仮名手本の手本

テーマ:曳山・歌舞伎
今年の曳山祭で月宮殿が演ずる「碁盤太平記 山科閑居」は私にとって因縁浅からぬ芸題。最近では萬歳楼が平成13年に上演していますが、遡ること昭和46年にはわが翁山も。当時私は小学校5年でまさに子供役者としては油の乗り切った年齢。

主役の大石内蔵助役で出場することが内定していたものの、祖母が3月初旬に亡くなったため出場断念を余儀なくされました。さて、実は今年垂井祭でも中町紫雲閣が同題を上演するのですが、当初太夫として出場する予定が、急遽長浜の青海山に出ることとなり、垂井は別の太夫さんに交代していただきました。

碁盤太平記は近松門左衛門の作品なのですが、赤穂浪士の事件を描いており、仮名手本忠臣蔵とは異なり大石内蔵助などが実名で演じられております。ところが垂井では大星由良之助、力弥などの役名が使われることがわかり、しかも近松のオリジナル作品はそうだったのだというではありませんか。

たまたま昭和46年の翁山のパンフレットを読んでおりましたら、演劇評論家(元京都観世会事務局長)の権藤芳一さんの寄稿文が掲載されており、このあたりの経緯が書かれておりました。

初演は宝永三年に人形浄瑠璃として上演されたのですが、実は先に上演された前編「兼好法師物見事」があり、これは仮名手本同様「太平記」の時代に擬したもので、師直が判官に詰め腹を切らせ判官の家老八幡六郎が復讐を誓うところで終わっているそうです。

赤穂浪士の事件は劇作家としてはぜひ取り上げたい恰好の題材であったわけですが、浪士切腹の二週間後に演じられた「曙曽我夜討」は曽我兄弟の夜討を義士の夜討に擬したもので、当局から目をつけら三日で上演禁止となったとか。

近松が世の中の情勢を伺いながら事件の4年後に前述の「兼好法師」を世に出し、注意深く当局の反応を打診した上で続編である「碁盤太平記」を書いたそうな。原作の冒頭では家老八幡六郎が(大石の実名に近い)大星由良之助に改名したことになっているそうで、赤穂事件を取り上げる近松の本気モードが伺えます。

この作品の成功によって歌舞伎や浄瑠璃で次々と赤穂浪士の話を脚色した劇が上演されるようになったのですが、その最高傑作が「仮名手本忠臣蔵」。

仮名手本忠臣蔵は「碁盤太平記」に負うところが多く、「大星」「師直」以下役名はほとんど踏襲しているし、俗に「九段目」と呼ばれる「山科閑居の段」の構想はこの「碁盤太平記」の「山科閑居」に拠っているというわけです。まさに仮名手本の手本になる作品なのですね。

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