人生の贈りもの

テーマ:よもやま話
朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」というコラムに、4/27から4回シリーズで薩摩焼陶工である第14代沈壽官さんの話が掲載されておりました。その中身がどうのこうのというのではないんです。

私、50年近い人生の中でいろいろな方の講演を聞いてまいりましたが、最も感動し印象に残っているのが、この沈壽官さんの講演だったのです。それは、1995(平成7)年10月18日、鹿児島で開催された、日青連という日本専門店会連合会の青年部の全国大会の基調講演でありました。

ちなみに沈さんは、秀吉の朝鮮出兵の際に日本に強制的に連れて来られた陶工の子孫であるわけですが、そうした自らの歴史も語りながら、陶芸の世界と商いに共通する真理を語り、我々専門店の後継者達(当時)に対して、その生き方に示唆と、そして勇気を与えて下さいました。

「動く中に動かざる芯がある」→ ろくろを回す時にはその芯を求めるわけですが、これは商いにも通じ「守るべきものを持って、依って立つものを探せ」と説かれました。芯が確たるものであれば、世の中も客観視できるというのです。

そして芯を中心に回転し遠心力が働くわけですが、そこで「逆らう力を持たねばならない」→逆らわなければ土は伸びてこないのだ、と言います。沈さんの作品は「ひねり」ではなく「ろくろ」成型なわけですが、「ろくろ」は「ひねり」と違って天分は要らず、努力が正直に出て来る。「夢に必要な道具は努力」なんだ、と。

そして、世の中には「動物の生き方」と「植物の生き方」があり、大資本は動物の生き方をするけれども、専門店には「植物の生き方」があるんだとおっしゃいました。自分が置かれた場所を「生きる場所」と心得て、運命に従って運命のままに生きるものに本当の力がある、のだと。

私も含めて専門店の後継者というのは、例えば大企業に勤務するサラリーマン等、他にあり得たであろう道を捨てて、やむを得ず宿命とその立場を受けとめた者も少なくないわけですが、この「植物の生き方」という考え方は、諦念とは違う、何か不思議と腑に落ちる説得力のある概念でありました。

水を打ったように静まり返った会場でしたが、時にあちこちですすり泣きすら聞こえて来ました。「身土不二」という言葉もこの時初めて耳にしたと思います。「身」はあなた、「土」はコミュニティ。地元にしっかりと根ざした植物の生き方をせよ、というわけです。

また商売が伸びて行く時の注意点を「えび」に例えられ、甲殻類は大きくなると脱皮して、また体にあった殻をつけていくのだけれど、伸びている時、大きくなる時こそ、防御が弱くなるから気をつけろ、と。襲ってくる奴は身近なやつ、とも説かれておりました。

朝鮮半島から連行されて、薩摩の地で360年間陶工という世界に生きてきた沈壽官家。全く違う世界に暮らしていながら、地域に生きる我々専門店後継者にとっては、沈壽官氏の講話はまさに「人生の贈りもの」だったように思います。


アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2010/05      >>
25 26 27 28 29 30 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 1 2 3 4 5

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧