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呉市海事歴史科学館

テーマ:旅日記
旅から持ち帰ったパンフレット類を眺めていた母から一言「おまん、お父さんの働いてや~ったとこ行って来たんやな」。一瞬意味がわからず「えっ!?」と聞き返しますと、「大和何とか、に行って来たんやろ」と母。

私の父は戦時中、昭和17年2月から終戦の昭和20年6月まで3年間、「呉海軍工廠」に勤務しておりました。私は父がいわゆる兵隊ではなかったこと、呉に居たこと、は知っておりました。あるいは、海軍工廠に勤務していた(技術者ではなく事務員)ことも聞いていたような気もします。

しかし、恥ずかしながら、呉-海軍工廠-戦艦大和の建造場所、という関係が結びつかず、帰って母に言われるまで気がつかなかったのです。私が父と同居していたのは高校3年までで、その後は父が亡くなるまで別居ですから、父が戦時中のことを語ろうという時に私にはそれに対して関心が薄く、興味を持ち始めた時には父はこの世に居なかった、というわけです。

しかし今回の旅で、「ここへは絶対立寄りたい」、そう思ってリクエストしたのも実は私自身であり、あるいは父の血がそう言わしめたのか...。

そんな父の経歴とは無関係に大和ミュージアムは素晴らしい施設でした。まず売り物は全長26mの実物の1/10のスケールの戦艦「大和」。これが1階中央の広場に鎮座し、2階、3階へと上っていく階段や各階のデッキからあらゆる角度で望めるような構造になっています。

さらに呉の歴史、大和の建造計画からその技術、辿った運命、その他特攻隊員の遺書や遺品など、詳細なる資料が所狭しと陳列され、併せて各所で映像による解説が施され、おそらく細かく見ていれば、一日でも足りないような充実した内容を誇っておりました。

そして何より、この大和ミュージアム、パンフレットに『世界一の戦艦「大和」を生んだ「呉」の歴史と平和の大切さ、科学技術のすばらしさを未来へ』と書かれているように、館のコンセプトが、こういった施設にありがちな「ナショナリズムの昂揚」ではなく、「科学技術の未来への貢献」を強調し、それを実現していることだと感じました。

3階にある大和シアターでは「大和」の建造プロセスを上映するとともに、国産の宇宙基地「きぼう」の打上げ課程を描いた映像が流れていました。日本人が「大和」建造に象徴される高い科学技術をその誇りとして再認識し、平和な未来への貢献、という希望に昇華させよう、そんな意図が明確にみえる出色の科学館だと思います。

*総工費65億円、1/10大和建造費2億円、当初は市営であったが現在民間委託。入場料大人500円。年間入場者90万人

美味スター

テーマ:旅日記
え~、無理やり「オイスター」と読んで下さいまし。そう「牡蠣(かき)」なんです、今日の話は。もう広島の話は飽きた?そうですか、でもこれ私のブログなんでごめんなさいね。まだ続くけんね。

ところで、何で「牡蠣」って書くんでしょうね、漢字で。「蠣」はレイと読み「ごつごつした殻をかぶった貝」を表すようですが、昔の人は、岩に張り付いて動くことのないカキが、なぜ産卵できるのか不思議だったようです。それでカキは全部「牡(おす)」だろうと思い、「牡の蠣」になったようです。

実態は雌雄同体なんだそうですが、ちなみに、岩にはりついたのを「かき取る」ことから「カキ」と呼ばれるようになったみたいですよ。「あれ美味いなあ。あのォほれ!あの岩からかくやつよ!」なんて会話があったんでしょうね。

さて初日の夕食は「酔心」さんという広島料理専門店。当然のことながら、季節的にもこの「カキ」が中心となったメニュー構成であります。

実は私35年前に広島に参りましたときに、夏にもかかわらず「酢ガキ」を頂きまして、それもやや過剰気味に...。帰ってまいりましたら、酷い目に遭いまして、それこそ上から下から繰り返し。医者の診断は食中りではなく、夏風邪とのことでしたが、そんなことは関係ありません。

爾来カキは食えません....。でした、5年間ほどは本当に。実は今回同行した義兄もかつては好物だったのですが、やはり数年前に大当たりなさったようで、この夕食は気の毒なことでございました。よく当らない役者を「大根」などと言いますが、当る役者を「カキ役者」とでも呼びましょうかね。当ると何べんも通いたくなりますけんね。

さて酔心さん、東京の西新橋にも支店があり、私サラリーマン時代にカキフライ定食を何回か食べに行ったことを思い出しました。味噌焼き、カキフライまでは良かったんですが、土手鍋はちょっと閉口いたしました。何せ鍋中にごろごろとカキが入っているわけですが、独特の苦味もあってそんなにいくつも食べられるものではありませんね。

もうカキはこりごり、と思ったのですが、昔殻付のカキを炙って開いたところにレモンと醤油をかけて食べた味が忘れられず、翌日宮島で殻付カキ10個入りを買って宅配便で送りました。

ガスコンロで焼いたのは、少し身が縮んでしまったようですが、電子レンジで加熱したものが絶品でした。白くふくよかで身がプリプリ。普通は中に黒っぽい藻みたいなのがあって、独特の臭みがあるのですが、それも全くなくて汁までごっくん。う゛ま゛い!

おかげさまで現時点では、当った兆候はございませんで無事過ごさせていただいております。「広島カキは殻付を送って家でチンして食すべし。」これが本日の教訓でございます。

広島平和五輪開催を熱望

テーマ:旅日記
広島と言えば、やはり被爆都市、いや今は核廃絶を訴え続ける平和都市と言った方がいいのかもしれません。広島に来て、ここへ立寄らないわけには参りません。
広島平和祈念公園
2日目の朝は雨上がりの煙ったような曇天でしたが、慰霊碑の先にうっすらと、そこだけが65年間時間が止まっているかのように原爆ドームが立ちすくんでいるのが見えます。

慰霊碑のところまで行って、手を合わせます。月並みですが「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しません」と心の中でつぶやきます。

写真には写っておりませんが、ちょうど私が慰霊碑に向かうのとすれ違いに外国人の中学生と引率する教師とおぼしき集団が礼拝を済ませて戻って来ました。50人を超える、おそらくアメリカ人だったと思います。

オバマ大統領のように国を代表する政治家が広島を正式訪問するのは、アメリカの世論がまだ許さないかもしれませんが、こうして草の根レベルで原爆投下当事者たるアメリカ国民の一人でも多くの人にここを訪れてほしいと思います。

さて、振り返るとこの建物、「広島平和祈念資料館」が建っています。丹下健三さんの設計のようですが、私はこういう建物を見ると、どうしても「びわ町スポーツの森」を思い浮かべてしまいます。

この建物に入るのも35年前に続いて2回目なのですが、核兵器の惨さにただただ身をすくめてしまうだけで、とても自分がその場に居たら、などという想像すらできず、どうしようもなくやるせない気持ちになってしまうのです。
東館内のドーム模型
今は大変便利な時代になりました。広島平和祈念館のサイトで、展示内容が概観できます。まだ行かれたことのない方、お時間があれば覗いていただきたいと思います。そして、ここ広島の地で五輪が開催され、世界中の一人でも多くの人が集って、核兵器廃絶を誓い合う日が来ることを祈ります。
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