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若(?)衆

テーマ:曳山・歌舞伎
なんか、知らないうちに市長選挙始まってますね~。って言うか、いよいよ2/1の山組集会で芸題、三役も発表されまして、今年度の曳山祭もいよいよ本格的に始動。

ってことで、一昨日はわが翁山(伊部町)組の奇合初寄りが行なわれました。まあ、出番に向けて一致団結を誓う合う儀式とでもいいましょうか。ところで「奇合(きごう)」って何?って思いますよね。「寄合(よりあい)」とよく間違えられるんですが、「うかんむり」はありません。

「奇合」とは「若衆」のことなんです、うちの山組では。では、「若衆」って何?と聞く方もいらっしゃるでしょうね。「若衆」とは、山組において、凡そ20歳から45歳くらいまでの青年層を指し、45歳を超える「中老」が曳山のハード部分に携わるのに対し、狂言執行などのソフト部門に関する事柄を担うのが「若衆」。

一口に若衆と言っても、実は各山組によって呼び方が異なるんですよ。つまり、

若衆(ワカイシュウ)   壽山 鳳凰山 常磐山 萬歳樓 青海山 
若衆(ワカシュウ)    猩々丸 孔雀山
若連中(ワカレンチュウ) 春日山 諫皷山 
若キ者(ワカキモノ)   高砂山
若キ中(ワカキチュウ) 月宮殿
奇合(キゴウ)      翁山

となります。見てのとおり翁山だけが、「若」がつきません。そもそも「奇合」の語源も不明なのですが、「変わった者の集まり」というような意味なのでしょうか。

それはともかく、あんた49歳(しじゅうくさい)でなかったんか?と思われますわね。そうなんです、私年齢的には完全に「中老(ちゅうろう)」なんですが、町内事情で規定を超えて若衆組織にとどまることになったわけです。

ちなみに、先ほど若衆は「凡そ20歳から45歳くらいまで」なんて申しましたが、うちの山組には20代はほとんど居りませんで、平均年齢も40代を超えている、文字通り「翁山」なんです。

若い人、全然居ないわけじゃないんですよ。現在、町内に住んでいなくても、親御さんの家があったり、昔役者経験のある連中は何人かいるんですけど、何か「祭って入っていけない」とか「裸参りがいや」とか「もうちょっと待ってほしい」とか、加入に躊躇しているようなんです。

まあ、私、今年は太夫させていただきますんで、「裸参り」はちょっと遠慮させてもらいます。せっかくメタボタオルで節制した肉体美をお見せしようと思っていたのですが、残念です(笑)。という事で、翁山に関係する若者諸君、老兵は直に去りますので、一刻も早くこのすばらしい祭りに飛び込んで来て下され。

週末の食卓(19)

テーマ:週末の食卓
(その1)
大阪の姉が先月帰省した時

私: 彦根の極楽湯の招待券もらった(オフ会のじゃんけん大会でゲット)んやけど、おばあちゃん連れてったってくれへん。今月いっぱいが有効期限やし。

姉: うん、行こ行こ。

母: 私、風呂はええわあ。

姉: 何で~?前、北近江の湯も行ったやん

母: 何せ、手間がかかるでな。脱ぐのに30分、着るのに30分、ほんで風呂に入るのは5分やもん。


結局、連れて行ってもらわ~りました。
招待券提供して下さったtossan、ありがとうございました。



(その2)
龍馬伝で黒船を龍馬と桂小五郎が見ている場面で

私: だれ、この桂小五郎やってるやつ?

妻: え~っとね、何とかいう人

私: 有名なん?

妻: うん、あっそうそう、谷原~

母: 章介やろ

私: よ~知ってるなあ

母: 谷原言うたら章介に決まったるがな。福山よりよっぽど男前やがな

妻: えー?! それは好みでしょう

母: そうそう、こ・の・み


結局、未だに谷原が何者かわかっていない私って....。

親方泣くとも子は粗雑

テーマ:スポーツ
朝青龍が引退いたしました。度重なる素行不良に加えて一般人に手を上げたのだから、当然と言えば当然の結果(もっとも、殴った相手も一般人というにふさわしいのか疑問が残るようですが)。

それにしても、朝青龍には非難の中に同情が入り混じる一方で、親方としての教育、監督義務を怠ったと全面的になじられているのが、この方高砂親方であります。
私が悪うございました(泣)
まあ、大方そうであることは間違いないのでしょうが、こうも非難が集中しますと、少しは弁護したくなるのも人情というものです。

高砂親方は、その著書「親方はつらいよ」の中で、朝青龍問題について多くの頁を割いています。彼は、朝青龍の言動を良しとしているわけではないのですが、高砂部屋の放任主義の下でなければ「朝青龍は横綱になっていない」と言い放っています。

つまり、朝青龍の横綱昇進は放任主義とセットであって、彼に厳しい人格教育を施していたら、25回もの優勝回数を誇ったスーパーアスリートは誕生しなかった、というわけです。多分、途中で力士を止めていたということでしょうね。

高砂親方は、「一体何を考えているのかわからない」とか「ふがいない」という評がなされるわけですが、彼は強い力士を育てるという意味では「自分の指導に間違いはなかった」と自信を持っていることは事実です。しかし、朝青龍は最早彼が制御できない「フランケンシュタイン」になってしまったのでしょう。

そして、一面責任放棄とも取れるかもしれませんが、次のようにも言っています。「師匠の指導力も大切だが、親の教育も大事」。いみじくも日経新聞の片隅に朝青龍の父親のコメントが次のように掲載されていました。

「引退表明するのではないかと思っていた。25回の優勝をはじめ大相撲でいろいろと記録を打ち立ててきたので満足している。名誉ある引退だ」と語った一方、「(日本の国技である)相撲の世界は、息子が次々と記録を更新していくことを恐れたのではないか」とも漏らした。

新理事として期待される貴乃花は横綱どころか、関取(十両以上)も育成できておりません。高砂親方は朝青龍を横綱になるまで強く育て上げたからこそ受ける非難。

今回の騒動の責任は、強いだけで品格の伴わない彼を「横綱」と認め、伝統文化よりも興行を優先させた相撲協会、彼のスキャンダルをメシのタネにしてきたメディア、そして、それを良しとしてきた「あなた」にもあると思います。

ヨがよなら

テーマ:言葉・漢字
今シーズンはよく雪が降りますねえ。なんていう話題が頻繁に出てまいりますが、「雪」って何で「雨+ヨ」なんだろう、なんてことを考えたことありませんか?

「雨ヨ!」と言ったら雪が降ってくるわけでもないし、一体何なんでしょうね。おっとその前にカタカナの「ヨ」ってどこから来てるんだヨ?ひらがなの「よ」は確か「与」のくずし字だったと思ったけれど、ヨは弱ったなあ。

調べてみますよ、何っ!えっ!これも「与」の一部ぅ?ということで、漢字の「与」の下の部分を形を整えたのがカタカナの「ヨ」なんじゃそうじゃ。上の部分はまあ「ヨ分」ということで。

さて折角、カタカナの「ヨ」を調べてその気にさせておきながら何なんですけど、「雪」の下部は「ヨ」ではなくて元々彗星の「彗」の字なんだそうです。彗の上部が省略されてしまったんですね。

彗星を「ほうき星」ということからご想像されます通り、「彗」は「すすきなどの穂でつくったほうき、はく」の意味ですから「雪」には「万物を掃き清めるもの」という意味が含まれるわけなんですね。白くて神秘的で何もかも清める感じがしますもんね、雪は。

「恥をすすいで名誉を取戻す」という意味の「雪辱(せつじょく)」という言葉がありますが、なぜ「雪」という字が使われるのか、これでわかりますよね。ちなみに「雪ぐ」と書いて「ゆきぐ」、じゃなくて「すすぐ」と読みます。

ではもし世が世なら、いや「ヨ」が「与」なら「雪」という字は「雨+与」になりますが、「雨を与える?」う~ん、そんな人がいたような気がしますね~。今年はぜひそんな汚名を「雪いで」下さいね。

贋日光は結構です

テーマ:旅日記
さ~て、逆回しで終りから始まった旅日記も今日でおしまいにいたしましょう。長かったですな。とても1泊2日の内容ではございませんでした。もっとも初日(1/27)は6時汽車で出発でしたからね。

福山駅で大型レンタカーを借りて最初に向かいましたのが生口島。つい2ヶ月前にお亡くなりになられた平山郁夫さんの生誕地でありまして、まずその「平山郁夫美術館」で高尚な芸術作品に触れるところからスタート。

さて、昼食は尾道ラーメンと決まっていたのですが...。いや、先にラーメンの話しましょか。ラーメン好きの方多いみたいですしね。訪れたのは
壱番館というお店で
一番人気は角煮ラーメン
この角煮ラーメンを注文される方がほとんどだったんですが、私は「え~!?ラーメンに角煮ぃ?」と超クエスチョンマークで、
味玉チャーシュー下さい!

で、隣のモンテK山さんの角煮をちょいと箸でこそいで「ちょっと頂戴」。うん、なかなかうまい。麺は平打ち麺でやや縮れ麺でしょうか。スープは醤油ベースですが色が濃いですね~。その割には辛くない...と思っていたんですが、やっぱり辛かったですわ。飲み干せませんでスープは全員お残し。

まあ、「可もなく不可もなく」の尾道ラーメンでありましたが、さて平山美術館の後に、少し時間がありましたので、折角なので近くの「耕三寺」にお参りしよう、ということに相成りました。

「耕三寺」は「西日光」と呼ばれており、紅葉の季節などよくツアー広告でこの文字を見かけます。

ふむ、なるほど、なるほど。立派な門であります。近づいてみますと、

さすが、西日光と呼ばれるだけのことはある、などと言いながら中へ入って行きますと、「千仏洞地獄峡」なるものが。面白そうじゃない、と入っていきますと、ごつごつとした岩肌に仏像がそれこそ山ほど埋め込んでありまして、地獄の再現なんか極楽なんかようわからん洞穴でありました。
結構不気味
さらに「未来心の丘」と称する大理石の庭園なんかも現われまして、この辺りから「ちょっと、ここは怪しいんちゃう」と皆に猜疑心が出て参りまして、そういう目で建物を見ますと、何か東南アジアの寺院風にも見えて参ります。

浄土真宗本願寺派の由緒あるお寺とばかり思っていたのですが、どうやら大阪で特殊鋼で財を成した人が僧籍に入り、母親の報恩のために建てたお寺だということがわかりました。

その方の名が何と「耕三寺耕三」。これは「こうぞうじこうぞう」なのか「こうさんじこうぞう」なのか?と参加者相互で議論になりましたが、これは「裁判員裁判と一緒や」というK重さんのツルの一声で、「こうぞうじこうぞう」ということになりました。(でも、どうやら本名は「金本福松」さんらしい)

結局、西日光は「贋日光」という結論にいたりまして、来年の旅行は本物目指して「日光東照宮と鬼怒川温泉」の旅に決まりましたとさ。めでたし、めでたし。


(追記)
今回の旅行をお世話いただきました旅行社M君、そして研修委員長のS酒店さん、誠にありがとうございました。なお、こうした楽しい旅ご希望の方、ご用命はぜひマルセンツーリストへ(完全に回しもんです)
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