そんとく抜きの教育
テーマ:よもやま話
2008/10/15 09:11
一昨日10月13日の夕刻より米原の曳山祭りを見に参りました。二つの町の芸を写真に撮って記事にしようと思ったのですが、一方は逆光、もう一方は暗くなってからで照明の光が反射して、ともに私の携帯電話のカメラで手に負えるものではありませんでした。
二つの町の芝居の合間に時間がありましたので、湯谷神社に参詣した後、そのあたりをぶらぶらいたしました。
ぱんやさんのブログでも紹介されておりましたが、これは旧米原小学校です。中町松翁山さんはここを詰所にしておられ、子ども歌舞伎の稽古やら道具作りなどをなさっておられました。木造の校舎でとても趣のある建物です。
校門には「第54回滋賀県母親大会」の看板が立てられておりました。10月26日(日)に米原小学校・中学校で開催と書いてありましたが、この建物も使われるのかどうかは不明です。母親大会というものがどういうものかよくわからないのですが、損得抜きで子どもに愛情を注ぐお母さんたちの教育への熱い思いがぶつかりあう大会なのでしょうね。
一方、前庭の中に寂しく佇む一つの像を発見いたしました。
かつてはどの学校でも見ることができた二宮尊徳像です。銅像の礎には「報徳」の文字が刻まれておりました。この像は違いますが、二宮金次郎さんの像といえば背中に薪を背負いながら読書をしておられる姿が特徴的でありました。また現在「報徳」などという言葉を聞いても頭に思い浮かぶのは高校野球の「報徳学園」くらいなのではないでしょうか。
改めて報徳思想を調べてみますと、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説くもので、その根幹を成す「至誠、勤労、分度、推譲」の教えなどは、特に今の世情においてはその必要性が身にしみて感じられます。
私は道徳家でもありませんので、偉そうなことを言える立場にはありませんが、玄関に堂々と立てられた母親大会の看板と、半ば見捨てられた尊徳像を見て複雑な思いを抱かざるを得ませんでした。
二つの町の芝居の合間に時間がありましたので、湯谷神社に参詣した後、そのあたりをぶらぶらいたしました。
ぱんやさんのブログでも紹介されておりましたが、これは旧米原小学校です。中町松翁山さんはここを詰所にしておられ、子ども歌舞伎の稽古やら道具作りなどをなさっておられました。木造の校舎でとても趣のある建物です。
校門には「第54回滋賀県母親大会」の看板が立てられておりました。10月26日(日)に米原小学校・中学校で開催と書いてありましたが、この建物も使われるのかどうかは不明です。母親大会というものがどういうものかよくわからないのですが、損得抜きで子どもに愛情を注ぐお母さんたちの教育への熱い思いがぶつかりあう大会なのでしょうね。
一方、前庭の中に寂しく佇む一つの像を発見いたしました。
かつてはどの学校でも見ることができた二宮尊徳像です。銅像の礎には「報徳」の文字が刻まれておりました。この像は違いますが、二宮金次郎さんの像といえば背中に薪を背負いながら読書をしておられる姿が特徴的でありました。また現在「報徳」などという言葉を聞いても頭に思い浮かぶのは高校野球の「報徳学園」くらいなのではないでしょうか。
改めて報徳思想を調べてみますと、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説くもので、その根幹を成す「至誠、勤労、分度、推譲」の教えなどは、特に今の世情においてはその必要性が身にしみて感じられます。
私は道徳家でもありませんので、偉そうなことを言える立場にはありませんが、玄関に堂々と立てられた母親大会の看板と、半ば見捨てられた尊徳像を見て複雑な思いを抱かざるを得ませんでした。