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やみやみ

テーマ:曳山・歌舞伎
今年度、鳳凰山が演じる「仮名手本忠臣蔵九段目 山科閑居の場」。あらすじを書いていると長くなるので省きますが、大星由良之介(大石内蔵助)の妻お石のセリフに次のようなものがございます。

「主人塩谷判官様、高師直にお恨みあって斬りかけ給う、その時本蔵殿が抱き止め、殿を支えたばっかりに、ご本望も遂げたまわず、殿にはやみやみご切腹....」

要するに加古川本蔵という人が、殿中で高師直(吉良上野介)に斬りかかった塩谷判官(浅野内匠頭)を抱き止めて邪魔をしたおかげで、塩谷判官は本望を遂げられずに切腹させられた、と愚痴っとるわけです。

で、本題の趣旨とはあんまり関係ないんだけど、最後の「やみやみご切腹」に注目。この「やみやみ」という表現、よく歌舞伎のセリフに出てまいりますが、一体どういう意味なのか?

これ「なにもできないさま、みすみす、むざむざ」という意味だというのは前後の文脈からおおよそ推定はできるのですが、漢字で「闇闇」と書くみたいですね。

つまり、闇の中で何がなんだかわからないうちに、斬られていたとか、物を盗られていたとか、そういう状況を表現したものなんでしょうね。電気が普及して真の闇というものをあまり感じることのできない現代人にはできない表現法かもしれません。

むしろ英語がだんだん一般化してきている現代ニッポンでは、「ヤミヤミ」と言うと「美味しい」という意味の英語の俗語表現「Yummy-yummy」を思い浮かべる人の方がはるかに多いかもしれません。

ま、先の「やみやみ」のセリフ、言ったのは確かに「お石(美味し)」なんだけど。

鏡と鑑

テーマ:曳山・歌舞伎
先週から我々太夫・三味線も加わって、曳山祭の子供歌舞伎の稽古も佳境に入ってまいりました。町によって、またその年によって色々なスタイルがあると思いますが、今年私がお世話になっている祝町組鳳凰山では稽古の終わりに毎回若衆筆頭さんが子供達に一言を申し述べられています。

先日は「大きな流れは皆だいたい出来るようになってきたけど、細かいところはまだまだです。先生のセリフや動きをそのままできるように。先生を『カガミ』にして頑張って下さい」と。

なるほどええこと言うなあ、と感心しながらも、「待てよ、鏡にするということは、自分の拙(つたな)い演技がそこに映るだけなんやけど、ほんでええんかいな?」と妙な疑問が湧いてまいります。

まあ昼間油の瓶詰でくたびれて、稽古場に来て大声張り上げて疲れますと、頭の回転はこんなもんです。帰って冷静に考えますと、そうか「カガミ」には手本とか模範という意味があったということを思い出します。

「カガミ」には「鏡」と「鑑」があって、両方とも基本的には同じ「光の反射を利用して姿を映し出す道具」であるわけですが、元々「鑑」は金属ではなくお盆に水を入れて姿を見る「水鏡」を表す漢字なんだそうです。

「今は水鏡は使われないため、現在では姿を写す道具に『鏡』、 自らの手本や模範とするものには『鑑』と使いわけるのが一般的です」とYahooの知恵袋の回答に。

「菅原伝授手習鑑」など歌舞伎には、手本や模範という意味での「鑑」のつく演目がいくつかありますが、筆頭さんの言った「カガミ」はまさにこの「鑑」だったわけですね。



響く身体

テーマ:曳山・歌舞伎
「老いてますます盛ん」。いやいや、うちの母の話ではございません。ま、うちの母も90代にしては頭ははっきりしているものの体力的にはかなり衰えて来ましたが、世の中にはすごいお年寄りがいらっしゃるものです。

現在、と言うより開講以来、三役修業塾の講師である桂川千賀龍師匠。御年90ウン歳、うちの母よりもさらに1,2歳年長の女性。月に1回程度名古屋からお越しになって、我々に義太夫や三味線の稽古をつけて下さっております。

「もう私も歳だから」と仰りながらも、とても90代とは思えぬハリのある大きな声で語りの見本を示してくださるので、かねがね感心しながら、この秘訣は一体どこにあるのだろうか、と思っておりました。

先日、稽古が終わった後に師匠と塾生で夕食を兼ねて居酒屋に行ったのですが、その席で師匠曰く、「わしゃ、週に2回、あの器具とか使って体動かすところに通ってるだよ」。「え、それってジムですか?」

で、おもむろに立ち上がって前屈をなさると、あらま何と指先が床に届くどころか手のひらがべったりと畳にくっついているではありませんか。さらに、仰向きになって足先を頭越しに床につけることも可能だとか。

信じられない、という顔で見る10代のS君。真似るように前屈を試みるも、「おいおい、それじゃ体が90度も曲がってないやん」。最高齢の師匠が最も体が柔らかく、最年少のS君が一番硬いとは。

まあ、私も人のことは言えないんですがね。学生の時にはアメフト部で毎日柔軟体操をしており、そこそこ柔らかくなっていたのですが、最近はまた元通りの硬直体に。

体の柔らかさと浄瑠璃に何か関係があるのだろうか?と思ったら、「日頃から身体を緩めて、響く身体を作らないといけない。身体を響かせるコツをつかめば、声は自ずと良くなる。」と書いてあるサイトを見つけました。なるほど、「響く身体」か....。

三津五郎さん逝く

テーマ:曳山・歌舞伎
すい臓がんと闘っておられた歌舞伎俳優、坂東三津五郎さんがお亡くなりになられました。59歳。歌舞伎界はまたしても一人の才能豊かな役者を失いました。

関西に来られる機会は多くは無かったのか、生でその演技に触れることはあまりありませんでしたが、故勘三郎さん曰く「舞踊の天才」であり、歌舞伎以外でも映画やドラマで活躍。功名が辻の光秀役や最近ではルーズベルトゲームでの東洋カメラ社長役も好演でした。

すい臓がんの手術を受けた後の会見で「先輩方から預かった芸という荷物を後輩たちに渡していくという自分の役目をより強く感じている」という言葉が印象的でしたが、志半ばでの幕引きはさぞ無念であったでしょう。

以前に三津五郎さんが著した「粋にいなせに三津五郎」という本を読んだのですが、現代の歌舞伎役者を前の世代と比較して、次のようなことが書いてありました。

「今の世代は、ドレッシングを変えれば和風にもフレンチにもなり、調理の仕方で炒め物の素材にもガスパッチョの具にもなれる生きゅうり。父より上の世代は、水で洗い流しても、漬物の味がするきゅうりの漬け物」

これは言い得て妙だと思いませんか。今の世代は何でもこなすけど味や個性が薄い。確かに昭和の名優たちは臭いも強烈で、噛めば噛むほどの味があった。

やがて「漬け物」になる素養と実力を兼ね備えた三津五郎さんでしたが、せめて彼や勘三郎さんが残した糠床から、一本でも多くの生きゅうりが漬け物に化けることを祈らずにはおられません。

三津五郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。大和屋! 

毒をもって金を溶かす

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日、ロイヤルホテルで開かれた全国祭屋台等製作修理技術者研修会。拙い司会を務めさせていただいたわけですが、パネルディスカッションでは日頃聞くことのできない伝統工芸の世界の一端に触れることができました。

例えば鍍金(ときん)の話。メッキと言った方がわかりやすかもしれません。ちなみにメッキは外来語ではなく「滅金(めっきん)」に由来する言葉のようです。

鍍金はギリシャ発祥で中国を経由して、日本には聖徳太子によってその技術が伝えられたそうであります。1500年の歴史があるわけですね。

鍍金を行なうためには金塊を細片にし溶かす必要があるわけですが、金を溶かすことができるものは3つしかないそうです。何かわかりますか?私は水銀しか思いつきませんでした。ちなみに、水銀で金を溶かし熱を加えると水銀が蒸発し金箔が固まる、というのが鍍金の仕組み。

水銀も扱い方によっては人体に危険を及ぼすものですが、後の二つを聞いて驚きました。一つは青酸カリでもう一つが王水。王水というのは初耳でしたが、何と「濃硝酸1、濃塩酸3の割合の混合液」だそうな。

毒をもって毒を制する、にあらず「毒をもって金を溶かす」。リスク無くしてリターン無しというのは万古不易の摂理なのでしょうか。

ちなみに「成金=メッキ」の発想から、将棋の「と金」はひょっとしたら「鍍金」由来なのではないかと考えたのですが全く無関係のようですね。
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