教如上人とひるかしわ

テーマ:まちづくり
最近長浜をめぐる最大の特ダネといえば、やはり「教如上人仮名消息」でしょうか。石山本願寺退去の不安を書いた母への直筆が個人宅で見つかったというもの。

現在長浜城歴史博物館で公開中ということでしたので、一昨日多賀大社の帰り、もっと言うなら塩元帥でお腹をふくらました後、立ち寄って参りました。折しも博物館は「特別企画 羽柴秀吉天下統一への足跡」の第4回テーマ展「顕如・教如と一向一揆」が開催中。

本願寺と信長との石山合戦というのは日本史で習ったと思いますが、起こった事実を覚えているだけで、それが歴史的にどんな意味があったとか深いことを考えたことはありませんでした。それに家は真宗門徒とはいえ、私はなんちゃって門徒ですから。

1580年4月に信長との勅命講和を受け入れ顕如上人が本願寺を退去するのですが、顕如の子・教如は徹底抗戦をとなえて8月まで籠城。この際の本願寺内の意見や行動の相違が、後に本願寺の東西分派につながったそうであります。

私はてっきりあんまりでかすぎると、また悪いことをしでかすので家康あたりが策を講じてわざと分割させたんかと思っていたのですが、元々割れる原因はここにあったんですね。教如さんがお母さんに弱音を吐いたのもむべなるかな。

さて直筆の仮名消息、「はぁ~、これがそうですかぁ」と言って眺めるしかないわけですが、たまたま居合わせておられた館長さんに「個人蔵とありますが、やっぱりどこの誰というのは明かしてくれるなということですか?」と尋ねますと「そうです。厳秘です」と。「旧長浜市の方ですか」「それも申し上げられません」と。

3階は常設展示かと思いましたら、引札の特別展示が継続中でした。今回は南呉服町、大手町、横町、神戸町、宮町ゆかりの引札約70点の展示だそうですが、やはりこれだけ並ぶと見応えがありますね。

最後の方に「鳥◯」(忘れました)とかいう鳥料理のお店の引札がありまして、そこに「ひるかしわ」と謳い文句が書かれておりました。「ひるかしわ」て何?「かしわ」は鶏肉でしょうけど、「ひる」って何?

まさか血を吸う「蛭(ひる)」なわけないし、夜ではなくて昼飯用の鶏肉か?と考えていましたら、館長が「ひるってのは『あひる』のことですわ」と。帰って調べてみると、今でいう「合鴨」(鴨とあひるの交雑種)ですな、これ。

京都や大阪では「ひる」という俗称があったそうで、それが当地でも使われていたんでしょうけど、「かしわ」はもとより「ひる」じゃあ、ちょっと食う気がしませんな。教如上人仮名消息は10月7日まで、引札は10月17日までですので、是非ご来館下さいませ。

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