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今日で終わって委員です

テーマ:まちづくり
本日、3月31日をもって私の長浜市教育委員の任期は晴れて満了となりました。この4年の間、他の教育委員諸氏をはじめ委員会事務局の皆様、そして各校園等関係者の皆様には大変お世話になりました。衷心より御礼申し上げます。

思い起こせば、就任直前に東日本大震災が起こり混乱の中のスタートとなったばかりではなく、就任1年目には大津のいじめ事件が。その後、高校再編問題に関する意見具申、小規模校の統合、そして教育委員会制度改革と、まさに激動の4年間であったように思います。

長浜市の教育委員会は既に新聞報道等でご案内のとおり、現北川教育長が新制度の教育長(これまでの教育長と教育委員長の機能・権限を合わせた役職)に就任され、新任の教育委員さん2名(1名増員)を加えて新たにスタートされます。

ということで、私は長浜市「最後の教育委員長」という、実績とは関係なくたった一人だけに与えられるある意味大変名誉な称号を頂戴したわけであります。やっぱり「持ってる」んかな?(笑)

たまたま2004年の自分の手帳を眺めておりましたら、「委員会とは」と書いたメモが残っているのが目に留まりました。おそらく新聞か本からの転記だと思います。

委員会とは?

「無駄なことをするために、不適格者から選ばれたやる気のない人間の集まり」(リチャード・ハークネス)

「新しい考えをおびきよせるが、やがてこれを静かに絞殺していく袋小路のようなもの」(バーネット・コックス)

きついこと言うなあ、と思ってしまいますが、言い得て妙かもしれません。どうか、教育委員会も袋小路にならないように、長浜の教育がますます発展しますことを切に祈ります。

近年自称「文化人」を名乗っている私ですが、教育委員は終わりましても甚太夫は健在です。本年は祝町鳳凰山組さんでお世話になることになりました。ってことで、いよいよ祭りモードに入って参りま~す。

きいなパーク

テーマ:まちづくり
曳山博物館に隣接する四居家裏のポケットパークの愛称が決まったようです。て言うか、愛称の募集をされていることも、つい数日前にイベント告知のチラシを見て知ったのですが。

チラシを見たうちの事務員さん、早とちりしたのか、「あそこの公園の愛称が『ポケットパーク』に決まったみたいですな」と。確かに、ポケットパークというのは普通名詞として定着しきってはいないのかもしれません。

ちなみに、何でポケットパークって言うか知ってますか?私もはっきりとはわからなかったので調べてみると、何と「ベスト・ポケット・パーク」の略だそうで、洋服の「ベスト(=チョッキ)」についているポケットのように小さい規模の公園を意味するそうな。

さて、愛称発表はこの間の日曜日のイベントの一環として大々的にくす玉割って発表されたそうです。その瞬間を見ることはできませんでしたが、気になったので後で聞きに行きましたら、市の職員さんが「決まりましたよ」。「ほうか、何ていう名前?」

「キーナパーク」です、と返事が返ってまいりました。思わず、「うわっ!モンデクール路線か」という声を発してしまいました。つまり湖北弁で「おいで」「来て下さい」を意味する「来いな」からきていることは明白だからです。

ここは、ガラス製の金の屏風が立っています。そういえば、うちの母は「黄色い」ことを「黄いない」と言いますが、これは美濃から名古屋、東海の方言みたいですね。滋賀ではあまり言わないのかな。

「ここは、黄いない屏風が立っとるもんで、きいないパークなんだがや」とかいう観光客さんの声も聞かれるようになるかもしれませんね。

さようなら大谷保育園

テーマ:まちづくり
昨日は大谷保育園の閉園式が行われ、教育委員として招待されておりましたので、家から近いこともあり出席してまいりました。

いや、近いよりも何よりもこの保育園には特別の思い入れがあるのです。こちらに帰ってきた平成4年から当時3歳だった娘が入園し、その後息子も3年間お世話になりました。私自身も保護者会の役員となり、平成9年には保護者会長も務めさせていただきました。

保育園の保護者会は、先生や保護者のお母さんたちも若いこともあって、会合や行事があっても苦になりませんで、色々な活動をさせていただきました。

昨日の閉園式の中で「大谷保育園のあゆみと思い出」としてスライドが流れていましたが、その中に私が役員をしていた時に保護者会で作ったタイヤのプランターの写真が出て来て、思わず「懐かしい!」と心で叫んでしまいました。

私が会長の時は、大きなダンボールを何枚も貼りあわせて強度を保たせ、それで滑り台などの遊具を作ったこともありました。県外の敦賀運動公園、養老こどもの国、ブルーメの丘などにも出かけた記憶も蘇ります。

それに大谷保育園の特色は何と言っても、大通寺境内での運動会。当日に備えて、保護者会総出で境内の砂利どけをしたり、万国旗を吊ったり。年長組の鼓笛隊の演奏は感涙無しでは見られませんでした。日本全国見渡してもお寺の境内で運動会をする例は無いのではないでしょうか。

大谷保育園が開園したのは昭和38年といいますから、私が3歳の頃。つまり私たちの世代が最初の卒園生なんですね。私は長浜北幼稚園でしたが、そういえばみどり組の子たちは大谷保育園から移ってきた子たちのクラスだったような記憶が...。

自分が卒園した北幼稚園の園歌は覚えていませんが、自分の子どもたちと一緒になって歌った「おおたにほいくえんのうた」は鮮明に覚えています。その歌を歌ってお別れしましょう。さようなら大谷保育園。長い間ありがとうございました。


1.いぶきのやまから ふくかぜを いっぱいすって にこにこと
 げんきなからだに そだちゆく よいこの おおたにほいくえん

2.たのしくみんなで おもしろく おゆうぎあそびや ぶらんこで
 なかよしこよしで あそびゆく よいこの おおたにほいくえん

3.ことりがうたい はながさく あかるいおにわで てをつなぎ
 やさしいこどもに のびてゆく よいこの おおたにほいくえん  

ヤンマーがええなぁ~

テーマ:まちづくり
今日は高月小の卒業式に出席し、祝辞を読んでまいりました。ヤンマーの創始者山岡孫吉さんのことを話したのですが、実は直前まで同氏についての予備知識がほとんど無かった、という無謀ぶり。

そこで思いついたのがヤンマーミュージアム。出来てから2年ほど経つというのにまだ一度も訪ねておりませんでした。あそこに行けば、多少なりとも山岡孫吉氏についての理解も深まるであろう、と。てことで、一昨日行ってみたわけです。いわゆる付け焼き刃っちゅうやつですな。

入口入って左手に「山岡孫吉記念室」というのがありましたので早速ここへ。そうか孫吉さんは高月小ではなく七郷小卒、しかも小学校しか出ておられないんだな、とか、肖像画は真面目そうな恐い顔されてるけど、実際はキーの高い関西弁をまくしたてる情熱家タイプのおっさんやったんやな、とかがわかります。

せっかく来たので体験型ミュージアムも見てみましょう。しかし、この日は平日でして実に空いております。私以外はお客さんが2,3組程度。トラクターを見てたら早速展示案内のおじさんにつかまりましたがな。

ちょっと説明を受けたら、「おたくヤンマーの方でしょ?」と来た。「違いますよ」。「あ、そうですか。どこかで見たことがあるんだけどな」。ちなみに、展示説明員の方たちはヤンマーのOBの方たちでボランティアで来られているようです。皆さん、ヤンマーを愛しておられるのでしょう。

田植機やコンバインに乗せてもらってる時に、「どこから来られたの?」と聞かれて「地元ですよ」と言うと、「あれ~、もしかしてCーMAX行ってる?」。「行ってますよ」「わかった、そこで見かけた人だ~」。その方、ヤンマーを退職して14年とかで「全然見えませんよ」と言うと「いやぁ、C-MAXのおかげです。また会いましょう」と。

空いてるおかげで、ボートや建機シュミレーターの操縦体験などやり放題。もっとも、こういうゲームセンター系のは私はあきませんわ。一方、縄かけを早く行なったりとか、レバーを両手で回転させて発電量を測る、いわゆるガテン系のものは高得点が出ました。

肉体的にも疲れましたので
2階屋外テラスで足湯体験

明日、明後日の連休はは2周年記念イベント開催で、各日先着15組のお客様にバウムクーヘンプレゼントだそうですよ。何十年か前のCMじゃないけど、「おらぁ、やっぱりヤンマーがええなぁ~」。

西中卒業式に

テーマ:まちづくり
昨日は、長浜市内の中学校の卒業式。私自身、教育委員最後となる今年は母校の長浜西中に。来賓のPTA正副会長、学校運営協議会会長、同窓会会長等、私と同年齢以下の知人ばかり。歳取るはずやわ。

例年、県立高校の入試合格発表の前日に行われるのが恒例となっているのですが、今年は合格発表日がずれた関係で土曜日の卒業式となりました。おかげで保護者の参列者は例年以上となったようです。

さて、例によって教育委員会告辞を読ませていただいたんですが、最後の年でもあるので、今年は最初から最後まで自分で作成いたしました。ヤンキースから広島カープに戻った黒田博樹投手の座右の銘「雪に耐えて梅花麗し」という言葉を長浜盆梅展の梅に絡めて卒業生に送りました。

それにしても、卒業生代表の生徒会長の答辞は見事なものでした。内容はもちろん、声量といい間のとり方といい、大人が恥ずかしくなるほどのものでした。なんでも昨年はお兄さんも生徒会長を務め答辞を読まれたとのこと。兄弟で切磋琢磨されているのでしょうね。

最後の最後に卒業生が「仰げば尊し」の一番を歌ってくれました。以前にブログでも書いたのですが、この歌に勝る卒業式の歌は無いと思います。生徒たちも他のどの歌よりも大きな声で、心をこめて涙を抑えながら歌ってくれました。

西中では昨年から卒業生から恩師に向けて一番の歌詞が歌われるようになったようですが、結局本当にいい歌に戻って来るんでしょうね。いい歌と言えば、最初に全員で斉唱する国歌君が代。

「♪さざれいしの~」の部分は「さざれ石の」ですからね、是非一息で歌っていただきたいと思います。どうしても「さざれ」と「いしの」の間で息継ぎしますよね。この日も私の声だけしか聞こえない一瞬がありました。ま、それはそれで快感なんだけど。
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