唐津くんち
テーマ:旅日記
2014/06/21 08:58
よく友達の家を「◯◯君ち」なんていう言い方をいたしますよね。そうそう、我々も佐賀へ行ったからは、ユネスコの無形文化遺産登録を待つ山・鉾・屋台連合会仲間である「唐津くんち」へ行かないわけには参りません。
もっとも、「くんち」というのは祭礼の名前でして、供日、あるいは祭礼日の9日(くにち)から来たとも言われているようです。元々は唐津神社の本殿祭である10月29日に行われていたようですが、観光的・人的理由からかくんち行事は昭和43年に現行の11月2,3,4日に変更になったようです。
まず訪れたのは曳山展示場
長浜の曳山博物館のようなものですが、唐津市民会館と隣接し唐津神社は目の前に。長浜と異なり、14基の曳山が修理中のものは除き全て収納されています。当展示場は唐津城、そして後述の西の館とともに運営者は唐津文化事業団とのこと。
建物の裏側の曳山搬入扉
一番目立つ5番山「鯛」
大型獅子舞のイメージ
館内のテレビでおくんちの様子が映しだされていましたが、だんじりや山笠のように曳き廻しがメインで、特に西の浜お旅所での砂地での曳込み、曳出しが最大の見せ場。
さて長浜の曳山博物館N館長のご手配で、唐津神社の宮司さんと曳山取締会の役員さんにもお時間を割いていただき、修理中の山車を見せてもらったり、神社の社務所で色々な話を聞かせてもらうこともできました。
修理ドックのある西の館
修理ドック内は撮影禁止でしたので写真はありませんが、6番山の「鳳凰丸」(大石町)が修理中。ちなみに唐津は作成順に1番山、2番山という順番がつけられており、最古の1番山は文政2年(1819)建造の「赤獅子」(刀町)。
30年という短い周期で各山順番に漆、彫金の塗替が行われ、費用負担は国が1/2、県が1/4、市と地元が1/8。地元に塗箔師や彫金業者は居られず、全国的な仏壇屋さんの関連会社である「はせがわ美術工芸」さんが一手に修復を手がけておられるようです。
祭は曳山取締会という長浜で言う総当番のような組織によって運営され、そのトップの総取締は各町の取締の推薦によって選ばれるのですが、長浜の総当番委員長のように毎年変わるのではなく、一期4年の任期で、中には8年、12年と務められる方もいらっしゃるそうです。
材木町、本町、魚屋町など町名が現在も行政上のそれとしても使われている山組組織。元々は消防団組織だったため火消装束が正装。曳き手や女子の参加の可否などの決まり事は町によって若干異なり、一番人口の少ない呉服町は町内(出身者も含む)以外の人間が山を曳くことは許されないそうです。
獅子型4基、兜型4基、その他6基
wikipediaによれば、地元の子どもたちは「10人のインディアン」の曲の替え歌で「赤獅子青獅子浦島太郎、義経鯛山鳳凰丸(この歌ではほうまる、と発音する)飛龍、金獅子武田上杉頼光、珠取鯱七宝丸」と歌いながら曳山の順番を覚えるそうな。
唐津神社宮司さんのお話によれば、坂井唐津市長も山組で新町(飛龍)の方だとか。いやいや、もっと驚いたことに古川佐賀県知事までもが山組、それも最も厳格な呉服町出身だそうで、知事さんでも特別扱いは受けず「祭の時だけ来てなんばしとっちょ」とか怒られるそうです。家も「古川くんち」呼ばわりなんでしょうな。
もっとも、「くんち」というのは祭礼の名前でして、供日、あるいは祭礼日の9日(くにち)から来たとも言われているようです。元々は唐津神社の本殿祭である10月29日に行われていたようですが、観光的・人的理由からかくんち行事は昭和43年に現行の11月2,3,4日に変更になったようです。
まず訪れたのは曳山展示場
長浜の曳山博物館のようなものですが、唐津市民会館と隣接し唐津神社は目の前に。長浜と異なり、14基の曳山が修理中のものは除き全て収納されています。当展示場は唐津城、そして後述の西の館とともに運営者は唐津文化事業団とのこと。
建物の裏側の曳山搬入扉
一番目立つ5番山「鯛」
大型獅子舞のイメージ
館内のテレビでおくんちの様子が映しだされていましたが、だんじりや山笠のように曳き廻しがメインで、特に西の浜お旅所での砂地での曳込み、曳出しが最大の見せ場。
さて長浜の曳山博物館N館長のご手配で、唐津神社の宮司さんと曳山取締会の役員さんにもお時間を割いていただき、修理中の山車を見せてもらったり、神社の社務所で色々な話を聞かせてもらうこともできました。
修理ドックのある西の館
修理ドック内は撮影禁止でしたので写真はありませんが、6番山の「鳳凰丸」(大石町)が修理中。ちなみに唐津は作成順に1番山、2番山という順番がつけられており、最古の1番山は文政2年(1819)建造の「赤獅子」(刀町)。
30年という短い周期で各山順番に漆、彫金の塗替が行われ、費用負担は国が1/2、県が1/4、市と地元が1/8。地元に塗箔師や彫金業者は居られず、全国的な仏壇屋さんの関連会社である「はせがわ美術工芸」さんが一手に修復を手がけておられるようです。
祭は曳山取締会という長浜で言う総当番のような組織によって運営され、そのトップの総取締は各町の取締の推薦によって選ばれるのですが、長浜の総当番委員長のように毎年変わるのではなく、一期4年の任期で、中には8年、12年と務められる方もいらっしゃるそうです。
材木町、本町、魚屋町など町名が現在も行政上のそれとしても使われている山組組織。元々は消防団組織だったため火消装束が正装。曳き手や女子の参加の可否などの決まり事は町によって若干異なり、一番人口の少ない呉服町は町内(出身者も含む)以外の人間が山を曳くことは許されないそうです。
獅子型4基、兜型4基、その他6基
wikipediaによれば、地元の子どもたちは「10人のインディアン」の曲の替え歌で「赤獅子青獅子浦島太郎、義経鯛山鳳凰丸(この歌ではほうまる、と発音する)飛龍、金獅子武田上杉頼光、珠取鯱七宝丸」と歌いながら曳山の順番を覚えるそうな。
唐津神社宮司さんのお話によれば、坂井唐津市長も山組で新町(飛龍)の方だとか。いやいや、もっと驚いたことに古川佐賀県知事までもが山組、それも最も厳格な呉服町出身だそうで、知事さんでも特別扱いは受けず「祭の時だけ来てなんばしとっちょ」とか怒られるそうです。家も「古川くんち」呼ばわりなんでしょうな。