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幼稚園の日

テーマ:まちづくり
例年、11月~12月にかけて教育委員会では市内の幼稚園、保育園、こども園を訪問視察いたします。いつもながら感じることですが、地域それから園長先生の方針、運営等によって各園それぞれに特色が見られます。

某園では園児が自分たちからすすんで大きな声で挨拶をしてくれたり、また別の園では工作で小学校中学年ばりの大作を皆が堂々と作り上げていたり。はたまた芝生のグラウンドで気持ちよさそうにごろごろ転がって運動している姿を見られる園があったり。

今朝の日経春秋欄を読んでおりましたら、今日は「幼稚園の日」だということを知りました。1876(明治9)年の今日、日本初の官立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)が東京・神田に開園したのを記念してのことだとか。

さて春秋欄では「保育所等の子どもの声に対する近隣からの苦情が今大きな問題になっている」ことが書かれていました。

少子化で子どもに接する機会が減ったため、耳慣れない子どもの声が騒音に聞こえるという指摘もあるそうで、施設側は子どもが外で遊ぶ時間を限ったり、敷地を塀で囲んだりと知恵を絞るが、それでも建設取りやめや住民が裁判を起こす例もある、とも。

当市でも例外ではなく多かれ少なかれ同様の問題は生じているようですが、先日、街の中にある幼稚園の近所に住む方が「街の中で子どもの歓声が聞こえて、おじいちゃんやおばあちゃんと触れ合うのがええんや」と仰っていたのが印象に残ります。

もっともそんな人ばかりではなく、自宅の裏に保育園があるという知人曰く。「隣の〇〇さんがなぁ、わしにな、『毎日毎日子どものうるさい声聞かされてたら頭がおかしくなるな』て言わあるんやがな」。

対して知人は「あんたとわしはこれ以上頭おかしならへんて」と応えたそうな。

渡岸寺の観音さん

テーマ:まちづくり
一昨日、湖北の観音をテーマに滋賀県都市教育委員会連絡協議会の研修会が行われ、渡岸寺の国宝十一面観音収蔵庫では向源寺のご住職の解説を直接拝聴する機会に恵まれました。

私自身ずっと渡岸寺というお寺の観音さんだと思っていましたし、おそらくそのように誤解されている方がたくさんいらっしゃると思いますが、実際は向源寺さんというお寺の所有なんですよね。

高月支所から収蔵庫へ歩いて向かったのですが、途中に向源寺が現れました。あれ?確か国宝十一面観音がある所が向源寺ではなかったっけ?そこは収蔵庫から50mほど手前です。

謎が解けないままご住職の話が始まったのですが、最初に「向源寺は浄土真宗大谷派のお寺です」と仰ったのは意外でした。うちと一緒ですやん。元々は天台宗だったものが、真宗が湖北の地で普及していく流れの中でいつの間にか変わったんだそうです。

ちなみに「伊香郡誌」には、「同寺は延暦年中(782-806)に空海が創立、慈雲山光眼寺と称する真言宗寺院だったが、のち天台宗に改宗、向源寺と称した。慶長年中(1596-1615)教如に帰依し浄土真宗に改宗したという」と書かれているようです。

昔は神仏習合だったこともあり、神社が近接するお寺の中に観音堂が存することが結構ありますが、光源寺の場合十一面観音が国宝指定を受けた後、本堂を改修しここに十一面観音さんも安置したいという思いがあったそうです。

ところが浄土真宗では本堂には阿弥陀如来以外の仏を置くことは許されないんですね。飛地境内であればぎりぎり認めるとなったのですが、逆に本堂そのものをを観音堂から少し離れたところに移設したとのこと。それが、高月支所から歩いて来た途中にあった寺だったのです。

新しい収蔵庫が8年前に建てられ、現在では観音様を後方からも拝めるようになっていますが、収蔵庫新設を河合隼雄さん(当時文化庁長官)に直談判に行った時に出された条件が十一面観音の「東京の国立博物館への貸出」と「後ろからも見られるようにすること」だったそうです。

湖北の観音はお寺の所有物というよりも村落の住民が「守らせていただいている」と気持ちをもって大切にお守りしているところに特徴がある、と言われますが、だからこそ寺名ではなく「渡岸寺の観音さん」と地名で親しまれているのでしょうね。

向かい風を力に

テーマ:まちづくり
昨日はアイン2日目。生憎スタンド出勤だったのですが、4時から他の社員に交代してもらって後片付けだけは参加いたしました。

腰痛もあったのですが、スタッフ不足に加えてやはり寄る年波には勝てませんな。周りを見渡すと20年前から下っ端で動いてきた50代の同志たちがいまだに同じような作業をし続けているわけですが、以前とは疲れ方が違います。

さて、初日が終わった後に食事に行った某店に一組の作家さん夫婦も来ておられましたので、楽しく交流させていただきました。くんさんが写真を掲載されていたので拝借いたしますが、大通寺前で風車を展示販売されていた福井県のKさんです。

この光景に目を奪われたのは、くんさんや私だけではあるはずがなく、ご本人の弁によると「どれだけのお客さんがカメラを向けて写真を撮って行かれたか」とのことで、まさに天の配材ともいえる見事なコンビネーションでした。

折しも台風が接近中で翌日の天気が心配される状況だったのですが、Kさん「他の方たちは明日雨が降ったらどうしようとか風が強かったら困るなんておっしゃってますけどね、うちは風が強ければ強いほど大歓迎ですよ」と。そうか、売り物が風車だもんね。

話が興じていくに従ってKさん、「いいもの見せましょうか」とスマホを回してくれました。何と秋篠宮殿下ご一家と並んで写った記念写真。勝山で行われたイベントに宮様がお越しの際に撮っていただいたものだとか。

「うわ~っ!未来の天皇陛下と並んでのお写真なんて家宝ですやん」と申しますと、「はい、畏れ多くも悠仁様と握手もさせていただきました」と興奮気味に語るKさんは指物店の三代目。ご自身の家業も相当の向かい風に見舞われておられるとか。

それでも「向かい風をも力にかえる福来るクルクル風車」をキャッチフレーズとし、指物の技術を他に応用し、向かい風を見事に推進力に変えて明るく前進する姿は、我々の店づくり、まちづくりにも大いなる示唆を与えてくれているのではないでしょうか。

浜ジャズ

テーマ:まちづくり
四半世紀ほど前に、アメリカのNBAつまりプロバスケットボールに嵌った時期がありまして、応援していたのはボストン・セルティックスというチームだったのですが、中にユタ・ジャズ(JAZZ)なんていう名のチームもあり、音楽名をチーム名にするなんて変だなと何となく思っておりました。

後で調べてみると、元々ジャズの発祥地であるニューオーリンズにあったチームがフランチャイズをユタ州のソルトレークシティに移したものの、チーム名だけはそのままJAZZを継承したとのこと。ジャズに所縁のない地域に移ってもその名を名乗り続けるのも何か妙な気がしますが...。

さて、そのジャズですが、市議のひょっとこさんが「久々のよいイベント」と評された「浜ジャズ」が昨年に引き続いて長浜のまちなかで開催されました。スタッフも若い人が中心となっており、私は当日の朝、申し訳程度に設営のお手伝いをしただけ。にもかかわらず、「油甚さんもこれ着て」と渡されたスタッフTシャツ。

「Let's groove together.」と書かれておりますが、grooveなる単語はお目にかかったことがありませんで、「どういう意味?」と聞いたスタッフはポカンと聞こえぬふりをしておりましたが、調べてみると「大いに楽しむ」とか「(みごとなジャズ演奏を)聞く」とかいう意味らしい。

JAZZそのものの語源も諸説あるようですが、発祥の地ニューオーリンズでは元々「JASS(ジャス)」と言われていたみたいですね。農協のガソリンスタンドちゃいまっせ。フランス語のスラングで性行為を表す、とか書いてましたけど、このニューオーリンズジャスと区別するためにシカゴでJAZZ(ジャズ)と呼ばれたのが起源とか。

個人的には特に興味もないのですが、ジャズは日本人の感性には意外と合うようでファンは多いですね。昨日は朝から晩まで賑わった長浜のまち。「浜ジャズ明けたら暇じゃず」、「Let's gloom together.」なんてことにならないことを願います。

体操不服につき

テーマ:まちづくり
昨日の午前中は小学校の運動会視察。今年は3班に分かれ、私は教育委員長職務代理のI女史、指導課のS副参事、Yすこやか健康課長と共に、神照小・北小・南小・南郷里小・北郷里小と、長小を除く旧長浜市内5小を回らせていただきました。

最初に訪れた神照小では開会式に参加。児童諸君が堂々とした入場行進を見せてくれまして、そう言えば我々も子どもの時には「かしらー、右っ!」とかやったなぁ、と懐かしく感じました。我々の時はもっぱら「双頭の鷲の旗の下に」だったと思うんですが、今どきはサッカーワールドカップの入場曲なんですね。

神照小、北小、南小は体操服の更新が検討または実施されつつあり、特に短パンが従来のものでは短すぎて恥ずかしいと高学年女子児童、親御さんを中心に評判がすこぶる悪いんだそうであります。よく見ると、我が母校、北小ではシャツの方も私たちが着ていたのと同じ白色でチャックのを着てますやん。

てことで、上の写真のように、来年から採用される新しい体操服が展示されておりました。なかなか格好良いですね。ちなみに、南小ではPTAの体操服検討委員会で候補に選ばれた数点が並んでおり、運動会で保護者投票がされている最中でした。

I女史の学区の南郷里小はもう10年以上前から、当節風の体操服に変わっていたとのことでした。「IさんがPTAの時に、格好ええのにしてぇ~、と声高に叫ばはったんでしょう?」と言うたら、「いえいえ、うちの娘の時にはもう変わってました」と。

さて、最後に訪れた北郷里小は校舎の東側がグランドになっており、臥龍山の山並みの中央に伊吹山が浮かび上がるという絶好の背景。
これは絶景ですわ

折しも、1,2年生による「ようかい体操」が始まるところでした。校長先生が、壇上で指導される先生をこっそり指さして「S副参事の奥さんです」「へぇ~、そうなんですかぁ。あ~っ、Sさん、これに到着時間合わせやったでしょう?」とからかいますと、「いやいや、私の計算ではちょうど終わっているはずだったんです」と苦笑い。

ようかい体操、私たちの正面の先頭の列で踊っていた2年生の少女の飛び抜けて柔軟かつ華麗な動きに目が釘付けに。是非この才能を伸ばして欲しいものです。あ、そうそう、徒競走が男女混合で行われていた南小。最速組のレースを制したのは女子で、彼女は何と今年の県大会で滋賀県記録を塗り替えたそうな。

男子諸君も女子に負けないように奮起されたし。
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