宮島の干(ひ)すとりい
テーマ:旅日記
2010/01/30 09:12
さて宮島、最近は繁殖し過ぎたサルが「居付く島」になって問題になっておりますが、言うまでもなく日本三景の一つでございます。しかし、ただ物見遊山で行くだけでは面白くない、と考えますのが、我ら長浜専門店会(ショップ)青年部であります。
今回も前回に引き続いて研修委員長をお引き受け下さいましたS酒店さんの計らいで、長浜八幡宮の宮司さんを通じて、神社庁から厳島神社に依頼をしていただき、内陣にて正式参拝をさせていただくことと相成りました。
朱塗りの回廊を渡って、本殿へと向かいます。
厳島神社は、数年前の台風直撃により甚大な被害を受けたわけですが、所々にその爪痕が残り、塗り直された朱色の柱の一部には着色防止のビニールシートが巻かれておりました。もっとも被害を受けることを前提とした作りとなっているのも事実で、回廊の敷板などは潮位が床面より高くなった時に、水圧をまともに受けないようにこのように隙間が空けられております。
それにしても、満潮時にはまさに「海の上に立つ社」となるこの位置に神社を造営した平清盛のセンスにはただ驚くばかりです。平家は滅んでしまいましたが、この厳島神社はその偉大なる遺品として850年後の現代まで生き続けているわけです。
さて、私たちの参拝の準備が整いますと、白いチョッキのような装束を身にまとった代表者(青年部部長のT君)を先頭に9名が内陣に入り、横一列に並び、祝詞と御幣によるお祓いを拝受いたします。暖房の効いた待合室とはうって変わり冷たい潮風が背後から迫り、身も心も引き締まります。この後、玉串奉奠、拍手礼拝の儀式を滞りなく済ませまして、最後に土器に御神酒を頂戴いたします。
さて、潮が引いており、せっかくですので大鳥居の近くまで行くこととなりました。
この大鳥居、遠くからですとそれほど大きなものには見えませんが、高さ16m、主柱の直径も11mもあり、掲げられた額は何と畳3畳分の大きさだとか。ほぼ100年に一度取り替えられてきたそうですが、現在のものは既に130年を経過。
最早日本にこんなに太い径を持ったクスノキはなかなか見つからないといいます。「どこかにあったら教えてください」そう神主さんはおっしゃっておりました...。
(追記)
私自身、宮島は中学生の時に父に連れて行ってもらって以来35年ぶり。「確かあの時は満潮で日本三景にふさわしい景色を堪能した」つもりだったのですが、アルバムを見直すと、
あれま!干潮じゃん。しかも同じような写真撮って....。進歩ございませんな。
今回も前回に引き続いて研修委員長をお引き受け下さいましたS酒店さんの計らいで、長浜八幡宮の宮司さんを通じて、神社庁から厳島神社に依頼をしていただき、内陣にて正式参拝をさせていただくことと相成りました。
朱塗りの回廊を渡って、本殿へと向かいます。
厳島神社は、数年前の台風直撃により甚大な被害を受けたわけですが、所々にその爪痕が残り、塗り直された朱色の柱の一部には着色防止のビニールシートが巻かれておりました。もっとも被害を受けることを前提とした作りとなっているのも事実で、回廊の敷板などは潮位が床面より高くなった時に、水圧をまともに受けないようにこのように隙間が空けられております。
それにしても、満潮時にはまさに「海の上に立つ社」となるこの位置に神社を造営した平清盛のセンスにはただ驚くばかりです。平家は滅んでしまいましたが、この厳島神社はその偉大なる遺品として850年後の現代まで生き続けているわけです。
さて、私たちの参拝の準備が整いますと、白いチョッキのような装束を身にまとった代表者(青年部部長のT君)を先頭に9名が内陣に入り、横一列に並び、祝詞と御幣によるお祓いを拝受いたします。暖房の効いた待合室とはうって変わり冷たい潮風が背後から迫り、身も心も引き締まります。この後、玉串奉奠、拍手礼拝の儀式を滞りなく済ませまして、最後に土器に御神酒を頂戴いたします。
さて、潮が引いており、せっかくですので大鳥居の近くまで行くこととなりました。
この大鳥居、遠くからですとそれほど大きなものには見えませんが、高さ16m、主柱の直径も11mもあり、掲げられた額は何と畳3畳分の大きさだとか。ほぼ100年に一度取り替えられてきたそうですが、現在のものは既に130年を経過。
最早日本にこんなに太い径を持ったクスノキはなかなか見つからないといいます。「どこかにあったら教えてください」そう神主さんはおっしゃっておりました...。
(追記)
私自身、宮島は中学生の時に父に連れて行ってもらって以来35年ぶり。「確かあの時は満潮で日本三景にふさわしい景色を堪能した」つもりだったのですが、アルバムを見直すと、
あれま!干潮じゃん。しかも同じような写真撮って....。進歩ございませんな。