ダーツの旅と浅井のルーツ

テーマ:まちづくり
松男さんも記事にされていましたが、一昨日の所さんの番組でのダーツの旅「西浅井町特集」面白かったですね。minoriiさんがいつ出てくるか楽しみだったのですが、彼女に勝るとも劣らない濃いキャラがいっぱいいらっしゃったし、当意即妙の篠原さん節。最近よくテレビに出る理由がよくわかりました。

さて、その中で西浅井町の名前は浅井長政に由来する、という説明がありました。私も以前まではそれに何の違和感も抱かなかっただろうし、今でも多くの人がそう思っているのではないかと推察いたします。しかし、何で浅井は東と西に分離してるんでしょうね?

実は一昨年に教育委員会で上草野小と下草野小の統合校名を浅井小と最終決定する際に、個人的に「浅井」という地名について調べたことがあります。わかったことは浅井家にちなんで「東浅井郡」や「西浅井町」の地名が出来たのではなく、「浅井」の地名は先史時代からのものだということ。

「あざい」は「あさい」→「あさひ(朝日)」からという説や、南方語源説で「稲を植える」という意味の「アシ・アエ」の転訛、つまり青稲、稲田に適する地から来ているという説があるようです。

「滋賀県の地名」(平凡社)によれば、歴史上は長く「浅井郡」として推移したのですが、明治11年(1878)の郡区町村編制法により「便宜上、湖水の東西に由りて、郡名を東西に分称」し、東浅井郡と西浅井郡が成立したそうです。

東浅井郡は長浜市との合併まで存続しましたが、西浅井郡は明治30年伊香郡に統合され消滅。これにより東浅井郡の呼称は意味なしとして「浅井郡」に変更することを申請したそうですが許可されなかったとか。

それにしても、浅井郡が東西に分かれており、間に伊香郡が存在するのは不思議なのですが、これに対しては
、元々一つにつながっていたのに塩津湾が陥没して東西に分かれたという「塩津湾陥没説」と、後に伊香津臣命の勢力が同地の一角に割り込んだという「伊香郡攙入(さんにゅう)説」があるようです。

現在では「浅井」の地名は「浅井長政」に由来するという認識が定着しており、浅井小の名もそこから生まれたわけですが、上記のことから教育委員会の席で「浅井の名前はもっと古く、広域にわたるもの」だと主張して、新校名に異を唱えたことを今お明かしいたします。

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