人生の贈りもの
テーマ:よもやま話
2010/05/16 09:39
朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」というコラムに、4/27から4回シリーズで薩摩焼陶工である第14代沈壽官さんの話が掲載されておりました。その中身がどうのこうのというのではないんです。
私、50年近い人生の中でいろいろな方の講演を聞いてまいりましたが、最も感動し印象に残っているのが、この沈壽官さんの講演だったのです。それは、1995(平成7)年10月18日、鹿児島で開催された、日青連という日本専門店会連合会の青年部の全国大会の基調講演でありました。
ちなみに沈さんは、秀吉の朝鮮出兵の際に日本に強制的に連れて来られた陶工の子孫であるわけですが、そうした自らの歴史も語りながら、陶芸の世界と商いに共通する真理を語り、我々専門店の後継者達(当時)に対して、その生き方に示唆と、そして勇気を与えて下さいました。
「動く中に動かざる芯がある」→ ろくろを回す時にはその芯を求めるわけですが、これは商いにも通じ「守るべきものを持って、依って立つものを探せ」と説かれました。芯が確たるものであれば、世の中も客観視できるというのです。
そして芯を中心に回転し遠心力が働くわけですが、そこで「逆らう力を持たねばならない」→逆らわなければ土は伸びてこないのだ、と言います。沈さんの作品は「ひねり」ではなく「ろくろ」成型なわけですが、「ろくろ」は「ひねり」と違って天分は要らず、努力が正直に出て来る。「夢に必要な道具は努力」なんだ、と。
そして、世の中には「動物の生き方」と「植物の生き方」があり、大資本は動物の生き方をするけれども、専門店には「植物の生き方」があるんだとおっしゃいました。自分が置かれた場所を「生きる場所」と心得て、運命に従って運命のままに生きるものに本当の力がある、のだと。
私も含めて専門店の後継者というのは、例えば大企業に勤務するサラリーマン等、他にあり得たであろう道を捨てて、やむを得ず宿命とその立場を受けとめた者も少なくないわけですが、この「植物の生き方」という考え方は、諦念とは違う、何か不思議と腑に落ちる説得力のある概念でありました。
水を打ったように静まり返った会場でしたが、時にあちこちですすり泣きすら聞こえて来ました。「身土不二」という言葉もこの時初めて耳にしたと思います。「身」はあなた、「土」はコミュニティ。地元にしっかりと根ざした植物の生き方をせよ、というわけです。
また商売が伸びて行く時の注意点を「えび」に例えられ、甲殻類は大きくなると脱皮して、また体にあった殻をつけていくのだけれど、伸びている時、大きくなる時こそ、防御が弱くなるから気をつけろ、と。襲ってくる奴は身近なやつ、とも説かれておりました。
朝鮮半島から連行されて、薩摩の地で360年間陶工という世界に生きてきた沈壽官家。全く違う世界に暮らしていながら、地域に生きる我々専門店後継者にとっては、沈壽官氏の講話はまさに「人生の贈りもの」だったように思います。
私、50年近い人生の中でいろいろな方の講演を聞いてまいりましたが、最も感動し印象に残っているのが、この沈壽官さんの講演だったのです。それは、1995(平成7)年10月18日、鹿児島で開催された、日青連という日本専門店会連合会の青年部の全国大会の基調講演でありました。
ちなみに沈さんは、秀吉の朝鮮出兵の際に日本に強制的に連れて来られた陶工の子孫であるわけですが、そうした自らの歴史も語りながら、陶芸の世界と商いに共通する真理を語り、我々専門店の後継者達(当時)に対して、その生き方に示唆と、そして勇気を与えて下さいました。
「動く中に動かざる芯がある」→ ろくろを回す時にはその芯を求めるわけですが、これは商いにも通じ「守るべきものを持って、依って立つものを探せ」と説かれました。芯が確たるものであれば、世の中も客観視できるというのです。
そして芯を中心に回転し遠心力が働くわけですが、そこで「逆らう力を持たねばならない」→逆らわなければ土は伸びてこないのだ、と言います。沈さんの作品は「ひねり」ではなく「ろくろ」成型なわけですが、「ろくろ」は「ひねり」と違って天分は要らず、努力が正直に出て来る。「夢に必要な道具は努力」なんだ、と。
そして、世の中には「動物の生き方」と「植物の生き方」があり、大資本は動物の生き方をするけれども、専門店には「植物の生き方」があるんだとおっしゃいました。自分が置かれた場所を「生きる場所」と心得て、運命に従って運命のままに生きるものに本当の力がある、のだと。
私も含めて専門店の後継者というのは、例えば大企業に勤務するサラリーマン等、他にあり得たであろう道を捨てて、やむを得ず宿命とその立場を受けとめた者も少なくないわけですが、この「植物の生き方」という考え方は、諦念とは違う、何か不思議と腑に落ちる説得力のある概念でありました。
水を打ったように静まり返った会場でしたが、時にあちこちですすり泣きすら聞こえて来ました。「身土不二」という言葉もこの時初めて耳にしたと思います。「身」はあなた、「土」はコミュニティ。地元にしっかりと根ざした植物の生き方をせよ、というわけです。
また商売が伸びて行く時の注意点を「えび」に例えられ、甲殻類は大きくなると脱皮して、また体にあった殻をつけていくのだけれど、伸びている時、大きくなる時こそ、防御が弱くなるから気をつけろ、と。襲ってくる奴は身近なやつ、とも説かれておりました。
朝鮮半島から連行されて、薩摩の地で360年間陶工という世界に生きてきた沈壽官家。全く違う世界に暮らしていながら、地域に生きる我々専門店後継者にとっては、沈壽官氏の講話はまさに「人生の贈りもの」だったように思います。
異常こそ常なれ
テーマ:よもやま話
2010/05/15 09:09
今年は庭のつつじが「あんばよう」(塩梅よく)咲いております。
1週間ほど前に、かくのごとく満開になりまして、少しずつ花をぽとぽととたれ落としながらも、いまだ満開に近い状態が続いております。一昨年の夏、ハバチの幼虫にやられ葉っぱが丸坊主になりまして、昨年などはほとんど花をつけることなく、心配をしておりました...。
どうしたんだ、珍しく植物のことなんか書き始めて、気色悪い、と思われるかもしれませんね。実際、これまで植物にはほとんど興味がなかったのですが、皆さんのブログに植物ネタが頻繁に出て参りますので、少し関心を持つようになってきました。
さて、「今年は本当に異常気象だね」と皆さん耳にタコができるくらいおっしゃいます。4月はほとんど晴れる日がなく、恐らく私が記憶する中では気候的に最低の4月でありました。5月に入りますと、うってかわって4月の仇を取るかとのごとく好天が続いたと思いましたら、ここに来てうすら寒くて、片づけた冬物や毛布の再登板です。
ところで、気候に関して「今年は異常!」というようなことを、実は毎年毎年繰り返し言っているような気がいたしますが、「そもそも平常な年なんてあるのか?」
日高敏隆さんが「人間はどこまで動物か」(新潮社)という本の中で、そう問いかけられておりました。気候なんてものは毎年「異常」なんだ、と。そして、それを平均したものが「平年並み」となるんで、ガタガタ騒ぐもんでないぞよ、とたしなめておられました。
庭のつつじは、人間が異常気象と感じるのをあざけ笑うように咲き誇っております。私もガタガタ騒がずに、皆様方が石油ストーブを御仕舞になるのが平年より遅くなっておりますことに、油屋としてこっそりと、しかし素直に感謝しながら肌寒い5月を過ごして参りたく存じます。
1週間ほど前に、かくのごとく満開になりまして、少しずつ花をぽとぽととたれ落としながらも、いまだ満開に近い状態が続いております。一昨年の夏、ハバチの幼虫にやられ葉っぱが丸坊主になりまして、昨年などはほとんど花をつけることなく、心配をしておりました...。
どうしたんだ、珍しく植物のことなんか書き始めて、気色悪い、と思われるかもしれませんね。実際、これまで植物にはほとんど興味がなかったのですが、皆さんのブログに植物ネタが頻繁に出て参りますので、少し関心を持つようになってきました。
さて、「今年は本当に異常気象だね」と皆さん耳にタコができるくらいおっしゃいます。4月はほとんど晴れる日がなく、恐らく私が記憶する中では気候的に最低の4月でありました。5月に入りますと、うってかわって4月の仇を取るかとのごとく好天が続いたと思いましたら、ここに来てうすら寒くて、片づけた冬物や毛布の再登板です。
ところで、気候に関して「今年は異常!」というようなことを、実は毎年毎年繰り返し言っているような気がいたしますが、「そもそも平常な年なんてあるのか?」
日高敏隆さんが「人間はどこまで動物か」(新潮社)という本の中で、そう問いかけられておりました。気候なんてものは毎年「異常」なんだ、と。そして、それを平均したものが「平年並み」となるんで、ガタガタ騒ぐもんでないぞよ、とたしなめておられました。
庭のつつじは、人間が異常気象と感じるのをあざけ笑うように咲き誇っております。私もガタガタ騒がずに、皆様方が石油ストーブを御仕舞になるのが平年より遅くなっておりますことに、油屋としてこっそりと、しかし素直に感謝しながら肌寒い5月を過ごして参りたく存じます。
ひょんなこと
テーマ:言葉・漢字
2010/05/14 08:48
ひょんなことを言うようですが、ひょんなことってどんなこと?大辞泉で調べますと「ひょんな」(連体)で出て参りまして、意味は「思いがけないさま」「意外な」「妙な」ということになります。
歌舞伎「引窓」の中でも、老母が息子長五郎の髪を剃る場面で、手先が震えて思わず顔を傷つけてしまう場面がございまして、この瞬間、老母は「これはひょんなことをいたしました」とつぶやきます。従って、この言葉は現代語ではなく、少なくとも江戸時代にも使われていたということです。
「ひょんな」は連体形でありますから、終止形は「ひょんだ」。つまり「ひょん」に何らかなの意味があるわけです。では「ひょん」とは何なのか?
江戸初期の俳人である安原貞室という人は「是はひょんという木の実の、えもしれぬ物なるよりいへること葉」ではないか、とヒョンノキ(=イスノキ、ユスノキ)説を唱えており、この「ひょんの実」は、その穴を吹くとひょうひょうと鳴るんだそうであります。
ヒョンノキ
ひょんの実
さらに彼は別に説を立て、瓢(ひょうたん)の形がおかしいので、変なことという意味で「ヒョウゲタ」といい始めたかもしれない、とも言い、いずれにせよ確信はなかったようであります。
こうしたことは「ことばの由来」(岩波新書)という本に書かれていたわけですが、著者の堀井令以知氏ご自身は「ヒョン」の元は「ホヨ、ホヤ」であるという説を採りたい、とおっしゃっております。
「ホヨ」とは「ヤドリギ(寄生木)」のことだそうで、東北地域では今でもヤドリギをホヨとかヒョウという地域があり、ヤドリギのホヨ・ヒョウは計り知れない力を持つとされ、ホヨを取って頭にかざしてめでたい印としたそうです。
ヤドリギは、ほかの樹木に寄生して生育し、本体の木の葉が枯れても常緑のままであったり、鮮やかな彩の実を付けたりするところから、尋常でない力を有する木として世界中であがめられてきた。それが、「妙な、突飛な、予期しない、意外な」気持ちを示すものとなり、人間の力以上のものを感じて「ひょんなこと」という表現が出来たと考えるのがよいだろう。
などと、上著には書かれておりますが、私などは本当にそんな面倒くさい連想から生まれてきたのだろうか?と思ってしまいます。むしろ「ひょっとしたら」の「ひょっと」と関係あるんじゃないか、「ひょっと」+「変な」ことを「ひょんな」と思わず誰かが口走って、「お~、それいいねえ、使えるよ!」なんて皆が流行らしたんではなかろうか...
なんて「ひょんな」ことを考えついたんですが....。
歌舞伎「引窓」の中でも、老母が息子長五郎の髪を剃る場面で、手先が震えて思わず顔を傷つけてしまう場面がございまして、この瞬間、老母は「これはひょんなことをいたしました」とつぶやきます。従って、この言葉は現代語ではなく、少なくとも江戸時代にも使われていたということです。
「ひょんな」は連体形でありますから、終止形は「ひょんだ」。つまり「ひょん」に何らかなの意味があるわけです。では「ひょん」とは何なのか?
江戸初期の俳人である安原貞室という人は「是はひょんという木の実の、えもしれぬ物なるよりいへること葉」ではないか、とヒョンノキ(=イスノキ、ユスノキ)説を唱えており、この「ひょんの実」は、その穴を吹くとひょうひょうと鳴るんだそうであります。
ヒョンノキ
ひょんの実
さらに彼は別に説を立て、瓢(ひょうたん)の形がおかしいので、変なことという意味で「ヒョウゲタ」といい始めたかもしれない、とも言い、いずれにせよ確信はなかったようであります。
こうしたことは「ことばの由来」(岩波新書)という本に書かれていたわけですが、著者の堀井令以知氏ご自身は「ヒョン」の元は「ホヨ、ホヤ」であるという説を採りたい、とおっしゃっております。
「ホヨ」とは「ヤドリギ(寄生木)」のことだそうで、東北地域では今でもヤドリギをホヨとかヒョウという地域があり、ヤドリギのホヨ・ヒョウは計り知れない力を持つとされ、ホヨを取って頭にかざしてめでたい印としたそうです。
ヤドリギは、ほかの樹木に寄生して生育し、本体の木の葉が枯れても常緑のままであったり、鮮やかな彩の実を付けたりするところから、尋常でない力を有する木として世界中であがめられてきた。それが、「妙な、突飛な、予期しない、意外な」気持ちを示すものとなり、人間の力以上のものを感じて「ひょんなこと」という表現が出来たと考えるのがよいだろう。
などと、上著には書かれておりますが、私などは本当にそんな面倒くさい連想から生まれてきたのだろうか?と思ってしまいます。むしろ「ひょっとしたら」の「ひょっと」と関係あるんじゃないか、「ひょっと」+「変な」ことを「ひょんな」と思わず誰かが口走って、「お~、それいいねえ、使えるよ!」なんて皆が流行らしたんではなかろうか...
なんて「ひょんな」ことを考えついたんですが....。
男気の人逝く
テーマ:よもやま話
2010/05/13 09:26
先日、「人間の器量」(福田和也/新潮新書)という本を読んでいたのですが、著者は嘆きます、「なぜ日本人はかくも小粒になってしまったのか」と。
現代の日本人は、慰安と平等と健康を求めて、抜きん出る事や英雄的行為や犠牲を好まない。怖いのは病気と経済的破綻だけ。強い信仰もなく哲学も必要もない。そう言われればその通り、これを平和ボケというのかもしれません。
では器量が大きい、というのはどういうことなのか?結局、「気にかける人、心を配る人の量がその人の器量」だと著者は言います。そして、自分の事しか考えられない人は、権力や富があっても器はないに等しい、と。
著者は明治期、大正から戦中、戦後について、それぞれ器量人十傑を挙げておりましたが、共通しているのは全て男であること。だからというわけではありませんが、「器量」というのは「男気」と言い換えてもいいのでしょうか。(女性でも男気のある方はいらっしゃるでしょうが、その場合は侠気と書くのか?)
「男気」とは...
「男らしい性質・気持ち。自分の損得を顧みず弱い者のために力を貸す気性。義侠心。侠気」
と辞書に書いてあります。少し付け加えるなら、「度量の大きく懐が広い」「皆から頼りにされ、明るい性格」ということになるのでしょうか。
日本全体を動かす器量人とは違いますが、私が「男気」と聞いてまず頭に浮かぶのは、先月70歳の若さでお亡くなりになられた、MモータースのMさんです。告別式では、弔辞を読むロータリークラブの会長の口からも、あるいは故人を偲ぶスライドの紹介でも、氏を形容する言葉として「男気」が出て参りました。
私とMさんは長浜専門店会でのお付き合いですが、特に旅行部門(マルセンツーリスト)のてこ入れのために自ら社長となり、それこそ私心を捨てて、組織のために改革に奮闘されました。もちろん、私の知らないところでも、多くの人から頼りにされ、それに応え、恩に着せることもなく絶えず人に心を配って来られたのでしょう。
決して義理で葬儀に参列したとは思えない、おびただしい参列者の表情がそれを物語っておりました。昨日開かれました専門店会、マルセンツーリストの役員会でもMさんを追慕する話題しきりでした。
改めて、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
現代の日本人は、慰安と平等と健康を求めて、抜きん出る事や英雄的行為や犠牲を好まない。怖いのは病気と経済的破綻だけ。強い信仰もなく哲学も必要もない。そう言われればその通り、これを平和ボケというのかもしれません。
では器量が大きい、というのはどういうことなのか?結局、「気にかける人、心を配る人の量がその人の器量」だと著者は言います。そして、自分の事しか考えられない人は、権力や富があっても器はないに等しい、と。
著者は明治期、大正から戦中、戦後について、それぞれ器量人十傑を挙げておりましたが、共通しているのは全て男であること。だからというわけではありませんが、「器量」というのは「男気」と言い換えてもいいのでしょうか。(女性でも男気のある方はいらっしゃるでしょうが、その場合は侠気と書くのか?)
「男気」とは...
「男らしい性質・気持ち。自分の損得を顧みず弱い者のために力を貸す気性。義侠心。侠気」
と辞書に書いてあります。少し付け加えるなら、「度量の大きく懐が広い」「皆から頼りにされ、明るい性格」ということになるのでしょうか。
日本全体を動かす器量人とは違いますが、私が「男気」と聞いてまず頭に浮かぶのは、先月70歳の若さでお亡くなりになられた、MモータースのMさんです。告別式では、弔辞を読むロータリークラブの会長の口からも、あるいは故人を偲ぶスライドの紹介でも、氏を形容する言葉として「男気」が出て参りました。
私とMさんは長浜専門店会でのお付き合いですが、特に旅行部門(マルセンツーリスト)のてこ入れのために自ら社長となり、それこそ私心を捨てて、組織のために改革に奮闘されました。もちろん、私の知らないところでも、多くの人から頼りにされ、それに応え、恩に着せることもなく絶えず人に心を配って来られたのでしょう。
決して義理で葬儀に参列したとは思えない、おびただしい参列者の表情がそれを物語っておりました。昨日開かれました専門店会、マルセンツーリストの役員会でもMさんを追慕する話題しきりでした。
改めて、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
幸運のイニシャルK?
テーマ:よもやま話
2010/05/12 09:10
みずほ銀行が、2009年度の全国宝くじ高額当選者に対しアンケートを行なった結果、1千万円以上が当った人のモデル像は次のようになったとのことです(男女445人から回答)。
年齢: 60歳以上
宝くじ購入歴: 10年以上
星座と職業: 男性はみずがめ座の会社員
女性はかに座の主婦
イニシャル: 男性 ①M.K ② K.K
女性 ①K.K
で、特に「か」行の人が上位を占めているという結果を見て、「幸運のイニシャルK?」なんて見出しで各紙が報道しているわけなんですが、皆様いかがですか?イニシャルKの方良かったですね~。
私もイニシャルKなんですが、残念ながら年齢は60歳未満、購入歴も過去1回のみ、星座も職業も違う。でもイニシャルだけはK。M.KでもK.Kでもないけれど、名字はK。
しかし、考えてみると、この結果ってまさに「確率」そのものでしょ、多分。母数が445っていうのは少し少ないのかもしれませんが、日本人って「か」行が名字の人が他の行よりも1.5倍~2倍くらい多いでしょ。母音で始まる名字の人の方が多いかもしれないけど、イニシャルにすると、「A」「I」「U」「E」「O」と5つに分かれちゃいますしね。
「か」行の人に当選者が多いのは当たり前。また、約66%が10年以上購入していることから、みずほ銀行は「継続が幸運を呼ぶのでは」としている、なんて書いてありましたが、多分はずれた人の66%くらいも10年以上購入しているのではないでしょうか。単に宝くじを買う人は10年以上買っている人が多い、というだけでは?
さらに、当選の秘訣について約62%が「運」と回答。違うよ~、運が100%だよ~~。
しかし、「買わないと当らない」これも真実でございます。久しぶりに買ってみるかな、幸運のイニシャルKを信じて(笑)
年齢: 60歳以上
宝くじ購入歴: 10年以上
星座と職業: 男性はみずがめ座の会社員
女性はかに座の主婦
イニシャル: 男性 ①M.K ② K.K
女性 ①K.K
で、特に「か」行の人が上位を占めているという結果を見て、「幸運のイニシャルK?」なんて見出しで各紙が報道しているわけなんですが、皆様いかがですか?イニシャルKの方良かったですね~。
私もイニシャルKなんですが、残念ながら年齢は60歳未満、購入歴も過去1回のみ、星座も職業も違う。でもイニシャルだけはK。M.KでもK.Kでもないけれど、名字はK。
しかし、考えてみると、この結果ってまさに「確率」そのものでしょ、多分。母数が445っていうのは少し少ないのかもしれませんが、日本人って「か」行が名字の人が他の行よりも1.5倍~2倍くらい多いでしょ。母音で始まる名字の人の方が多いかもしれないけど、イニシャルにすると、「A」「I」「U」「E」「O」と5つに分かれちゃいますしね。
「か」行の人に当選者が多いのは当たり前。また、約66%が10年以上購入していることから、みずほ銀行は「継続が幸運を呼ぶのでは」としている、なんて書いてありましたが、多分はずれた人の66%くらいも10年以上購入しているのではないでしょうか。単に宝くじを買う人は10年以上買っている人が多い、というだけでは?
さらに、当選の秘訣について約62%が「運」と回答。違うよ~、運が100%だよ~~。
しかし、「買わないと当らない」これも真実でございます。久しぶりに買ってみるかな、幸運のイニシャルKを信じて(笑)