ミロのヴィーナス
テーマ:よもやま話
2012/01/31 09:10
日経新聞文化面の「手 十選」の中で取り上げられていた
これ
「ミロのヴィーナス」という名前を知らない人はほとんどいないのではないでしょうか。しかし、これ「ミロの/ヴィーナス」と分けて考えずに「ミロのヴィーナス」とワンセットで頭の中にインプットされてません?
なので、「ミロの」の「ミロ」って何だ?と聞かれると、えっと、えっと、え~っとになる。まあ、山にかかる「あしびきの」じゃないけど、枕詞みたいでいちいち意味など考えたことなどなかった。
作者の名前か?とふと思ったら、制作年代は紀元前2世紀末で作者不明とある。どうやら、発見された場所が「ミロス島」だからだそうだ。「竹生島の弁天さん」みたいなもんか。ミロというのは「ミロス島」のロマンス語形なんだそうだ。
それはともかく、この像、元々は両腕がついていて、右腕は下半身を覆う布を押さえており、左手はリンゴを持っていただろうと推測されているそうな。
こんな風に
日経新聞では、日本画家の福井爽人さんが、「しかし胸から腹部にかけての美しい動きと量感を損なうことなく、その(両腕の)在りようを決めることはあまりにも難しい」と書かれていた。
確かに、これって腕がないから欠陥品なのかというと、むしろない方が自然な感じがしないでもない。あるいはいろいろな想像をかきたてるからなのか、一層この像の魅力を高めているように見える。
外山滋比古氏も「新・学問のすすめ」(講談社学術文庫)という本の中で、「ミロのヴィーナスは腕があった方(源泉主義)が美しいのか?」という疑問を投げかけていたが、不完全の美というか、空即是色というか、不便の便というか、無いことの方が幸せなこともあるという真理を「見ろのヴィーナス」なのか?
これ
「ミロのヴィーナス」という名前を知らない人はほとんどいないのではないでしょうか。しかし、これ「ミロの/ヴィーナス」と分けて考えずに「ミロのヴィーナス」とワンセットで頭の中にインプットされてません?
なので、「ミロの」の「ミロ」って何だ?と聞かれると、えっと、えっと、え~っとになる。まあ、山にかかる「あしびきの」じゃないけど、枕詞みたいでいちいち意味など考えたことなどなかった。
作者の名前か?とふと思ったら、制作年代は紀元前2世紀末で作者不明とある。どうやら、発見された場所が「ミロス島」だからだそうだ。「竹生島の弁天さん」みたいなもんか。ミロというのは「ミロス島」のロマンス語形なんだそうだ。
それはともかく、この像、元々は両腕がついていて、右腕は下半身を覆う布を押さえており、左手はリンゴを持っていただろうと推測されているそうな。
こんな風に
日経新聞では、日本画家の福井爽人さんが、「しかし胸から腹部にかけての美しい動きと量感を損なうことなく、その(両腕の)在りようを決めることはあまりにも難しい」と書かれていた。
確かに、これって腕がないから欠陥品なのかというと、むしろない方が自然な感じがしないでもない。あるいはいろいろな想像をかきたてるからなのか、一層この像の魅力を高めているように見える。
外山滋比古氏も「新・学問のすすめ」(講談社学術文庫)という本の中で、「ミロのヴィーナスは腕があった方(源泉主義)が美しいのか?」という疑問を投げかけていたが、不完全の美というか、空即是色というか、不便の便というか、無いことの方が幸せなこともあるという真理を「見ろのヴィーナス」なのか?