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テーマ:よもやま話
日経新聞の「私の履歴書」、今月は作家の渡辺淳一氏が執筆。渡辺淳一さんといえば、同紙で「失楽園」や「愛の流刑地」を連載、日経は読まなくても、その連載小説だけは知っている、というくらい有名になりましたね。

氏が作家になったのは、当然のことながら才能があったからではありましょうが、「中学校時代から短歌の世界に馴染んだことが、小説の世界に踏み出す原点になったことは言うまでもない」と自己分析されております。

中学3年の頃から、国語の先生で歌人の中山先生にすすめられるままに作った短歌。それが褒められ、大きな文学的刺激を受けたことはまぎれもない事実だと。それにしても、こんなのが中学生の歌なんですかねえ。

地吹雪の間隙に見えし固きもの開拓時代の碑石なるらむ

夜を俄かに思ひ出せり生くる事の訳わからなくなり母を呼びたり

自殺せる人の如くにつきつめよとすぐ恐ろしく忘れむとす

あざやかに笑い出だしし男らの不純を怒れ勝つことはなし

一つ床に弟抱きてい寝ながらいつかは死ぬと思ふ事ありぬ

机の前の母のかかげし尊徳の額に向かひて反撥を抱けり

漠然と昨日の我を悔ゆる蜜柑の皮のあどけなく散る


「他に自然への手がたい写実歌もあるが、この種の自己の心を掘り下げて詠んだものの方に、特色が見られる。このような内面への興味が、やがて歌の上だけの表現では飽き足らなくなり、より自在な小説の世界へ、足をふみいらせていったのかもしれない」という先生の後の論評も紹介されておりました。

まあ、中学校から高校にかけての多感な時期ですから、こんなことを考えることはあっても、こういう歌として表現できるとは。それに飽き足らなくなり小説家に、さらに普通の小説では飽き足らなくなり、あんなものを....。

いや、それは置いといて、やはり学校の先生の影響というのは大きいものなんですね。啖呵を切って体罰よりも短歌を褒めて小説家。英語のeducateは元々「教える」というよりも「可能性を引き出す」という意味だそうです。教育とはそうあるべし、と思うのですが。

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