関の山

テーマ:まちづくり
昨日、「第1回長浜市歴史まちづくり協議会」が開かれまして、委員の一人として出席して参りました。

歴史まちづくり法というものができまして、「歴史上重要な建造物とその周辺市街地」と「その地域固有の歴史、伝統を反映した人々の営み」が一体となったものを「歴史的風致」と称し、それを維持・向上する計画や活動に国が支援することになり、長浜市もその「歴史的風致維持向上計画の認定」を受けるべく動き出したというわけです。

ちなみにこの認定を最初(本年1月)に受けたのは、金沢、高山、彦根、萩、亀山の5市なのですが、三重県亀山市の事例の中で歴史的風致として「関の山車」が含まれているのが目に留まりました。元々は関町だったのですが、吸収合併により現在は亀山市となっているのですね。

皆さん、「関の山」という言葉をご存知だと思います。、「なし得る限度、精一杯」という意味ですが、以前平成教育委員会という番組の中で、その語源が問題となっており、それによると「三重県の関町の祭りに使う山車が、その地域では有名だったが、京の祭りなどのものと比べると見劣りするものだったことから」来ているとのことでした。

しかし、こんな否定的な解釈を地元の人たちは容認しているのだろうかと疑問に思い、ネットで調べてみると、やはり一般的には次のような解釈がなされているようです。

「伊勢の国、関宿(三重県関町)の八坂神社・祇園祭に出る山車がとびきり豪華で、これ以上のものは出来ないと思われたところから生まれた言葉だという。また、関は道幅が狭く、それ以上大きな山車だと通ることができないということに由来するなど、異説もあるようだ」

もっとも、「関の山」という言葉には否定的なニュアンスが強いので、平成教育委員会説の方にも説得力があることは確かですね。ちなみにこれが大阪星光学院中学の入試問題として出題されたんだそうです。

我々もいつか「浜の山」などと揶揄されることがないように努力、精進しなければいけませんね。

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