命日とは

テーマ:よもやま話
長年、長浜専門店会そして商店街の名実ともにリーダーであられた、S酒店そしてSふとん店の会長さんが、昨日、一昨日と続けて、本当に二人連れ添うようにあの世へと旅立って行かれました。お二人のご功績に深く敬意を表するとともに、哀悼の意を捧げたいと思います。

さて、昨日はまずS酒店さんのお通夜に参列してまいりました。最後にごえんさんの法話がありまして、「皆さんなぜ亡くなった日を命日というかわかりますか?」と尋ねられました。それはそういう用語として捉えていて、意味を深く考えたことは確かにありませんでしたわ。

「命の日」なんだから、むしろ誕生日こそそう呼んでいいのではないかと思っていた、と語りながら、ごえんさんは「これはやはり人の死を機会として、残されたものが人の一生の無常さを悟り、命というものについて考えることができる」からなのではないでしょうか、とおっしゃっておられました。

なるほどと思いながらも、帰りまして色々と調べてみたところ、一説には本来死亡した日のことを「命過日(めいかにち)」すなわち、命が過ぎ去った日と言ったそうで、これを「命日」と略したそうな。

もう一つ、より説得力を持った説は、帰命無量寿如来の命、すなわち弥陀仏のご命令という意味で「命」を使ったというもの。つまり、念仏者にとって命日とは、阿弥陀仏の「お浄土へ来いよ」という呼びかけに、「はい今から参ります」と心も体もうなずけた日だというわけです。

「命」という字は、「人を集めて口で意向を表明し伝えるさま」を示しており、特に神や君主が意向を表明することを現しているそうです。「命(めい)」には「天の意向を自分の責任として自覚したもの」あるいは「天の定めを避けがたいものとして自覚したもの」という意味合いもあるようです。

そういう意味では、「命日はおしまいの日ではなく、始まりの日なのです」とも書かれていました。「命」を「いのち」とするか「命令」と考えるかで、また死後の世界があると信じるか信じないかで「命日」の意味も違うものになるのかもしれませんね。

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