おめで東洋ありが東洋

テーマ:スポーツ
今年の箱根駅伝は東洋大学の完全優勝。まさに完全の名にふさわしい完璧なレースでしたね。山の神柏原君も主将という地位と故郷福島のためにというプレッシャーにもめげず、公約通りの1時間16分台の区間新。

彼らの力走はもちろんのこと、私を感動させたもう一人の選手。それは明治大学主将の鎧坂選手。彼は10000mの学生記録を持ちロンドン五輪出場も決まっておりますが、腰痛のため本来走るべしだった花の2区を辞し、補欠に回っていたのです。

しかし、往路3位という好結果に監督も「鎧坂をどこかの区間で走らせたい」と方針転換。その期待に応えて10区で見事早稲田の選手を抜いて、チームを総合3位に押し上げる快走を見せました。

彼のような選手に自分を重ね合わせるのはおこがましいのですが、彼の姿を見ていると自分の大学4年生の時のことを思い出さざるを得ませんでした。何度か書いたことがありますが、学生時代私はアメリカンフットボール部に所属しており、ポジションはランニングバック。

現在後輩たちは関東1部リーグをキープする快挙を続けているのですが、我々の時代は2部の中位あたり。それでも3年時、私はリーグのリーディングラッシャー、つまり獲得ヤード数が一番の選手だったのです。逃げ足速かったんよ。

しかし、3年のシーズン終了後の練習時に突如腰痛に襲われ動けなくなり、そのまま入院。退院後も何度か再発し、結局4年のシーズンはほとんど棒に振りました。秋には練習には復帰したものの、いつ再発するかわからない状況におびえ、コーチも私の起用には二の足を踏んでおられました。

そして迎えた最終戦。後半だったでしょうか、自陣ゴール近くからの攻撃の際、ついに私の出番が。ランニングバックの私が右のオープンスペースに走り、クオーターバックからピッチされたボールを受け取るというプレー。何とこのプレーで私は90ヤード近くを走り抜き、タッチダウンをあげたのです。

ゲームは僅差で我々が勝利し、リーグ3位を確保。この試合が4年間のまさに最後の試合だったのですが、腰痛に打ち勝ってチームのために活躍できた。明治大の鎧坂選手の姿を見てつい30年前を思い出してしまったのです。試合後、泣きましたわ。あんなに泣いたことは人生の後にも先にも無いだろうな。

その時の相手、それは奇しくも「東洋大学」だったのです。おめで東洋、そして、ありが東洋。

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