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三つ揃い

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日は、長小の運動会、そして街なかでは「きもの大園遊会」が催されていたわけですが、雲なし、風なし、湿気なしで、これ以上はないという好天に恵まれましたね。

さて、例年きもの大園遊会の日には、山倉を開けて中の曳山を開放し来訪者に御覧いただくことが恒例となっておりますが、私が所属する伊部町翁山組では、これに合わせて幕類などの虫干しを行ないます。

以前にも書きましたが、十三の曳山の中でも、翁山は懸装品つまり幕類については、品質・デザイン・量、どれを取っても他町の追随を許しません。

で、この幕類を山倉の隣家の駐車場をお借りして、下の写真のように広げまして数時間虫干しをいたします。

ちなみにこの見送り幕三枚は、奥から①:国指定の重要文化財となっているベルギー製の毛綴れ織、②:①の端切れをつなぎ合わせて作ったとされる市指定文化財の二送と、③:①の劣化防止のために作成されたレプリカであり、この3枚をこうして同時に鑑賞できる機会はまずありません。

こうして無造作に広げられておりますとその価値がなかなか感じられませんが、昨日ここを通られて御覧になられた方は本当にラッキーであったと思いますよ。残念ながらここまで歩いて来られた振袖姿のお嬢さんはお一人もおられませんでしたが。

さて見送り幕三つ揃いの手前にある鳳凰の柄の紺色の幕。この幕は見送り幕の下幕で、適切な表現ではありませんが、まあ三つ揃いの下に着る下着みたいなものでしょうか。通常目に入ることはありませんが、これも当翁山のみが行っている登り山での幕掛け替えの際にその雄姿を現します。

来年のきもの大園遊会の際には、ぜひこれらの懸装品鑑賞に当翁山山倉まで足お運び下さいませ。


米原駅西口の曳山

テーマ:曳山・歌舞伎
米原の曳山祭は毎年10月の体育の日の3連休に行われ、今年は今日12日(日)が本楽。例年、最終日の後宴を見に行くことが多いのですが、今年は台風が襲来しそうなので、昨日の宵宮を見に行くことにいたしました。

いつもは湯谷神社や山蔵のある米原駅東口側で見ることがほとんどですが、宵宮は西口で演じられるというので、ちょうどいい時間の便もあったこともあり、電車で行くことにいたしました。

午後2時15分くらいに米原駅に到着したのですが、ちょうど駅の通路から陸橋を渡っている曳山(旭山)が見えました。そうなんです、普段は東口の方にある曳山をわざわざこの日のために陸橋を渡して西口に移動させるんですね。

坂を引っ張り上げるのもさることながら、下りで曳山が暴走しないように制御するのがなかなか大変だと聞いたことがあります。いずれにしても長浜の曳山祭では見られない米原独特の光景ですね。

2階からエスカレーターで降りていくと駅前の円形広場に鎮座する松翁山が目に入ってまいりました。まもなく開宴ということで、多くの観衆が集まっておられました。ここの芸題は壷坂観音霊験記で、三役修業塾から龍豊さんと賀祝さんが太夫・三味線として出場されます。

一瞬、ターンテーブルがあって曳山が回転し360度の方向から見られるようになっているのかと思ったのですが、ターンテーブル風の円形のデザインになっているだけなんですね。

斜め前から見た背景がヤマザキマザックのビル。で、向かって左側から見るとバックには来年3月15日オープン予定の東横インが。誰が泊まるんやろ?という疑問もあるようですが、新幹線駅の真ん前ですからね、少なからぬ宿泊需要があるんじゃないでしょうか。

二階からですら見ることが禁じられている曳山ですが、来年以降の祭では、「ホテルの部屋からの観劇はご遠慮ください」なんていう横断幕が吊られたりして。




祭人魂

テーマ:曳山・歌舞伎
縁ありまして、昨年に引き続き今年も岐阜県東濃の金幣社、恵那神社秋季大祭の奉納文楽の大夫を務めさせていただきました。このお祭りは毎年9月29日と日が定められております。
昨年同様、快晴に
折しも当神社の存する中津川市から遠からぬ所にそびえる御嶽山が突然の爆発。もしかして噴煙の被害に遭うのではと心配いたしましたが、ほとんど影響はありませんでした。それでも恵那峡あたりからは御嶽山の白い噴煙が真横に流れているのが遠目に見ることができました。

前日の夜はリハーサルだったのですが、昨年と違いテレビカメラが入って物々しい雰囲気。いきなりディレクターが「よろしくお願いします」と、番宣のタオルを手渡されました。どうやら、中津川川上(かおれ)の恵那文楽保存会を密着取材されているようです。

当日ももちろん、人形や人形遣いさんを中心にカメラが向けられます。私たち大夫・三味線にはインタビューはありませんでしたが、アップで撮れるカメラを床の近くに置かせてほしいので了承をとの依頼がありました。

テレビカメラを向けられて緊張するようなことは無くなりましたが、今年は何とシートを敷いた観覧席の最前列、私たちの真ん前に小学生男子が数名陣取りました。うわ~っ、こりゃやりにくいなぁ。

いやな予感が的中いたしまして、話の筋や浄瑠璃が単調になってくると、子どもたち敏感に、というか正直に退屈さを表に出し、いつの間にかゲームとか始めているではありませんか。おいおい、そんなら最初からそんなところに陣取るなっちゅうの。

一番ありがたいのは、中年~お年を召した女性ですね。一生懸命芝居に集中して下さいますし、終了後もテレビ局のインタビューに対して「良かったわ~」と大げさなくらいに応じて下さっていました。

約35分間の奉納文楽。御嶽山の御霊安まれと祈祷されていたのか、神事が長引いて開始時刻が大幅に遅れましたが、滞りなく無事終了いたしました。今回は中津川在住の三味線さんの龍太さんには何から何まで大変お世話になりました。どうもありがとうございました。

なお、テレビの番組名は「祭人魂(まつりびとだましい)」で、放映は11月1日(土)の午前11時25分~11時40分。お楽しみに、でも東海テレビなんで関西地区では視聴できませんとのこと。祭人だましかよ。

扇子とおねがいします

テーマ:曳山・歌舞伎
この間の日曜日、曳山博物館で三役修業塾の素浄瑠璃発表会がありまして、不肖私も「仮名手本忠臣蔵三段目 殿中刃傷の段」、いわゆる「松の廊下」の場面を語らせていただきました。

ついつい感情移入をして舞い上がってしまいがちなのですが、三浦しをんさんが「あやつられ文楽鑑賞」という本の中で、大夫は「小説家」のようでなければならない、と書いておられました。つまり「トリップ感と冷静さの塩梅」が必要だと。心しておきたい言葉です。

さて、昨日ある方に「油甚さん、中日新聞にカラー写真で写ってやありましたで」と言われまして、ほんまかいなと曳山博物館に確認に行ったら、私も含めてどなたも購読者がおられないようで、事務局の皆さん一様に「え?そうなんですか」と。

ネットで調べてもらいましたら、ホンマや出てましたわ 
中日新聞
曳山の上ではこういう格好はいたしませんが、人様の前で語らせていただく場合はこのように裃をつけ、袴もしくは袴様の前掛けをいたします。さらに大夫は必ず扇子を携帯いたします。もちろん暑いときにあおぐためでもなく、落語のように、それで蕎麦を食べる真似をするためではございません。

これはまさに懐剣を擬したものでありまして、もし万が一しくじったら腹を切る覚悟で語るということなんだよ、と師匠に教えていただきました。もちろん、実際にはしくじっても腹を切ることはなく、むしろ冷や汗をぬぐうために、もう一つの必携品、手ぬぐい(これも落語と同じですね)の登場となるわけです。

ところで、プロの太夫さんたちは出番になると、楽屋に残っている他の太夫さんに「おねがいします」と言って舞台へ向かわれるそうです。何をお願いするんでしょうね?

どうやら、語っている最中に脳がプッツンするなど万が一何か起こった際には「あとはよろしく」という意味なんだそうであります。確かにトリップ感に浸りすぎるとそういう事態も可能性なしとはいたしませず、そういう意味でも冷静さとの塩梅が必要ですね。

不協和音的つながり

テーマ:曳山・歌舞伎
「浄瑠璃を読もう」(橋本治/新潮社)という本を読んでいたら、次のように書いてありました。

「浄瑠璃は『聴くもの』であり『歌(バラード)』である。リズムやメロディに反応しても、いきなり飛び出す言葉の意味にはストレートに反応できない」。そうそう、聞いてても何のこっちゃようわからんですね。だから国立劇場なんかでも字幕が出るようになった。

続いて「時々断片的に解される言葉の意味が脳に飛び込んできて、やがて言葉と音とが一体化して理解されるようになる」と。なるほど、何回も聞いているとそんな感じですね。一種の外国音楽みたいなもんか。

浄瑠璃には縁語や掛詞が多くて、それが魅力の一つなのですが、そのせいで意味不明瞭になっているのも事実。しかし、縁語や掛詞で意味を分かりにくくさせているのは「音楽化する作業」なんだそうです。要は意味なんかわからんでもええ。ラップ音楽やと思って聞いとけと。

聞いている側からすると「歌」でええわけですが、語る側に立つと「歌うのではない。語れ」と言われ戸惑います。浄瑠璃を始めた頃は、節に合わせて歌うもんだと思っておりました。いや、今でも頭では違うと思いながら知らず知らずに歌っている自分に気がつくことがままあります。ま、それの方が楽だからかもしれません。

「『読む』は『語る』に転化する」とありますが、「語る」っちゅうのは「読む」と「歌う」の中間ってことなんでしょうか?そう言えば、かの近松門左衛門は「節にふしあり 節にふしなし 言葉に節あり 言葉に節なし 語るに語りて 節に語るな」という六句を残したそうな。これが理解できるのはいつになることか。

「メロディは『人の声』の方にあって、伴奏楽器(三味線)はその『人の声』に対してリズムを整えるもの」とも書いてありました。太夫と三味線がそれぞれに勝手なことをやって、それが結果として一つになっている。確かに、途中はバラバラにやっているようで節尻は合う、という方がいいみたいです。

浄瑠璃とは、そういう「不協和音的なつながりを楽しむ」もんなんだそうです。本日は午後2時より曳山博物館にて素浄瑠璃の発表会。まあ、今日はまもなくワールドカップ日本戦でそれどころではないですね。まずは日本チームの「協調和音的なつながり」を楽しみにしたいと思います。

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