彦根城救った大くま

テーマ:まちづくり
近いと言えば近いのにお隣彦根のことはよく知らないことが多いですね。彦根城は姫路、犬山、松本と並んで国宝4城の一つ。う~ん、これくらいは知ってるな。でも、何で国宝なのか?それだけ残っているお城が少ないということか。

幕末には全国に180ものお城があったそうですが、明治6年に廃城令が布告されます。当時は城郭が文化財という意識はほとんどなく、封建時代の遺物、また反政府勢力の拠点になるという恐れから、積極的に破壊がすすめられたそうです。

廃城対象は全国で144城。天守閣が創建時のまま残った城は、国宝4城以外では松江、高知、伊予松山、丸岡、備中松山、弘前、丸亀、宇和島のわずか12城。意外と四国に多いですね。

何で彦根城が残ったか御存知ですか?日経の連載コラム「熱風の日本史」の第1回「旧物破壊の嵐」の中でこの件が取り上げられていたのですが、実はこの城も取り壊しに遭う運命だったそうで、明治11年10月には足場が組まれ解体作業が始まろうとしていたんですと。

さて、この時ちょうど明治天皇が北陸巡幸から京都に戻られる途中で近隣の円照寺にご宿泊。天皇に同行していた参議大隈重信がたまたま城見物に訪れたところ、「何?これから解体だと。武士の魂の入れ物である天守閣消失は余りにも惜しい」と、天皇に保存を上奏。

明治天皇もこれを許可し、135年前の昨日10月15日、宮内卿名で滋賀県令に保存が命じられたそうです。廃城令で壊された城跡には軍や政府の役所が置かれることが多く、もし彦根城が解体されていたら滋賀県の県庁所在地は彦根になっていた可能性が高いようです。

さて、どっちが良かったのか何とも言えませんが、事実上天守閣保存に導いた大隈重信の存在は大ですな。彦根城を救ったのはひこにゃんじゃなくて、明治のくまもんだったのね。

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