湖平隊菅浦へ

テーマ:まちづくり
第一目的地竹生島の見学を終え、
そそくさといや名残惜しげに
一行が向かった先は...、

タイトルからも明らかなように奥びわ湖の隠れ里、「ザ・菅浦」。中世の歴史をいまに伝える貴重な集落です。かつては,、陸の孤島と呼ばれたように人や物の往来は湖上交通にて行なわれていたそうです。竹生島からは目と鼻の先ですね。

「車で来たことはあるけど、船で乗り込むのは初めてやわ~」と皆、口々に。さながら菅浦上陸をめざす海兵隊いや湖平隊ですな。
東側の四足門を横目に
さあ間もなく上陸

須賀神社に向かう途中にある、菅浦のスーパーマーケット
大八商店
TV放映で有名になりましたけど、地元の人は皆通帳(かよいちょう)を持って買い物に来られるそうです。そう、すべてツケ。昔はどこにもあった、いわゆる「よろずや」の名残りでしょうか。現代のコンビニもマニュアル店員は別として、minoriさんのような方がいるお店は、その地域の「大八商店」と言えるのかもしれませんね。

須賀神社のところで、曳博中島次長から菅浦の歴史や祭礼についての解説。
神輿堂
この神輿堂、現在はこのように銅板葺きになっておりますが、かつては茅葺きだったそうです。そう言えば、屋根と建物のバランスが少し悪い気もいたします。吉見先生も「前に茅葺きを見た時と全く雰囲気が違いますね」と手厳しい。茅葺きを維持するのは人的にも費用的にもなかなか困難が伴います。

西側の四足門と西川さん
四足門の隣に六地蔵がありますね。「六地蔵は普通墓場の結界にありますからね。四足門と六地蔵が並んでいるのは何か意味があると私は前々から睨んでいるんです」と、中島次長。きっと四六時中考えておられるのでしょう。

さて、昼食は集落のほど近くの高台に位置する国民宿舎
つづらお荘にて
ビールが欲しくなる景色です
竹生島の左隣に小島があると初めて知りました。小島には根があり、竹生島は浮島だとか。浮気せんように弁天さんが見張っているのでしょうか?

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