小沢一郎と原敬

テーマ:政治
「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件で渦中の人となっている小沢一郎氏。目下我が国の最高権力保持者であることはだれの目にも疑いない。小沢氏は師である田中角栄氏と比較されることが多いが、実は小沢氏が最も尊敬している政治家は原敬である。

原敬とは明治~大正期にかけての政治家で初の「平民宰相」として国民的人気を博した、と確か社会の時間に習ったような気がする。が、何故小沢は原敬をそんなに慕うのか。同郷岩手の人だからか?

近代へと歩みだした日本には侵略と戦争への道のほかに進路はなかったのか、というテーマで書かれた「近代日本の分岐点」という本を読んでいたら、先の疑問の答えになるような箇所が登場して来たので、紹介したい。

『原敬政治の基本は、身もふたもないほど明快、率直な「数の論理」だった。彼の理想は藩閥官僚群に代わって政友会を明治国家の権力相続人にすることだったが、その道筋は党の結束-指導力確立-政友会勢力の扶植-絶対多数の確保である。

大正三年、政友会総裁に就任した原は党員に対する挨拶の中で「もとより党勢の拡張、党員の結束は党の利益に相違ないのでありますが、いかにして憲政の発展を図るかということに思い至るならば、わが党のなすことは当然であります。国家の重きを担って国家に貢献せんと欲すれば、ますます党員の結束を強固にせざるを得ず、これ国家に貢献する所以なりと思います」と述べた。

端的にいえば「党勢を拡張して大政友会を築くことが国家に貢献する道だ」ということになり、政友会という政党と国家を同一視して一党独裁国家に流れかねない傾きすらあった。』

まるで、小沢氏を見ているようであるが、作家の武者小路実篤などは世界と日本という角度で原政治を高く評価し次のように述べている。

『僕は総理大臣として及第点を与えることができる人は、原敬以外に一人もないように思っているのだ。少なくとも原敬だけは政治家だったような気がした。それは高段者の碁打ちが、自分の置く石の効果を一々知って石を打ち、将棋の高段者が持ち駒を活かして使うのに似ている。

他の人には気がつかないうちに、かれは日本の地位を自分の思っている方向へ動かそうとしている。そこに政治家らしい思想と実力を持っているのを感じ、信頼できる政治家だと思った』

最後の政治家と言われる小沢一郎。悪いことをしているかもしれないけど、果たして葬り去るに値するようなことなのか?稀有の政治力への期待と剛腕への不安がない交ぜになって、民主党の議員もマスコミも、そして国民自身も扱いあぐねているのではないか?

それにしても、彼らは確かによく似ている
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