これからの「家業」の話をしよう

テーマ:まちづくり
昨日の午後は、まちづくり役場が企画運営の「家業フォーラム」に出席。「なぜ家業を継承していくのか、いかなければならないのか」。重いテーマ。でもこれなしでは、長浜の中心市街地いや長浜の未来はないかもしれない。

出島先生が、「この時代だからこそ家業に無限の可能性がある。家業が国際的に成立する時代が来た」と独自の感性(ご自身が理論的ではないとおっしゃるので)で持論を展開される。別用もあり分科会には参加せずに帰る。詳しくはアロマなママさんのブログを。

さて、夜テレビをつけたら「たけしのIQ200」という番組にハーバード白熱教授、「これからの『正義』の話をしよう」で有名なサンデルさんが出ていて、いつかNHKで見たような討論をやってる。「あなたの運転する電車のブレーキが壊れた。前方に5人、支線に1人の作業員。さてどちらにハンドルを切るべきか?」とかいうやつ。

正義には、①最大多数の最大幸福(功利主義)、②個人の尊厳と権利の尊重(自由至上主義)があって、どちらを選ぶかで選択は異なる、という結論だったが、サンデルさんは①でもなく②でもない、③共同体の目的としての美徳の促進(共通善)という正義(コミュニタリズム)があると主張しているらしい。

さて、自分が父の死後、家業を継いだことをこれに当てはめるとどうなるか?私は当時家業を継ぐのが嫌で東京でサラリーマン。自分の決断の判断基準としては親や従業員のことを考えた①最大多数の最大幸福が②個人の権利の尊重が上回ったといえる。

「家業」が①と②の正義を両方満たしていた時代があったが、やがて商店街の衰退とともに②の正義が優先され、一層家業は廃れていく。今日の出島先生のお話は、これからは「家業」に無限の可能性が出てくる、というものであったと思うが、それは②を満たすということなのか、しかし全ての後継者に当てはめるのは無理でしょ。

サンデルさんのいう③共同体の目的としての美徳の促進(共通善)の追求という観点からみて「家業」の継承とはどういうことなのか?「のれんの重み」か?ねむりはかせはレジュメにこう書かれていた「家業継承の究極の目的は、長浜の地域のアイデンティティである長浜曳山祭の継承と言い切れるのではないか」

長浜のマチにとっての共通善=曳山祭。昼間のフォーラムと夜のテレビ番組、全く関係ないけど自分の中では完全に結びついちゃいました。てことで、皆さんも曳山祭支援して下さいね~~~。

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