日光、結構、もう結構

テーマ:旅日記
さて、今回の旅のメイン、「日光東照宮」。西日光耕三寺の偽っぷりに憤慨して、「日光見ずして結構言うな」の日光をいざ見に行かん!、とはるばるやって来た長浜専門店会青年部ご一行様。果たしてその感想は?

きらびやかな陽明門
三猿
左甚五郎の眠り猫

う~ん、でもここには宗教施設の厳かさはないな。ねむりはかせの仰るように安土桃山時代の度派手な建築スタイルを引き継いでいるようで、信長や秀吉に負けないだけの威光を世に示し、徳川政権の権威付けが第一の目的だったんでしょうね。

とにかく後味が悪かったのは、秀吉親派の長浜人の徳川に対する反発や前面に出すぎた商売気に対する嫌悪感も確かにあるかもしれないけど、やっぱり美的感覚の相違に尽きるんじゃないでしょうか。派手好みか否か、という。

ブルーノ・タウトという建築家が、東照宮と桂離宮を比較し、桂離宮を賞賛する一方、東照宮を酷評しているんですけど、このこき下ろし方が実に痛快、いや酷いんです。

「日光の東照宮へ。木深い杉木立、 そのなかにすさまじい建築がある。左側の社殿(大猷院廟)は東照宮よりも十五年あとに竣工した。金色の唐門、 装飾品のように『美しい』。建築物の配置はすべてシムメトリー、 眩ゆいばかりのきらびやかさ。すべてが威壓的で少しも親しみがない。  

第二の社殿(東照宮)、 ・・ いかものだ。神馬は厩のなかで頗るご機嫌斜めである、 欄間の三猿(見ざる、 聞かざる、 言わざる)。兵隊の列のような配置、 なにもかも型にはまっている。華麗だが退屈、 眼はもう考えることができないからだ。

鳴龍のある堂(本地堂)、 手をたたくと天井に描かれた龍がクルルルと鳴く、 珍奇な骨董品の感じ。 ・・ (中略) ・・配置はシムメトリー、 これを破っているところもあるが、 しかしそれはなんの意味ももっていない。建築の堕落だ、 ・・ しかもその極致である。」

「いかもの」「華麗だが退屈」「珍奇な骨董品」「建築の堕落」、そこまで言うか、いや、言われてみれば...。「眼がもう考えることができない」かぁ。なるほど、この言葉がすべてを物語ってるな。


「もう結構」の悪印象を、きれいさっぱり洗い流してくれる「華厳の滝」。実に爽快。
マイナスイオンでプラスセンモンテン

いや、ホントは先に行ったんです、東照宮よりも。後に行くべきだったかな...。

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