男気の人逝く

テーマ:よもやま話
先日、「人間の器量」(福田和也/新潮新書)という本を読んでいたのですが、著者は嘆きます、「なぜ日本人はかくも小粒になってしまったのか」と。

現代の日本人は、慰安と平等と健康を求めて、抜きん出る事や英雄的行為や犠牲を好まない。怖いのは病気と経済的破綻だけ。強い信仰もなく哲学も必要もない。そう言われればその通り、これを平和ボケというのかもしれません。

では器量が大きい、というのはどういうことなのか?結局、「気にかける人、心を配る人の量がその人の器量」だと著者は言います。そして、自分の事しか考えられない人は、権力や富があっても器はないに等しい、と。

著者は明治期、大正から戦中、戦後について、それぞれ器量人十傑を挙げておりましたが、共通しているのは全て男であること。だからというわけではありませんが、「器量」というのは「男気」と言い換えてもいいのでしょうか。(女性でも男気のある方はいらっしゃるでしょうが、その場合は侠気と書くのか?)

「男気」とは...
「男らしい性質・気持ち。自分の損得を顧みず弱い者のために力を貸す気性。義侠心。侠気」
と辞書に書いてあります。少し付け加えるなら、「度量の大きく懐が広い」「皆から頼りにされ、明るい性格」ということになるのでしょうか。

日本全体を動かす器量人とは違いますが、私が「男気」と聞いてまず頭に浮かぶのは、先月70歳の若さでお亡くなりになられた、MモータースのMさんです。告別式では、弔辞を読むロータリークラブの会長の口からも、あるいは故人を偲ぶスライドの紹介でも、氏を形容する言葉として「男気」が出て参りました。

私とMさんは長浜専門店会でのお付き合いですが、特に旅行部門(マルセンツーリスト)のてこ入れのために自ら社長となり、それこそ私心を捨てて、組織のために改革に奮闘されました。もちろん、私の知らないところでも、多くの人から頼りにされ、それに応え、恩に着せることもなく絶えず人に心を配って来られたのでしょう。

決して義理で葬儀に参列したとは思えない、おびただしい参列者の表情がそれを物語っておりました。昨日開かれました専門店会、マルセンツーリストの役員会でもMさんを追慕する話題しきりでした。

改めて、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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