそばUFOを投げたんですよ、ヒュ~ってね。会場はまさに興奮のるつぼ。当時はまだ文化祭でもハチャメチャな出し物は無く、かなり真面目度が高かったので、この試みは新鮮にして衝撃的だったのです。

受け具合からすれば、「優勝間違いなし!」と自分たちも、見ていた人たちもそう思ったんですが...。結果は「ユーモア賞」。「ええやん、優勝にモア(more)がついたんやで、優勝より上やん」と変な慰めを考えついたことを思い出します。

体育祭が10月で、文化祭が11月。受験とは関係なく、やるべきことはやるべき時季にやり抜く。そんな時代でしたね、まだ。受験にできるだけ差し支えないように、体育祭や文化祭を6月だか7月に一気に前倒しでやってしまう、今のそんな風潮を見ていると、生徒たちがとても可哀想に感じられます。


ユッフォー!

Let's make togyoza~

テーマ:旅日記
何やかんやと道草して結構日にちが経ってしまいましたが、日光への旅、いよいよ最終章でございます。旅の締めくくりは、何と「餃子手作り体験」。昨年のオタフクソースでの広島焼きに引き続き、本物から「学ぶ」ために男子厨房に入り浸ります。

日光が属する栃木県の県庁所在地、宇都宮は言わずと知れた餃子の町。満州に駐屯した陸軍第十四師団がここに置かれていたことから戦後引揚者が餃子の味を持ち帰ったことが発祥のようで、近年では一人当たり餃子消費量で日本一を誇っています。

我々が餃子作りを体験したのは、専門店の味が楽しめるフードコーナーも常設された「来らっせ」という宇都宮餃子会直営店。講師は、「試してガッテン」や「厨房ですよ~」などのTV番組にも出演し、三つ星獲得したという
宇都宮の巨匠坂入さん

時間の都合上、皮作りは諦め、具作りからスタート。ネギ、ニラなどを刻んだり、ひき肉を混ぜたりと交代しながら全員が体験します。まあ、よう切れる包丁でして、指切った人も居ましたけど。

具ができたら、皮に包んでいきます。お医者さんが「のど、あ~んして下さい」という時に使う器具のようなへらで、具を取り、これを「皮になすりつける」のがミソだとか。

左手の親指と人差指の間に挟んで、右手の指ででふたをしていきます。で、三日月型に曲げて、台に押し付けるようにして平らな部分をつくります。ここが焦げ目のつく部分というわけ。
包んだものをバットに並べ
いよいよ焼きに。フライパンに胡麻油をひき、餃子を並べ火にかけてすぐに水を入れます、結構浸るぐらいに。で、蓋をして強火で6~7分蒸し焼きに。水は後で入れるもんだとばかり思っておりました。

水分が無くなったら、フライパンの上から皿で押さえて、隙間から余分の油を捨て、裏返すとできあがり。

さて、いただきましょう。野菜がたっぷりでジューシーな餃子です。しょうがもたっぷり入っております。巨匠曰く、「醤油は入れずに、酢とラー油だけで召し上がると餃子本来の味が楽しめるんですよ」。これまた新発見。

うちは、よく手作り餃子(ニラ餃子)作るんですけど、手伝うのは具を皮に包むところだけ。今度は最初から最後までやってみますかな。(おっと、こちらは早くも実践してや~るぅ。)




日光、結構、もう結構

テーマ:旅日記
さて、今回の旅のメイン、「日光東照宮」。西日光耕三寺の偽っぷりに憤慨して、「日光見ずして結構言うな」の日光をいざ見に行かん!、とはるばるやって来た長浜専門店会青年部ご一行様。果たしてその感想は?

きらびやかな陽明門
三猿
左甚五郎の眠り猫

う~ん、でもここには宗教施設の厳かさはないな。ねむりはかせの仰るように安土桃山時代の度派手な建築スタイルを引き継いでいるようで、信長や秀吉に負けないだけの威光を世に示し、徳川政権の権威付けが第一の目的だったんでしょうね。

とにかく後味が悪かったのは、秀吉親派の長浜人の徳川に対する反発や前面に出すぎた商売気に対する嫌悪感も確かにあるかもしれないけど、やっぱり美的感覚の相違に尽きるんじゃないでしょうか。派手好みか否か、という。

ブルーノ・タウトという建築家が、東照宮と桂離宮を比較し、桂離宮を賞賛する一方、東照宮を酷評しているんですけど、このこき下ろし方が実に痛快、いや酷いんです。

「日光の東照宮へ。木深い杉木立、 そのなかにすさまじい建築がある。左側の社殿(大猷院廟)は東照宮よりも十五年あとに竣工した。金色の唐門、 装飾品のように『美しい』。建築物の配置はすべてシムメトリー、 眩ゆいばかりのきらびやかさ。すべてが威壓的で少しも親しみがない。  

第二の社殿(東照宮)、 ・・ いかものだ。神馬は厩のなかで頗るご機嫌斜めである、 欄間の三猿(見ざる、 聞かざる、 言わざる)。兵隊の列のような配置、 なにもかも型にはまっている。華麗だが退屈、 眼はもう考えることができないからだ。

鳴龍のある堂(本地堂)、 手をたたくと天井に描かれた龍がクルルルと鳴く、 珍奇な骨董品の感じ。 ・・ (中略) ・・配置はシムメトリー、 これを破っているところもあるが、 しかしそれはなんの意味ももっていない。建築の堕落だ、 ・・ しかもその極致である。」

「いかもの」「華麗だが退屈」「珍奇な骨董品」「建築の堕落」、そこまで言うか、いや、言われてみれば...。「眼がもう考えることができない」かぁ。なるほど、この言葉がすべてを物語ってるな。


「もう結構」の悪印象を、きれいさっぱり洗い流してくれる「華厳の滝」。実に爽快。
マイナスイオンでプラスセンモンテン

いや、ホントは先に行ったんです、東照宮よりも。後に行くべきだったかな...。
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