おとなとこども
テーマ:まちづくり
2015/01/22 08:58
長浜市では近年、成人式は成人の日の前日の日曜日に行われるようで、教育委員も来賓としての招待状を頂くのですが、生憎日曜日は仕事で一度も出席させていただいたことはありません。
さて年齢的に20歳になれば、誰もが大人になるわけですが、先日読んだ「街場の共同体論」(内田樹/潮出版社)に、本当の意味での「おとな」は今の日本では5%、つまり20人に一人くらいしかいないのではないか、と書かれていました。
「おとな」というのはシステムの保全を自分の仕事だと思う人、わかりやすく言うと、例えば道に空き缶が落ちていたら、さくっと拾って自分の家に持ち帰り、空き缶のゴミ袋に入れて、ゴミの日に出すような人だというわけです。
道路に落ちた空き缶を拾うことは誰にとっても「自分の仕事」ではない。自分が捨てたわけではないから。そんなものは捨てた奴が拾うべきであって、通りがかりの人間の責任ではない。もちろんこれも理屈で、そういうのは「みんなの仕事」ではあっても「自分の仕事」ではない。大抵の人はそう考えるのではないでしょうか。
で、筆者は「こども」と「おとな」の違いは簡単だと言います。つまり、「こども」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事じゃない」と思い、「おとな」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事だ」と思う。これだけだと。
学校現場でも、多くの先生方が「おとな」のような子供に助けられ、あるいは「こども」のような大人に手を焼かれているのではないでしょうか。
筆者は何も全員が「おとな」である必要はないが、おとなの比率が7%、つまり15人に一人はいないと社会システムは破綻し始め、破綻した時に「システム回復は自分の業務契約に入っていない」「そんなリスクがあるとは前任者から引き継いでいない」「そもそも想定外だった」と責任を転嫁するのが「こども」の特徴だと。
一人でも多くの「おとな」を育てられるよう、そしてまず第一に自分が「おとな」であれるように心がけたいと思います。
今日は午後1時30分から教育委員会の2月定例会。毎回冒頭に委員長としてあいさつをするのですが、今日はこんな感じの話をしようかな、と書いてみました。でも、話し言葉では「大人」と「おとな」の区別がしにくいので、やっぱりやめよっと。
さて年齢的に20歳になれば、誰もが大人になるわけですが、先日読んだ「街場の共同体論」(内田樹/潮出版社)に、本当の意味での「おとな」は今の日本では5%、つまり20人に一人くらいしかいないのではないか、と書かれていました。
「おとな」というのはシステムの保全を自分の仕事だと思う人、わかりやすく言うと、例えば道に空き缶が落ちていたら、さくっと拾って自分の家に持ち帰り、空き缶のゴミ袋に入れて、ゴミの日に出すような人だというわけです。
道路に落ちた空き缶を拾うことは誰にとっても「自分の仕事」ではない。自分が捨てたわけではないから。そんなものは捨てた奴が拾うべきであって、通りがかりの人間の責任ではない。もちろんこれも理屈で、そういうのは「みんなの仕事」ではあっても「自分の仕事」ではない。大抵の人はそう考えるのではないでしょうか。
で、筆者は「こども」と「おとな」の違いは簡単だと言います。つまり、「こども」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事じゃない」と思い、「おとな」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事だ」と思う。これだけだと。
学校現場でも、多くの先生方が「おとな」のような子供に助けられ、あるいは「こども」のような大人に手を焼かれているのではないでしょうか。
筆者は何も全員が「おとな」である必要はないが、おとなの比率が7%、つまり15人に一人はいないと社会システムは破綻し始め、破綻した時に「システム回復は自分の業務契約に入っていない」「そんなリスクがあるとは前任者から引き継いでいない」「そもそも想定外だった」と責任を転嫁するのが「こども」の特徴だと。
一人でも多くの「おとな」を育てられるよう、そしてまず第一に自分が「おとな」であれるように心がけたいと思います。
今日は午後1時30分から教育委員会の2月定例会。毎回冒頭に委員長としてあいさつをするのですが、今日はこんな感じの話をしようかな、と書いてみました。でも、話し言葉では「大人」と「おとな」の区別がしにくいので、やっぱりやめよっと。