お乳で語る
テーマ:曳山・歌舞伎
2014/04/08 09:47
一昨日、つまり日曜日から曳山祭青海山の稽古に義太夫・三味線として入ったのですが、昨日は三味線さんが都合でお休みされましたので、三味線の伴奏なしで浄瑠璃を語ることに。
ちなみに、三味線の音無しで浄瑠璃の稽古をするのを「叩き」と称するそうですが、これはお師匠さんが扇子で台や膝を叩きながら調子を取ることから来ているようです。三役塾には誰かしら三味線を弾いて下さる方がいらっしゃいますので、こういう形でやるのは初めてだったかも。
振付さんがキッカケのところや途中のメリヤスなどは口三味線でやって下さるのですが、なかなか普段の調子や音程で語るのは難しいですね。しかし音程が多少外れても「間(ま)」さえ外さなければ、子供たちはそれに合わせて上手く演技をしてくれます。いかに間が大事ということですね。
一昨日は「通し稽古」つまり途中中断無しで最後まで流す稽古でしたが、昨日は途中で止めて、「ここはもうちょっと手の振りを大きく」とか「目をつぶって気持ちを込めて泣く」とか、振付さんが逐一指導を加えながら進めて行かれました。
そんな中、主役の乳母・重乃井への指導。「あのね、女形はお乳で語らなあかん。特にあなたは御乳の人なんやさかい余計にや」とおっしゃる。口先でセリフを言うのではなく、お乳で円を描くように語ると感情もこもり、所作も大きくなるでしょ、と。
「目は口ほどに物を言い」というように、目を大きく見開いたり、細く閉じたりして表情を作ることは存じ上げておりましたが、お乳がお口以上に物を言うとはねぇ。私も重乃井のパートのところの浄瑠璃はお乳で語ってみようかな。
ちなみに、三味線の音無しで浄瑠璃の稽古をするのを「叩き」と称するそうですが、これはお師匠さんが扇子で台や膝を叩きながら調子を取ることから来ているようです。三役塾には誰かしら三味線を弾いて下さる方がいらっしゃいますので、こういう形でやるのは初めてだったかも。
振付さんがキッカケのところや途中のメリヤスなどは口三味線でやって下さるのですが、なかなか普段の調子や音程で語るのは難しいですね。しかし音程が多少外れても「間(ま)」さえ外さなければ、子供たちはそれに合わせて上手く演技をしてくれます。いかに間が大事ということですね。
一昨日は「通し稽古」つまり途中中断無しで最後まで流す稽古でしたが、昨日は途中で止めて、「ここはもうちょっと手の振りを大きく」とか「目をつぶって気持ちを込めて泣く」とか、振付さんが逐一指導を加えながら進めて行かれました。
そんな中、主役の乳母・重乃井への指導。「あのね、女形はお乳で語らなあかん。特にあなたは御乳の人なんやさかい余計にや」とおっしゃる。口先でセリフを言うのではなく、お乳で円を描くように語ると感情もこもり、所作も大きくなるでしょ、と。
「目は口ほどに物を言い」というように、目を大きく見開いたり、細く閉じたりして表情を作ることは存じ上げておりましたが、お乳がお口以上に物を言うとはねぇ。私も重乃井のパートのところの浄瑠璃はお乳で語ってみようかな。
仮名手本の手本
テーマ:曳山・歌舞伎
2014/04/07 09:23
今年の曳山祭で月宮殿が演ずる「碁盤太平記 山科閑居」は私にとって因縁浅からぬ芸題。最近では萬歳楼が平成13年に上演していますが、遡ること昭和46年にはわが翁山も。当時私は小学校5年でまさに子供役者としては油の乗り切った年齢。
主役の大石内蔵助役で出場することが内定していたものの、祖母が3月初旬に亡くなったため出場断念を余儀なくされました。さて、実は今年垂井祭でも中町紫雲閣が同題を上演するのですが、当初太夫として出場する予定が、急遽長浜の青海山に出ることとなり、垂井は別の太夫さんに交代していただきました。
碁盤太平記は近松門左衛門の作品なのですが、赤穂浪士の事件を描いており、仮名手本忠臣蔵とは異なり大石内蔵助などが実名で演じられております。ところが垂井では大星由良之助、力弥などの役名が使われることがわかり、しかも近松のオリジナル作品はそうだったのだというではありませんか。
たまたま昭和46年の翁山のパンフレットを読んでおりましたら、演劇評論家(元京都観世会事務局長)の権藤芳一さんの寄稿文が掲載されており、このあたりの経緯が書かれておりました。
初演は宝永三年に人形浄瑠璃として上演されたのですが、実は先に上演された前編「兼好法師物見事」があり、これは仮名手本同様「太平記」の時代に擬したもので、師直が判官に詰め腹を切らせ判官の家老八幡六郎が復讐を誓うところで終わっているそうです。
赤穂浪士の事件は劇作家としてはぜひ取り上げたい恰好の題材であったわけですが、浪士切腹の二週間後に演じられた「曙曽我夜討」は曽我兄弟の夜討を義士の夜討に擬したもので、当局から目をつけら三日で上演禁止となったとか。
近松が世の中の情勢を伺いながら事件の4年後に前述の「兼好法師」を世に出し、注意深く当局の反応を打診した上で続編である「碁盤太平記」を書いたそうな。原作の冒頭では家老八幡六郎が(大石の実名に近い)大星由良之助に改名したことになっているそうで、赤穂事件を取り上げる近松の本気モードが伺えます。
この作品の成功によって歌舞伎や浄瑠璃で次々と赤穂浪士の話を脚色した劇が上演されるようになったのですが、その最高傑作が「仮名手本忠臣蔵」。
仮名手本忠臣蔵は「碁盤太平記」に負うところが多く、「大星」「師直」以下役名はほとんど踏襲しているし、俗に「九段目」と呼ばれる「山科閑居の段」の構想はこの「碁盤太平記」の「山科閑居」に拠っているというわけです。まさに仮名手本の手本になる作品なのですね。
主役の大石内蔵助役で出場することが内定していたものの、祖母が3月初旬に亡くなったため出場断念を余儀なくされました。さて、実は今年垂井祭でも中町紫雲閣が同題を上演するのですが、当初太夫として出場する予定が、急遽長浜の青海山に出ることとなり、垂井は別の太夫さんに交代していただきました。
碁盤太平記は近松門左衛門の作品なのですが、赤穂浪士の事件を描いており、仮名手本忠臣蔵とは異なり大石内蔵助などが実名で演じられております。ところが垂井では大星由良之助、力弥などの役名が使われることがわかり、しかも近松のオリジナル作品はそうだったのだというではありませんか。
たまたま昭和46年の翁山のパンフレットを読んでおりましたら、演劇評論家(元京都観世会事務局長)の権藤芳一さんの寄稿文が掲載されており、このあたりの経緯が書かれておりました。
初演は宝永三年に人形浄瑠璃として上演されたのですが、実は先に上演された前編「兼好法師物見事」があり、これは仮名手本同様「太平記」の時代に擬したもので、師直が判官に詰め腹を切らせ判官の家老八幡六郎が復讐を誓うところで終わっているそうです。
赤穂浪士の事件は劇作家としてはぜひ取り上げたい恰好の題材であったわけですが、浪士切腹の二週間後に演じられた「曙曽我夜討」は曽我兄弟の夜討を義士の夜討に擬したもので、当局から目をつけら三日で上演禁止となったとか。
近松が世の中の情勢を伺いながら事件の4年後に前述の「兼好法師」を世に出し、注意深く当局の反応を打診した上で続編である「碁盤太平記」を書いたそうな。原作の冒頭では家老八幡六郎が(大石の実名に近い)大星由良之助に改名したことになっているそうで、赤穂事件を取り上げる近松の本気モードが伺えます。
この作品の成功によって歌舞伎や浄瑠璃で次々と赤穂浪士の話を脚色した劇が上演されるようになったのですが、その最高傑作が「仮名手本忠臣蔵」。
仮名手本忠臣蔵は「碁盤太平記」に負うところが多く、「大星」「師直」以下役名はほとんど踏襲しているし、俗に「九段目」と呼ばれる「山科閑居の段」の構想はこの「碁盤太平記」の「山科閑居」に拠っているというわけです。まさに仮名手本の手本になる作品なのですね。
15年おきのお家芸
テーマ:曳山・歌舞伎
2014/04/06 09:09
昨日は曳山博物館の交替式が行われ、出番組の各山が自町へと戻って行きましたが、いよいよ祭も本番に近づいて参りました。
さて、今回私が太夫を務めさせていただきます北町青海山の芸題は「恋女房染分手綱 重乃井子別れの段」なのですが、北町としては戦後4回目、しかも15年おきにこの演目が掛かっているということを先日はじめて知りました。まさに青海山のお家芸ですね。
15年前と言うと平成11年ですが、今回くじ取り人を務めるM君が馬方三吉を演じたことをよく覚えています。彼は今年のパンフレットの中で「何回か役者として参加した中でも一番楽しかったという強い思い出がある」と述懐していましたが、子供にとって子役は素で演じられるからでしょうかね。
三吉(向かって左)を演じるM君
さて、遡ることさらに15年となると昭和59年。私は社会人2年目で東京におりましたのでこの時の芸は見ておりませんが、昔のパンフレットを見ていたら
こんな可愛らしいお姫様の写真が
これは通称「いやじゃ姫」と呼ばれる調姫という役なのですが、これを演じたのは何と現在プロの歌手として地元を中心に活躍中の~Lefa~のK君。
彼とは一昨年12月に曳山祭子供歌舞伎フォーラムの意見交換会でご一緒したのですが、その時に「5歳の時で自分が何をやるのかもわかっていなかったけど、内向的な性格だったのが、祭で自信がついて友だちをどんどん自分から作るように変わった」とおっしゃっていました。
そしてさらにその15年前の昭和44年。この時は私も8歳になっており、自分が曳山祭に出場した翌年ですのでよく覚えております。三吉を演じたのは現在大津で開業医をしている
同級生のI君
小学校で同クラスだったゆうこりんさんも彼の秀才ぶりはよく覚えていると常々おっしゃっています。三吉のような髪型の頭は糸びん頭というそうですが、彼の現在の頭も前から見るとまさにこんな感じ。とても素敵な中年になっておられます。
さて今回はどんなスターが生まれるのでしょうか。楽しみですね。
さて、今回私が太夫を務めさせていただきます北町青海山の芸題は「恋女房染分手綱 重乃井子別れの段」なのですが、北町としては戦後4回目、しかも15年おきにこの演目が掛かっているということを先日はじめて知りました。まさに青海山のお家芸ですね。
15年前と言うと平成11年ですが、今回くじ取り人を務めるM君が馬方三吉を演じたことをよく覚えています。彼は今年のパンフレットの中で「何回か役者として参加した中でも一番楽しかったという強い思い出がある」と述懐していましたが、子供にとって子役は素で演じられるからでしょうかね。
三吉(向かって左)を演じるM君
さて、遡ることさらに15年となると昭和59年。私は社会人2年目で東京におりましたのでこの時の芸は見ておりませんが、昔のパンフレットを見ていたら
こんな可愛らしいお姫様の写真が
これは通称「いやじゃ姫」と呼ばれる調姫という役なのですが、これを演じたのは何と現在プロの歌手として地元を中心に活躍中の~Lefa~のK君。
彼とは一昨年12月に曳山祭子供歌舞伎フォーラムの意見交換会でご一緒したのですが、その時に「5歳の時で自分が何をやるのかもわかっていなかったけど、内向的な性格だったのが、祭で自信がついて友だちをどんどん自分から作るように変わった」とおっしゃっていました。
そしてさらにその15年前の昭和44年。この時は私も8歳になっており、自分が曳山祭に出場した翌年ですのでよく覚えております。三吉を演じたのは現在大津で開業医をしている
同級生のI君
小学校で同クラスだったゆうこりんさんも彼の秀才ぶりはよく覚えていると常々おっしゃっています。三吉のような髪型の頭は糸びん頭というそうですが、彼の現在の頭も前から見るとまさにこんな感じ。とても素敵な中年になっておられます。
さて今回はどんなスターが生まれるのでしょうか。楽しみですね。
お値段以上ネットリ着物
テーマ:よもやま話
2014/04/05 09:06
先日、hokkorinさんがネットでリサイクル着物を「大人買い」したと書かれておりました。私は着物を普段着るわけではありませんが、曳山祭などの稽古の際には着用が必要で、普段着感覚で着られるものがもう少し欲しいと思っていたところでした。
そこで、コメントで「男物の着物のお買い得品ありませんやろか?」と尋ねてみると、hokkorinさんから「ありましたよ。でも男もんは着丈(女もんは少々おはしよりで調整できるから…)が合うのしかダメだから、選択肢は狭いと思います」という回答。
なるほど、なるほど、と思いまして、早速教えていただいた業者をネットで検索し開いたら、男性着物だけでも無数のリサイクル品が。しかも、それぞれの品についてあらゆる角度から写真が撮られていて、クリックすると拡大。さらに、しみやくすみや状態についてもコメントあり。
身丈、裄、袖丈、褄下、前巾、後巾についても詳細な寸法が記載されてありましたので、自分が現在所有している着物のそれを計り、その寸法を入れて再検索すると、自分に合いそうなサイズのものが絞られて出てまいります。何と便利な。その中から
泥大島紬羽織、着物、襦袢
亀甲模様西陣お召羽織、着物
紬着物
を注文し、数日で届きました。何と6点で25,000円ほど。あまり期待していなかったのですが、品質的に全く問題なし。今度は帯も探してみようかな。ええサイトを教えていただきまして誠にありがとうございました。
そこで、コメントで「男物の着物のお買い得品ありませんやろか?」と尋ねてみると、hokkorinさんから「ありましたよ。でも男もんは着丈(女もんは少々おはしよりで調整できるから…)が合うのしかダメだから、選択肢は狭いと思います」という回答。
なるほど、なるほど、と思いまして、早速教えていただいた業者をネットで検索し開いたら、男性着物だけでも無数のリサイクル品が。しかも、それぞれの品についてあらゆる角度から写真が撮られていて、クリックすると拡大。さらに、しみやくすみや状態についてもコメントあり。
身丈、裄、袖丈、褄下、前巾、後巾についても詳細な寸法が記載されてありましたので、自分が現在所有している着物のそれを計り、その寸法を入れて再検索すると、自分に合いそうなサイズのものが絞られて出てまいります。何と便利な。その中から
泥大島紬羽織、着物、襦袢
亀甲模様西陣お召羽織、着物
紬着物
を注文し、数日で届きました。何と6点で25,000円ほど。あまり期待していなかったのですが、品質的に全く問題なし。今度は帯も探してみようかな。ええサイトを教えていただきまして誠にありがとうございました。
更なる誤り
テーマ:言葉・漢字
2014/04/04 09:00
一昨日のstudioこほくの公開生放送は「三役修業塾」特集でして、実はこっそり出演してまいりました。そこで、タイトルの書かれたフリップの文字がどうも変だと思い、よく見てみると「曳山祭」の「曳」が「更」の「一」を取った字になっており、思わず「違うでしょ!」と大人げない指摘をしてしまいました。
この誤字についていつか書いたことがあるなと思い調べてみましたら、5年前に「曳尾(えいび)」という題のブログの中で、西中生の1/3が同様の誤りを犯していたことを指摘していました。
まず実生活の中で「曳山」の「曳」という字を使うことがほとんどないことに加えて、「更マイナス一」の方は、「更に」や「便」など頻繁に使う文字に含まれるから、ついつい習性で筆が動いてしまうんだろうと想像いたします。
さて誤りといえば、昨今「更なる(さらなる)」という言葉が当たり前のように使用されていますが、実はこれも文法上は誤り。この言葉が使われ始めた頃に妙な違和感を感じていたところ、野口悠紀雄さんが「超整理日誌」や「時間旅行の愉しみ」などの著書の中でその誤りを指摘され、溜飲を下げたことを覚えています。
すなわち、「さらに」という言葉は副詞であり、これを「さらなる」と活用することはできない。もし「さらに」が形容動詞の連用形で「さらなる」はその連体形であるとすると、終止形は「さらなり」となるが、これは「いうまでもない」という意味になってしまう。
もっとも最近では、NHKのアナウンサーも平気で使用しますし、それらしく掲載している辞書もあるようで、クリミアをいつの間にか乗っ取ってしまったロシアのような勢いを感じさせます。
そういうお前こそ、先日「さらなるごえんを」なんていうタイトルで書いてたじゃないかって?そうなんです。最初は「一層のごえんを」という題にしていたのですが、どうもしっくりこないんですよね、「一層の」では。
「さらに」のニュアンスを名詞にくっつけたい時に「さらなる」を上回る適語が見つからないというのも「さらなる」の「さらなる」利用を阻止することができない大きな要因でありましょう。
この誤字についていつか書いたことがあるなと思い調べてみましたら、5年前に「曳尾(えいび)」という題のブログの中で、西中生の1/3が同様の誤りを犯していたことを指摘していました。
まず実生活の中で「曳山」の「曳」という字を使うことがほとんどないことに加えて、「更マイナス一」の方は、「更に」や「便」など頻繁に使う文字に含まれるから、ついつい習性で筆が動いてしまうんだろうと想像いたします。
さて誤りといえば、昨今「更なる(さらなる)」という言葉が当たり前のように使用されていますが、実はこれも文法上は誤り。この言葉が使われ始めた頃に妙な違和感を感じていたところ、野口悠紀雄さんが「超整理日誌」や「時間旅行の愉しみ」などの著書の中でその誤りを指摘され、溜飲を下げたことを覚えています。
すなわち、「さらに」という言葉は副詞であり、これを「さらなる」と活用することはできない。もし「さらに」が形容動詞の連用形で「さらなる」はその連体形であるとすると、終止形は「さらなり」となるが、これは「いうまでもない」という意味になってしまう。
もっとも最近では、NHKのアナウンサーも平気で使用しますし、それらしく掲載している辞書もあるようで、クリミアをいつの間にか乗っ取ってしまったロシアのような勢いを感じさせます。
そういうお前こそ、先日「さらなるごえんを」なんていうタイトルで書いてたじゃないかって?そうなんです。最初は「一層のごえんを」という題にしていたのですが、どうもしっくりこないんですよね、「一層の」では。
「さらに」のニュアンスを名詞にくっつけたい時に「さらなる」を上回る適語が見つからないというのも「さらなる」の「さらなる」利用を阻止することができない大きな要因でありましょう。