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大河村ドラマだがや

テーマ:政治
ご無礼しとりました。名古屋の河村たかしだがや~。前回選挙の後ご挨拶させてもらって、早や~もんでもう2年近く。

まあ、おかげさんでね、また市長やらせてもらえることになって、こりゃ~長浜の皆さんにご挨拶せんといかんでしょぉ、これ常識だもんでね。

わざわざいらしたのきゃって?まあねえ、そうしたい気持ちはやまやまなんだけどねぇ。名古屋から近きゃぁいうても、ちいとあるもんでねぇ。

まあ、しかしねぇ、長浜の皆さんに10%減税見とってちょ、って言った手前、これねえ、まあ色んなこと言われもしたけど、ヒットラー?何言うとんの。まちっとましな例え考えつきゃせんのかって。これ庶民感覚あったら、そんな言葉出てくるわけにゃ~よ。そうでしょぉ~。

それにしても、長浜はまた博覧会やっとるらしいけど、今度は何ぃ?お江?いつまでも戦国時代続けとったら、これねえ、日本に民主主義がいつまで経っても根付かんでかんよ。

仙谷時代は終わった?また、そんなくだらにゃあギャグ言っとらんで、尾張から始まる「大河村ドラマ」、楽しみにしとってちょ。

酒の本 酒の玉

テーマ:よもやま話
先月の初め、「おみくじ」というのは「くじ」に「御」をつけた「みくじ」にさらに「御」をつけた「御御籤」であるというお話をいたしました。その時に筍さんがコメントされましたように、「おみこし」も同様に「こし(輿)」→「みこし(御輿)」→「おみこし(御御輿)」なんですよね。

神道関係にはこういう言葉が多いのでしょうか?さらに思い浮かべますと「おみき」つまり神様に供えるお酒もこの部類です。昔のお酒は現在のどぶろくのようなもので「き」と呼ばれていたようで、これを丁寧に言ったのが「おみき(御御酒)」というわけです。

さて、木之本というところがありますが、この地名の由来は、「地蔵菩薩の有縁の地を求め北国街道を下ってこられた祚蓮上人が休息をとった柳の大木の元から背負ってきた地蔵が動かなくなった為、そこを有縁の地として伽藍を建立し祀った(木之本地蔵院)ことから」と言われているそうです。

しかし「おみき」のことを書いているうちに、ゆうこりんさんところの山路酒造さんや七本槍の冨田酒造さんなど日本でも有数の古い酒蔵が木之本に存在するところを見ると、もしかしたら「きのもと」は酒造りの大本「酒(き)の本」だったのではないかという考えがふと頭をよぎりました。

そんなロマンティックな想像の後で誠に恐縮ですが、「ことばの博物館」(阿刀田高/旺文社文庫)によれば、いわゆるgolden ballと称される男性の重要な部位はもともと「キノタマ(酒の玉)」がなまったものなのだそうです。確かに「どぶろく」のようなものが製造される場所ではありますが....。ことの真偽は定かならず。

アジアへ発信

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日は、曳山博物館にて、ひっそりとすごい事業がございました。その名も「無形文化遺産保護パートナーシッププログラム」。名称聞いただけでは何じゃそら?でしょうね。中日新聞と京都新聞は取材に来られたようでしたが、地元夕刊紙は...。

文化庁および国立博物館を運営する国立文化財機構の主催で、アジア太平洋地域のユネスコ加盟国から15名の行政官、専門家を日本に招聘し、各国の無形文化遺産の保護やネットワーク作りに貢献しようという事業なのですが、東京や大阪での研修の後、最後の場所に長浜が選ばれたのです。

午前中は、N前曳山博物館館長やS初代伝承委員長によって長浜曳山祭の保護や継承に関わる取組についての発表。司会進行は英語で、同時通訳のブースも設けられ、完全に国際フォーラムという風情。
高橋曳山文化協会理事長挨拶
映像も使っての説明
かなり詳細にわたって祭の概要を説明されたので、ひょっとしたら退屈だったかもと心配したのですが、発表後の質問を聞いて吃驚。例えば、借り役者として町の外部から祭に参加した子どもはその後曳山祭にどのように関わっていくのか、後継者育成の方法や頻度、祭の予算と助成金規模など。

それもそのはず、参加者は、ブータン・カンボジア・中国・インドネシア・韓国・モルディブ・モンゴル・ベトナム・ミャンマー・ネパール・フィリピン・サモア・スリランカ・タイ・ウズベキスタンの文化関係省庁および博物館などに勤務し、将来国の文化行政を担うべく嘱望された精鋭揃い。

この後、囃子保存会や三役修業塾による実演や、三味線・太鼓・笛に触れる体験、さらに曳山博物館内の見学。
囃子保存会の子ども達の演奏
三役修業塾生の実演
展示曳山の見学
曳山修理ドックの見学

さらに昼食をはさんで、曳山山蔵・稽古場の見学、大通寺見学、町並み散策を経て、最後は曳山博物館喫茶ルームでの交流会。各国の民謡の披露もあって、大盛り上がり。
壽山山蔵の見学
豆腐はアジア共通の味だ
交流会は半強制のど自慢大会

ウズベキスタンの若者と横笛談義で盛り上がり自国に招待されるS君、昔取った杵柄でインドネシア人女性と現地語で談笑するT直前伝承委員長、得意の英語で今回のフォーラムを中心になって取り仕切った曳山博物館のO君。色々な出会いがあり、かつ曳山祭をアジアに向けて発信ができた実に有意義な事業でした。

ネパールの女性から送られた民族帽をかぶりバスを見送るT囃子保存会会長。

この姿がすべてを物語っていると思います。曳山博物館、伝承委員会、囃子保存会、協力山組他、関係者の皆さん、大変お疲れ様でした。

長く。ハマる。?

テーマ:まちづくり
滋賀県のキャッチコピー、皆さんは何を思い浮かべます?最近、目につくのはこのポスター
近くに江を想う滋賀
「近」と「江」で「近江」。え~、何と申しましょうか。まあとにかく、大河ドラマにずっぺり乗っかりパターンです。

少し前にやたら目にふれたのが
 Mother Lake
これはなかなか県民の自尊心をくすぐるキャッチでしたけどね。他県民から見ると、やっぱり琵琶湖しかないやんけ、の印象だったかもしれません。

私が大学生だった頃は「だから滋賀」というコピーがありました。東京の大学だったんですが、神戸の同級生に事あるごとに「だから滋賀って言われるんだよ」とバカにされた記憶があります。「だから」と来ると否定的に解釈されるところがなかなか悲しいところではあります。

さらに10年ほど前に、JR西日本の滋賀県観光キャンペーンポスターのキャッチコピーに使われたのは「さんずいの国へ」だそうです。なるほど、「氵(さんずい)」という表現で「湖の国」をPRしようとしたわけですね。
これはポスターちゃいます
しか~し、このポスター、表現が不適切ということで撤去されたそうです。それは、何故か?

「さんずい」とは警察の隠語で「汚職(事件)」を意味する。「さんずいの国」では汚職の国じゃないか、という指摘が乗客からあったそうで、JR西日本は滋賀県に平身低頭平謝りだったとのこと。件の滋賀県の観光PRポスター、キャッチが「水色の国へ」に変わったそうです。

学生47都道府県キャッチコピーコンテストというのがあったようで、10000作以上作品が集まったとか。そこで滋賀県のキャッチとして選ばれたのが「not しがない、but 滋賀良い」。今まで滋賀を「しがない所」と言い放ち歯牙にもかけなかった若者達に、滋賀の魅力を再確認してほしいと思って作ったキャッチコピー、だそうです。

やっぱり滋賀はしがないかぁ~、と思いながら、そのサイトの「コンテスト概要」ながめてましたらね、な、何と主催者が出している「キャッチコピーの模範例」に、な、な、長浜がぁ~~あ。

・長く。ハマる。長浜。  が当のコピーで

「滋賀県長浜市には魅力がいっぱい。昔風のまち並みを歩いて、ところどころにある、ガラスのオブジェや寺社、庭などを発見するのもいいし、ガラス工房、陶芸教室、オルゴール作りなどの体験もできます。また季節ごとのイベントも豊富で、ほぼ毎月何かしらのイベントがあります。そんな長浜のまちは一日じゃ堪能しきれないので、泊まりでの旅行や、何度も訪れてみましょう!必ずあなたも長浜のまちにハマるはず」

と解説。ある意味、滋賀県よりずっとメジャーな長浜。どうよ?長く。ハマる?

八百長

テーマ:言葉・漢字
大相撲の八百長問題。ついに証拠まで突きつけられて、協会も土俵際崖っぷち状態となりました。私は八百長を擁護するつもりは全くありませんが、大相撲は「勝敗」を争う「格闘技」としてではなく、「型式美」を見せる「伝統文化」として永続してほしいと常々願っております。

もう一つ、「携帯メールは削除しても復活できる」ことがわかりました。携帯で隠し事はできませんよぉ。八百長問題の帰趨よりもこちらが気になっている人も世の中多いのかもしれません。

さて「八百長」の意味はご存知でも、その語源は知らない、知ってたけど忘れた、あるいは昨日滋賀夕刊を読んで知った、という方がほとんどではないでしょうか。「八百長は明治時代の八百屋の店主『長兵衛』に由来する」と語源由来辞典には書かれています。

八百屋の長兵衛さん、略して「八百長」と呼ばれてたんですね。この方、碁の腕前がかなりのもので、相撲の年寄、つまり現役を引退して親方となっていた『伊勢海五太夫』と碁仲間だったそうですが、実力は長兵衛さんの方が上だったようです。

しかしながら、相撲部屋で使う野菜を買ってもらいたい、とか色々下心があったんでしょうね。そういう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢海の機嫌を取っていたそうです。で、後に勝敗を調整していたことが発覚し、わざと負けることを相撲界では「八百長」というようになったようです。

現在では、相撲以外の勝負でも使われるようになりましたが、やはり相撲とは元々縁の深い言葉だったわけですね。それにしても、碁をわざと負けていたのが八百屋の長兵衛さんでなくて、もし油屋の甚助さんだったら、「大相撲『油甚』疑惑で大混乱」てな見出しになってたかもしれませんね。


(追記)
さすがに「八百長」などという名前の八百屋さんは現存しないようですが、東京の六本木には「八百長BAR」なるお店があるようです。代金わざとまけてくれるんでしょうか?
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