油と脂
テーマ:油甚本店
2008/10/16 09:22
「油脂」などと申しますが、「あぶら」には「油」と「脂」がございます。一般的には、常温で液体のものを「油」、固体のものを「脂」と称するようでありますが、まあサラダ油等の植物油が「油」で、ラード等の動物性脂肪が「脂」というわけです。
じゃあ、植物性の「マーガリン」はどうなんでしょうね。植物油だが常温で固体。へそまーがりんな油脂ということにしておきましょう。余談ですが英語のmargarine、「マーガリン」ではなく「マージェリン」と発音いたします。
さて「油」という漢字は、「水+由」の会意兼形声文字で、「由」はしょうゆさしのように細くびれた壷を描いた象形文字なので、「油」は「その壷の口から液体が抜け出てくるさま」を表し、ここから「とろとろと出てくるあぶら」の意になったようです。
一方の「脂」は「月+旨」ですが、まず「月」はお月さまの「つきへん」ではなく、「肉」を意味する「にくづき」という部首であります。「旨」は「人+口(または甘)」の会意文字で、「人の口にうまい、こってりした味」のこと。ですから「脂」は「肉+旨」の会意兼形声文字で、「こってりときめ細やかに充実したあぶら肉」のこととなるわけです。
ちなみに「炙る(あぶる)」という字などは「肉」の下に「火」ですから、まさに見たままでおいしそうな字です。「あぶる」は火によって肉から「あぶら」が滴り落ちるところから生まれた言葉だとか。
肉の旨いところはやはり「あぶら」の部分ということなのですが、体にはあまりよくありません。英語で「脂」は「fat」というように、食べ過ぎますと文字通り「太る」ということになりますのでご注意ください。
じゃあ、植物性の「マーガリン」はどうなんでしょうね。植物油だが常温で固体。へそまーがりんな油脂ということにしておきましょう。余談ですが英語のmargarine、「マーガリン」ではなく「マージェリン」と発音いたします。
さて「油」という漢字は、「水+由」の会意兼形声文字で、「由」はしょうゆさしのように細くびれた壷を描いた象形文字なので、「油」は「その壷の口から液体が抜け出てくるさま」を表し、ここから「とろとろと出てくるあぶら」の意になったようです。
一方の「脂」は「月+旨」ですが、まず「月」はお月さまの「つきへん」ではなく、「肉」を意味する「にくづき」という部首であります。「旨」は「人+口(または甘)」の会意文字で、「人の口にうまい、こってりした味」のこと。ですから「脂」は「肉+旨」の会意兼形声文字で、「こってりときめ細やかに充実したあぶら肉」のこととなるわけです。
ちなみに「炙る(あぶる)」という字などは「肉」の下に「火」ですから、まさに見たままでおいしそうな字です。「あぶる」は火によって肉から「あぶら」が滴り落ちるところから生まれた言葉だとか。
肉の旨いところはやはり「あぶら」の部分ということなのですが、体にはあまりよくありません。英語で「脂」は「fat」というように、食べ過ぎますと文字通り「太る」ということになりますのでご注意ください。
そんとく抜きの教育
テーマ:よもやま話
2008/10/15 09:11
一昨日10月13日の夕刻より米原の曳山祭りを見に参りました。二つの町の芸を写真に撮って記事にしようと思ったのですが、一方は逆光、もう一方は暗くなってからで照明の光が反射して、ともに私の携帯電話のカメラで手に負えるものではありませんでした。
二つの町の芝居の合間に時間がありましたので、湯谷神社に参詣した後、そのあたりをぶらぶらいたしました。
ぱんやさんのブログでも紹介されておりましたが、これは旧米原小学校です。中町松翁山さんはここを詰所にしておられ、子ども歌舞伎の稽古やら道具作りなどをなさっておられました。木造の校舎でとても趣のある建物です。
校門には「第54回滋賀県母親大会」の看板が立てられておりました。10月26日(日)に米原小学校・中学校で開催と書いてありましたが、この建物も使われるのかどうかは不明です。母親大会というものがどういうものかよくわからないのですが、損得抜きで子どもに愛情を注ぐお母さんたちの教育への熱い思いがぶつかりあう大会なのでしょうね。
一方、前庭の中に寂しく佇む一つの像を発見いたしました。
かつてはどの学校でも見ることができた二宮尊徳像です。銅像の礎には「報徳」の文字が刻まれておりました。この像は違いますが、二宮金次郎さんの像といえば背中に薪を背負いながら読書をしておられる姿が特徴的でありました。また現在「報徳」などという言葉を聞いても頭に思い浮かぶのは高校野球の「報徳学園」くらいなのではないでしょうか。
改めて報徳思想を調べてみますと、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説くもので、その根幹を成す「至誠、勤労、分度、推譲」の教えなどは、特に今の世情においてはその必要性が身にしみて感じられます。
私は道徳家でもありませんので、偉そうなことを言える立場にはありませんが、玄関に堂々と立てられた母親大会の看板と、半ば見捨てられた尊徳像を見て複雑な思いを抱かざるを得ませんでした。
二つの町の芝居の合間に時間がありましたので、湯谷神社に参詣した後、そのあたりをぶらぶらいたしました。
ぱんやさんのブログでも紹介されておりましたが、これは旧米原小学校です。中町松翁山さんはここを詰所にしておられ、子ども歌舞伎の稽古やら道具作りなどをなさっておられました。木造の校舎でとても趣のある建物です。
校門には「第54回滋賀県母親大会」の看板が立てられておりました。10月26日(日)に米原小学校・中学校で開催と書いてありましたが、この建物も使われるのかどうかは不明です。母親大会というものがどういうものかよくわからないのですが、損得抜きで子どもに愛情を注ぐお母さんたちの教育への熱い思いがぶつかりあう大会なのでしょうね。
一方、前庭の中に寂しく佇む一つの像を発見いたしました。
かつてはどの学校でも見ることができた二宮尊徳像です。銅像の礎には「報徳」の文字が刻まれておりました。この像は違いますが、二宮金次郎さんの像といえば背中に薪を背負いながら読書をしておられる姿が特徴的でありました。また現在「報徳」などという言葉を聞いても頭に思い浮かぶのは高校野球の「報徳学園」くらいなのではないでしょうか。
改めて報徳思想を調べてみますと、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説くもので、その根幹を成す「至誠、勤労、分度、推譲」の教えなどは、特に今の世情においてはその必要性が身にしみて感じられます。
私は道徳家でもありませんので、偉そうなことを言える立場にはありませんが、玄関に堂々と立てられた母親大会の看板と、半ば見捨てられた尊徳像を見て複雑な思いを抱かざるを得ませんでした。
200本編んだ達成
テーマ:よもやま話
2008/10/14 09:04
本年3月18日より、当ブログを開設いたしまして、今日でとうとう「200本編んだ」を達成することができました。これも偏にプロクルー様のお導きと、皆々様のお引き立ての賜物と感謝を申し上げる次第にござりまする(歌舞伎の口上口調)。
確か、3月18日の講習時にプロクルーのSさんが、「やはりブログは200本以上書いて初めて検索上位に取り上げられるようになり意味を持つようになるので、それまで頑張ってください」とおっしゃったように記憶しております。
その時は漠然と「そんなもんか」と思い、とりあえず当日分を書き上げたものの、その後更新せずに放置。ある日マクフライさんに道で遇って「油甚さんブログ書いてくださいよ」と言われたのが再開のきっかけ。その後垂井の曳山祭に太夫として出場することになり、同地に滞在した時に継続を断念しかけましたが、いのしし亭さんのご好意で何とか窮地を切り抜けました。
その後今日にいたるまで、まさにあることないこととりとめもなく書き連ねて参りましたが、当初目論んでいたお店の宣伝や油の解説などはそっちのけで、おやじギャグや駄文を連ねて来てしまいましたね。
「じんとにっく」という名称も思いつきでつけたそのままに来てしまいました。スキンは偶然カクテルのを見つけて採用したのですが、今思えば黒の背景に白文字って結構読みやすいな、と一人満足感に浸っております。
まあそのうちネタ切れになって、毎日更新というのは困難になることが予想されますが、とりあえずイチローよろしく年間「200本編んだ」を目標に、仕事をしてる素振りだけは欠かさず精進して参りたいと思いますので、引き続き気軽に当ブログにご訪問ください。ノックは無用です。
確か、3月18日の講習時にプロクルーのSさんが、「やはりブログは200本以上書いて初めて検索上位に取り上げられるようになり意味を持つようになるので、それまで頑張ってください」とおっしゃったように記憶しております。
その時は漠然と「そんなもんか」と思い、とりあえず当日分を書き上げたものの、その後更新せずに放置。ある日マクフライさんに道で遇って「油甚さんブログ書いてくださいよ」と言われたのが再開のきっかけ。その後垂井の曳山祭に太夫として出場することになり、同地に滞在した時に継続を断念しかけましたが、いのしし亭さんのご好意で何とか窮地を切り抜けました。
その後今日にいたるまで、まさにあることないこととりとめもなく書き連ねて参りましたが、当初目論んでいたお店の宣伝や油の解説などはそっちのけで、おやじギャグや駄文を連ねて来てしまいましたね。
「じんとにっく」という名称も思いつきでつけたそのままに来てしまいました。スキンは偶然カクテルのを見つけて採用したのですが、今思えば黒の背景に白文字って結構読みやすいな、と一人満足感に浸っております。
まあそのうちネタ切れになって、毎日更新というのは困難になることが予想されますが、とりあえずイチローよろしく年間「200本編んだ」を目標に、仕事をしてる素振りだけは欠かさず精進して参りたいと思いますので、引き続き気軽に当ブログにご訪問ください。ノックは無用です。
オセロ
テーマ:よもやま話
2008/10/13 09:17
リーマンの破綻以降、アメリカ経済の先行き不安から、株式暴落が始まった。いよいよアメリカ至上主義の終焉か?それにしても20年ほど前、日本のバブル絶頂期には日本的経営がもてはやされ、NYの主要なビルは日本企業が買い占めるのでは、と言われた時代もあった。
ここに来て、危ない事にあまり手を出さなかった日本の金融機関が見直され始めたり、一気に日本人4人がノーベル賞を受賞したり。変れば変るもの、何か神様がオセロゲームをしているような感じである。
CO2の増加による地球温暖化問題が喧しく叫ばれているが、一方で太陽の黒点が約100年ぶりにゼロになり、太陽活動の低下から地球が氷河期に向かう兆候かもしれない、という記事を「日本経済新聞」と「週間大衆」という硬軟両極のメディアにて見かけた。
ここまで世の中不透明だと、地球温暖化対策という黒い駒がそれこそ全部ひっくりかえって、黒点ゼロよろしく、地球寒冷化対策へという白い駒に雪崩打つことだって無いとはいえない。
日本の政治も郵政民営化選挙で自民が圧勝したと思ったら、参議院選挙で今度は民主が圧勝。オセロゲームにたとえられる小選挙区制。きたるべき次の選挙はどうなるのだろう。オセロゲームのポイントは「四隅」を取ることと聞いたことがあるけど、私はとりあえず祝祭日に「やすみ」を取りたい。
ここに来て、危ない事にあまり手を出さなかった日本の金融機関が見直され始めたり、一気に日本人4人がノーベル賞を受賞したり。変れば変るもの、何か神様がオセロゲームをしているような感じである。
CO2の増加による地球温暖化問題が喧しく叫ばれているが、一方で太陽の黒点が約100年ぶりにゼロになり、太陽活動の低下から地球が氷河期に向かう兆候かもしれない、という記事を「日本経済新聞」と「週間大衆」という硬軟両極のメディアにて見かけた。
ここまで世の中不透明だと、地球温暖化対策という黒い駒がそれこそ全部ひっくりかえって、黒点ゼロよろしく、地球寒冷化対策へという白い駒に雪崩打つことだって無いとはいえない。
日本の政治も郵政民営化選挙で自民が圧勝したと思ったら、参議院選挙で今度は民主が圧勝。オセロゲームにたとえられる小選挙区制。きたるべき次の選挙はどうなるのだろう。オセロゲームのポイントは「四隅」を取ることと聞いたことがあるけど、私はとりあえず祝祭日に「やすみ」を取りたい。
出世まつり
テーマ:まちづくり
2008/10/12 09:07
月に1回、下のような生活情報誌が各家庭に配布されております。
長浜のイベント、グルメ、美容、住宅等さまざまな情報が掲載されております上、無料ですので何かと重宝いたしております。掲載店の広告料で成り立っているんでしょうね、きっと。
イベント情報の中に「長浜出世まつり」のコーナーがございまして、つらつら眺めておりますと
ちょっと見にくいですが、本日10/12は「奉公まつり」とあります。「秀吉公や賤ヶ岳合戦で活躍した七本槍の武将などに扮した子どもたちが武者行列を行います」と続きますので「豊公まつり」のことですね。ちなみに今日は土曜日でないぞ、と。
「出世まつり」は、「アートインナガハマ」「きもの大園遊会」「豊公まつり」「きもの大学」など秋に実施されるイベントの総称なのですが、何分お金と労力がかかりますので、大企業や太っ腹な会社は協賛金や寄付、我々のような小市民は時間と汗を提供したりして成り立っております。
ということは結局、「出世まつり」というよりも「奉公まつり」こそがこの一連のイベントの総称としてふさわしいのかもしれませんね。
えっ!?「出世まつり」は元々「しゅっせまつり」ではない?
『はじめから 金と汗とを 出世(だせ)まつり』
長浜のイベント、グルメ、美容、住宅等さまざまな情報が掲載されております上、無料ですので何かと重宝いたしております。掲載店の広告料で成り立っているんでしょうね、きっと。
イベント情報の中に「長浜出世まつり」のコーナーがございまして、つらつら眺めておりますと
ちょっと見にくいですが、本日10/12は「奉公まつり」とあります。「秀吉公や賤ヶ岳合戦で活躍した七本槍の武将などに扮した子どもたちが武者行列を行います」と続きますので「豊公まつり」のことですね。ちなみに今日は土曜日でないぞ、と。
「出世まつり」は、「アートインナガハマ」「きもの大園遊会」「豊公まつり」「きもの大学」など秋に実施されるイベントの総称なのですが、何分お金と労力がかかりますので、大企業や太っ腹な会社は協賛金や寄付、我々のような小市民は時間と汗を提供したりして成り立っております。
ということは結局、「出世まつり」というよりも「奉公まつり」こそがこの一連のイベントの総称としてふさわしいのかもしれませんね。
えっ!?「出世まつり」は元々「しゅっせまつり」ではない?
『はじめから 金と汗とを 出世(だせ)まつり』