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冷奴

テーマ:言葉・漢字
minoriさんがご自身のブログのコメント欄で、「何で冷たい豆腐を冷奴というのでしょうね?」と。しかも「甚さん調べて」と。ここで無視すると文字通り「冷(たい)奴」と言われそうですので....。

で、調べますと...。ほ~ぅ、「奴」っていうのは「日本料理における切り方」で、大きめの立方体に切ることを「奴に切る」と言うんですね。ちなみに奴を小さくすると「賽の目(1cm角)」、さらに小さいのが「霰(5mm角)」とあります。

何で「奴」と呼ばれるようになったかが知りたい?はいはい、皆さん「奴さん」ってご存じないですか?大名行列の先頭で槍や挟箱を持つ役目の人。ヒゲ生やしてちょっと荒っぽい感じの。

奴凧を見れば一目瞭然ですが、奴さんが着ていた半纏に「釘抜紋」と呼ばれる四角い大きな紋がついておりまして、豆腐の形がこの奴の紋に似ていることから「奴豆腐」と言うようになったんだとか。

ちなみに、昔の釘抜きは現在の釘抜きやバールとは違い、◇形をした座金とテコのふたつからなり、座金の穴にテコを入れて釘を抜いたんだそうですよ。

じゃあ、何で冷たい豆腐だけ「冷奴」で、熱いのは「湯豆腐」というのかという疑問が湧くわけですが、昔は「湯奴」とか「煮奴」とかいう言い方をしたようですね。

まあしかし、私はどちらかというと「冷奴」な人間だと自覚しておりますが、コブログ界には「熱奴」や「豆奴」が結構おられますなあ。皆さんのお好みはどの奴?

ご鞭撻

テーマ:言葉・漢字
冠婚葬祭等で人前で挨拶する機会は多かれ少なかれあると思いますが、その挨拶の締めのあたりで決まり文句のように出てくる言葉ありますよね。そう、「今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます」。むしろ、これ言わない人の方が少ないくらい。

「ご指導」、これはわかりますよね。「まだまだ未熟ですんで教え導いて下さい」ということ。問題はその後に続く「ご鞭撻(べんたつ)」。これはもひとつ意味がようわからんけど、皆そう言うてやあるし、とりあえず言うとこかみたいな感じありません?

この「鞭撻」、今は「努力するように励ますこと」という意味で使われておりますが、元々はそんななまっちょろい意味ではありません。「鞭(べん)」とは「むち」のことで、「撻(たつ)」は「打ちのめす」こと。すなわち、「鞭撻」とは「むちで打ってこらしめること」だったんですね。

そんじゃあ、そんな怖ろしい言葉使わんと、「ご指導ご激励お願いします」とかにしとけば良さそうなもんなんですが、やはり語呂の良さなんでしょうかね。「指導と鞭撻」、まるで「アチャコ・エンタツ」コンビみたいに切り離せない仲になっているのでしょうか。

てことで、今後ともご指導、(-_-)/~~~ピシー!ピシー!よろしくお願い申し上げます。

あなたは書けますか?

テーマ:よもやま話
一昨日のゆうこりんさんのブログを見て思い出しました浅井歴史民俗資料館の特別展。SirMurai先生のお父さんが戦地から奥様に送られた手紙が展示されているということで、是非拝見しに伺わなくてはと思っていたんです。

9月2日までの展示ということで、もう日がない。9月1日も2日も行けそうにないので、昨日の午後時間を作って駆け足で、と言ってももちろん車で行って参りました。

資料館の受付では、私の前に4人組の若い女性。「今日はお市さんはいらっしゃいますか?」という質問に受付の男性、「あ~、お市ちゃんですかぁ、明日は登場する予定なんですけど、今日は居ませんねぇ」
おいちごちゃん
ここまで聞いて、「この女性たち、わざわざゆるキャラ見に、こんなところまで来たのか?それにしても、そこまでミーハーには見えんのやけど。」と思いましたら、女性の一人が「「え~、おかしいなぁ。今日は出勤ってブログに書いてあったのにぃ」

ここで、疑問解消。お市ちゃんというのは、ゆるキャラの「おいちごちゃん」のことではなく、資料館にご勤務の女性のハンドルネームだったんですね。彼女のブログを読んでわざわざ会いに来られたようです。その後、私が受付で「今日はSirMurai先生はお見えですか?」と聞きますと、「はい、今の女性たちを案内するためにお待ちかねです」。

中に入りますと、先生いらっしゃいました。早速私を例の手紙コーナーにいざなわれ、「まあ、見てくれ」と。「明治の男が『愛する妻へ』『愛しい妻へ』とようも書けるよね」と、自分のお父さんが書かれたのに。「現代でもこんなこと書ける人いるかね?」と言われますので、

「先生も奥さんに書かれるんとちゃいますの?」「あほ言うてよ。そんな恥ずかしいこと...。けど同じDNA持ってるんやでなぁ」「あ、別の女の人やったら書かありますやろ?」「おぉおぉ、書く書く!」。こんな先生の御父上はわずか5ヶ月間の結婚生活を経て出征し、結局そのまま上海で戦死されたのです。

手紙の中に「例の事は完全に止まりましたか?」という謎めいた問いかけがありまして、「わかるやろ?その結果がここに立ってるわけよ」と自分を指す先生。後で、同じことを聞いた先ほどの4人組の女性たち(城ガールズというらしい)は意味がわからないのか、知ってて知らんふりか、先生結局最後まで解説させられてやありました。

それにしても美しい奥様、すなわちSirMurai先生のお母様。「先生、やっぱりこんな別嬪さんやったら、『愛する妻へ』とか『愛しい妻へ』とか書くかもしれませんわぁ」と思わず言ってしまいました。父を知ることなく生まれた先生。「そうと知っていたらもっと尊敬していたか?」と言われて、「あ、はい、いやいや...」

お父さんもきっと照れくさ、いやいや、喜んでおられることでしょう。この終戦記念展の会期は明日9月2日(日)まで。歯の浮くような文章を書く男と超美人のDNAを継承するSirMurai先生もお待ちです(多分)。是非皆さまも浅井歴史民俗資料館にお立ち寄り下さい。


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