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足裏故宮小龍包

テーマ:旅日記
さて九份ショックからやや立ち直った2日目は、丸一日ガイド付の台北市内ツアーでございます。現地の様子は、以前にゆうこりんさんが、写真をいっぱい添付して報告されておりましたが、あの通りでしたわ(と言って手を抜く)。

台湾といえば烏龍茶。東方美人茶をブレンドした「爽健美茶」もあるそうですが、「♪はと麦玄米プーアール」という爽健美茶のうたに倣って、台湾の魅力を私なりに端的に唄い上げますと「♪足裏故宮小龍包」となりますでしょうか。

まず「るるぶ」の最初の「る」の「見る」の代表が
「故宮博物院」
展示品はさすがに第一級でしたが、現地ツアーガイドが駆け足で有名作品を渡り歩いて説明するのに付いて行くのがなかなか大変でした。それに夏休み中の土曜日だったせいか場内は人人人。CO2たっぷりの呼吸吐く物院でした。


次の「る」の「食べる」は何と言っても
「小龍包(しょうろんぽう)」
これを食べずに台湾を語るなかれ、ですな。「うまい、安い、早い」の3拍子。しかし、これはアツアツを食べないと意味がありませんので、一気に2,3籠(一籠10ヶ)頼むのではなく、一籠づつ頼んで、追加注文がお勧めです。

結局、2日目の夜は鼎泰豊(ディンタイフォン)、3日目の昼に京鼎樓(ジンディンロウ)と、有名店2店を満喫いたしました。空芯菜という青菜の炒め物も絶品でした。


そして最後の「ぶ」の「遊ぶ」は、別に遊びはしませんが
「足裏マッサージ」
実はイテテテテテテと叫ぶ程すげ~く痛いんじゃないかと不安、いや期待しておったんですが...。薄暗~い怪しげな部屋でベッドの上に仰向けになりまして、コールドクリームみたいなのを塗ってマッサージするんですな、これが。

時々くすぐったくなったりもするんですが、ほとんど痛みは感じず、まあ何とも言えない妙な快感でした。ちなみに日本語は「こんにちわ、ありがと、痛い?」だけの、おっちゃんのマッサージでした。

2泊3日満喫の台湾の旅でしたが、帰りの飛行機の中にあった雑誌を読んでたら、今台湾で最も人気のあるレストランが紹介されておりました。私自身もう台湾へ行くことはないかもしれませんが、どなたかにこの店行ってもらって感想をお聞きしたく存じます。

Modern Toilets (現地名: 便所主題餐廰)


九分で悶絶

テーマ:旅日記
(昨日の続きです。というか、その前段となります。)

九份に着くと、「セブンイレブンの所から商店街を十分足らず歩いて、千と千尋のモデルになったところで休憩しますからねぇ」と案内する現地ガイド。「水戸黄門」の「黄」と申します、と自己紹介する親日家の愉快なおっさんである。

「おお、ここか」と、確かに商店街というか市場街はセブンイレブンのところから始まり、台湾の食品や雑貨が所狭しと陳列された店が連なっており、台湾内外の観光客でひしめいている。最初は珍しげに首を左右に交互に向けながら、それらの品々を物色していく。

ほどなくして、「何かがおかしいぞ」と脳が呼びかける、「君の嗅覚が異物を感知している」と...。やがて、娘の「くさい!」の一声を皮切りに、家族皆が輪唱の様に「くさっ!」を連発し、事の異常さを確認しあう。「くさいよねぇ」「うん、くさい」「何これ、どぶの臭いじゃないし、おしっこでもない」「それにな~んか甘ったる~い線香みたいな臭いもする~」

気になりだすと、並べてあるものすべてが異様な香りを有した物体に感じられる。一刻も早くこの通りから抜け出さなくてはいけない。そう思った瞬間、「黄門」の黄さんが「このお菓子はこちらの名産あるよ」と甘ったるいおもちのような菓子の試食をさせてくれる。

ゲロゲロと思いつつ、「うん、うまい」とか愛想を言いながら、早く立ち去りたい!と目で訴える。

ようやく、坂道を降りる分岐点にたどりつき、昨日紹介した「阿妹茶酒館」に逃げ込んで、中で冷たい台湾銘茶を頂きながら一息つく。1時間ほど自由時間があるけど、家族の皆が「二度とあのにおいのところには戻りたくない」と言いながらも、「しかし一体においの原因は何だろう?」と好奇心だけは旺盛。「よし俺が確かめてくる!」とデジカメを持って、再度坂道を駆け上がり、「臭いの暴力街」へ。

くさいものは避けると余計に臭く感じるものだ。こういう時にどう対応したらいいかは、幼少時の無謀な体験が役に立つ。バキュームカーに出くわした時におもいきり息を吸い込むと、鼻が悪臭で麻痺して新たな悪臭に対して感覚を失ったものだ。勇気を出して「ふ~~ぅんんん」と吸い込むと、あ~ら不思議、おっ平気じゃん。

ということで、麻酔が効いているうちに臭いの原因と思われる物体の写真を撮りまくる。
「おまえか?くんくん」
「こいつか?くんくん」
と警察犬よろしく犯人をつきつめていく。あらゆる種類の悪臭に正常な判断能力を喪失しかけていた鼻粘膜がついに捉えたのは。

「おまえか~!!」

それは「臭豆腐」と言われる物体であった。「臭い豆腐」ってそのまんまやん。腐りきった泥のような汁の中で「さあどうだ」と言わんばかりに自己主張する奇妙な物体。食べるとおいしいと言うから、くさやや鮒寿しと同じような発酵食品なのであろう。しかし、私にはとてもこれを食する勇気はない。

この後、家族全員、鼻の穴一面が「九份臭」に取り付かれ、夕食の北京ダックからホテルのシャンプーに至るまで、すべてこの臭いが混じっているように感じられ、台湾初日の夜は憂鬱なうちに更けていった。


九份 それは二度と行きたくない街 
でも必ず訪れて欲しい街 
行く前は九分 
行った後はもう十分




油屋のモデル

テーマ:旅日記
今さら申し上げるのも何なんですが、実は例の地蔵盆休刊日を利用いたしまして、2泊3日で台湾に行って参りました。

長浜に帰ってきてから海外に行くのは初めてなのですが、吉エモンさんが書いておられましたように、中国・台湾・韓国等の東アジア方面だと国内旅行よりうんと安いパックツアーが存在いたします。飛行時間もたったの2時間半。対日感情もよく日本語もほとんど通じるので、全く不便さは感じませんでした。

さて、台湾に着いた日の午後、我々は最も印象深い体験をいたしました。2日目は丸一日ガイド付の台北市内ツアーとなっておりましたので、初日の午後はオプショナルツアーの「九份(きゅうふん)観光」を楽しむこととしたのです。

九份は台北から車で数十分のところにある観光地で、かつて金鉱で栄えた坂の町。「悲情城市」という映画のロケ地となったことで有名なんだそうですが、我々にとっては何と言っても「千と千尋の神隠し」のモデルになった町としての印象です。

これが、湯婆のいた「油屋」のモデルとなったといわれる建物です。
阿妹茶酒館(アーメイチャージョウグァン)
坂の下から見上げたところ。

と言う事で、とてもロマンチックな町でしたよ~。シャンシャン
と行きたいところですが、そんな甘いもんではおまへんでした。ここにたどりつくまでの苦難の道のり。

香りの未体験ゾーンとだけ申しておきましょう。その話は明日...

山下泰裕

テーマ:スポーツ
最近ぱんやさんが、柔道の世界選手権で日本男子の金メダルがゼロという前代未聞の事態が起こったと、しきりに嘆いておられます。ぱんやさんの学生時代の先生が「山下が引退したらまあ、1階級でも優勝したら良しということになるのかな」と仰っていたらしいので、当然の流れなのかもしれませんね。

さて、NHKの「スポーツ大陸」という番組があります。半年以上前の1/16に放映された「何があっても勝つ -史上最強の柔道家 山下泰裕-」を見ました。(実は、その時に書いてお蔵入りになっていた文章を引っ張り出して参りました)

山下については、私よりもぱんやさんの方がはるかに詳しいので多くは語るつもりはありませんが、

全日本選手権優勝9連覇、世界選手権(+95kg級)3連覇、ロサンゼルス五輪無差別級優勝。1985年203連勝で現役選手を引退。引退後は大学の柔道部監督・師範、全日本柔道連盟男子強化部長を歴任。アトランタ・シドニー五輪の日本代表監督。1984年には国民栄誉賞受賞。

というのが肩書きとして紹介されておりました。現在51歳ですが、文字通り日本はおろか世界において史上最強の柔道家であります。番組は、彼がもって生まれた素質+努力で、幾多の困難を乗り越え数々の栄冠をつかんでいったかを、家族、指導者やライバルとの間の物語を絡めて展開されていきました。

番組の最後に、インタビュアーが「ロス五輪金メダル、全日本選手権9連覇、203連勝」などの輝かしい記録について山下に尋ねます。

「いや、これも私を生んでくれた両親、指導者であった佐藤先生、そして何より声援を送っていただいた皆様のおかげです。私は日の丸を背負って戦うことに誇りを持っておりました」

こう答えるだろう、と前もって準備しますわな、こっちは。そして、心の中で拍手したろと。何せ国民栄誉賞を受賞した人格者ですからね、優等生の見本みたいなお方ですから...。

ところが、彼の答えは
「私は日の丸のために戦ったことは一度もありません。すべては自分の夢をかなえるためです。」

「記録ですか?そんなもん気にしてるヤツはちゃんちゃらおかしいですわ。問題はそれをこれからの自分の人生にどう役立てるかだけです。」

確かに「国のため」とか「国民のため」って何か言い訳くさいところがありますよね。「自分のために」を極めてこその結果としての「国のため」なんですね。

大外刈りと見せかけて、小内刈りで1本
「やはり山下は世界一である」 と私は思いました。


(追記)
6月1日で52歳になってやありましたわ(笑)

昔の機械を嫁に出す(続)

テーマ:油甚本店
7/10のブログで、当店で昔使われていた搾油機を他人にお譲りしたというお話をいたしました。覚えていらっしゃいますでしょうか?

実はその1ヶ月ほど後に四日市の「スエヒロEPM」という会社から一通の封書が届きました。聞いた事もない会社で全く心当たりがなかったのですが、とりあえず封を開けますと....。

同社のWさんという方の手紙が入っておりまして、何でも古い搾油機に興味があって、インターネットで検索しているうちに私の書いた上記ブログ記事に出くわした、ということでありました。以下次のように書かれてありました(原文一部削除)

「実は、先週末、熊本県の某製油会社からの依頼で同社を訪問した時に、同社で現役で菜種/胡麻を搾っている古い搾油機を拝見させて頂きました。それは、むかし四日市に在った日東製作所なるメーカーのE-15-A型という機械です。そうお嫁に出されたアノ機械です!

更に驚くべきことですが、私が昨年10月に軍政・ミャンマーのヤンゴン市へ出張した折に、同国工業省の農業機械製作工場で視察した搾油機は正に日東製作所のE-15-Aでした。同工場の工場長いわく、「コレは日本の優秀な機械だ!」

ご丁重なる手紙文とともに、日東製作所の輸出向け機械の英文カタログのコピーと
熊本
ミャンマー
にあった機械の写真が同封されておりました。

何と、私がお嫁に出した機械は、熊本県のみならず、ミャンマーでも現役で活躍していたんですねぇ。それにしても昔の機械というのは、職人さんの魂が込められていたのか頑丈で長持ちするような気がいたしますね。

いずれにしても、Wさんのご好意に感激するとともに、全くこれまで知らなかった方と知り合い、情報交換を可能にしてくれたブログの威力を改めて痛感いたしました。


(追記)
熊本県のメーカーさんのHPを見ましたら、実際にこの機械が稼動して油が搾られる映像をyoutubeで見ることができました。ご興味とお時間がある方はぜひこちら

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