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手塩にかける

テーマ:言葉・漢字
先日、中ちゃんのコメントを材料に「せっかい」という題で書いたのですが、それを読んだ中ちゃんから再度「ほんじゃ、『てっしょ』って何かわかります?」と質問が投げかけられました。

「てっしょ~っ」!?ほんなもんわかるわけないっしょぉ~。てことで調べます。ふんふん、「手塩皿」のことか。ほんで手塩皿って何や?

あ~ん、ちっちゃい皿のことか。「もと、食膳の不浄を払うために小皿に塩を盛ったことから」、小さくて浅い皿を「手塩皿」と呼ぶようになったようです。で、「手塩皿」→「てしお」→「てっしょ」と訛ったわけですね。

ところで、「手塩に掛ける」とよく言いますよね。「自らいろいろと世話をして大切に育てること」と辞書にあります。ブロガーの中にも、手塩に掛けて育てられたお嬢様がたくさんいらっしゃることでしょう。

さて、手塩はやがて不浄を払うというより、味加減を自分で調えるために少量置かれるようになったことから、自ら面倒を見ることを「手塩に掛ける」というようになった、と書いてあります。あるんですけど、これ納得いきません!何で手塩「を」ではなく、手塩「に」かけるなのか?塩「を」かけるんちゃうんか?

ここからは全くの私見。これってぇ、「手を掛ける」の強調語と違いますやろか?手塩の塩はホンマは「塩」ではなくて、「一入(ひとしお)」の「しお」ではないか?

「一入(ひとしお)」とは御存知の通り、「ほかの場合より程度が一段と増すこと。ひときわ」という意味。「入(しお)」は程度をあらわしていると考えられますから、「手しおに掛ける」とは「手」を「しお(相当程度)」に「かける」ということではないでしょうか?

「手しお」は「手塩」ではなく「手入」。手しおに掛けるんですから、「手が入っていて」当然でしょ。「手塩に掛ける」は「手入」を「手塩」に掛けた文字通り掛詞。これが私の個じんとにっくな結論です。

明るい家庭とは

テーマ:まちづくり
例年、長浜市青少年育成会議で「豊かな心をはぐくむ絵画、ポスター」と「明るい家庭づくり標語」を募集し、市内数ヶ所で優秀作品の巡回展示が行なわれるのですが、昨日の午後長浜楽市へ展示作業のお手伝いに行って参りました。

今年は、長浜楽市、木之本支所、浅井図書館の3ヶ所でそれぞれ1週間ずつ展示されます。数名で小一時間かけてボードに貼ってきました。
                     県優秀賞のポスター

                     長浜市長賞の標語
 

標語は、小・中・高・一般で7010首もの応募があったようですが、先の市長賞のように◯◯賞のつく特選作品が5首、その他の優秀作品が61首選ばれたようです。

では、「個じんとにっく賞」を発表いたします。まず、特選5首の一つにも選ばれていましたが、

「部長賞」とありますが、長浜市青少年育成市民会議家庭対策部会長賞の略。1年生のぼくちゃんですね。きっとご両親も辛い時は、君がくすりばこになってるに違いありません。さらにさらに、

週末の食卓もこうありたい
みんな、ちゃんと見とけよ
何!身につまされる?
こんなジジババになりたい

皆さんも機会がございましたら、ぜひご覧になって下さいませ。





週末の食卓(46)

テーマ:週末の食卓
(その1)
先日、額を棚にぶつけてこぶができた母。以来、エスパーシールをずっと貼り続けている

私: まだ、治らんの?

母: まだもうちょっとあかんなぁ~

私: ほんで、シールずっと貼りっぱなしか?

母: うん

私: それ取ったらどうなるん?

(右手を患部に持っていくや否やパッと開いて)

母: 血が「どば~っ!」と出てきたりしてぇ~~


鰯の頭も信心から。エスパーシールもね




(その2)
日曜日、事務員さんが休みで母と店番してた時に

母: あ、きらず揚げの試食が残り少ないな

私: ほんま?補充せなあかんな

母: あ、ほんでも私はぎょうさん入れてまうで、湿気るて怒られるな、また

(と言いながら、小腹が空いたようで)

母: ほんじゃあ、湿気る前に油甚の鳩さんがよばれますかな

私: 油甚の鳩さん~ン?

母: あぁ~あ、何でこんなお腹が空くんやろ、今日は

私: ほら、店先でポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ言うてたら腹減るわいな


おかげさまで「マメ」で暮らしております。

監督を食い物にする

テーマ:スポーツ
先週の木曜日だったか、遠目にテレビ画面を見たら、民主党の樽床幹事長代行が記者会見をしていた。

こりゃまた政局かと思い画面に近づくと、それは樽床さんではなく、

日本ハムの新監督に決まった
栗山英樹だった

栗山さんと樽床さん
そっくり率80%らしい

ちなみに、栗のタルトはお好きですか?


ところで、
前監督が梨田で
今度が栗山
さすが日本ハム。監督まで「食い物にする」とはまさにこのことだ。


津波の日に

テーマ:よもやま話
本日11月5日は「津波の日」なんだそうです。今年の6月に制定されたそうですが、「何で3月11日と違うの?」、そんな疑問が湧いてきませんか。安政南海地震が起きた日で「稲むらの火」が大被害を防いだという、いわば成功体験が優先されたみたいです。

さて今回の大地震、「津波」の恐ろしさをまざまざと実感することになりました。被害に遭われた方に対して誠に不謹慎ではありますが、どうも実態と言葉のイメージが乖離しているのではないか、という気がします。

「津波」はTsunamiとして、いまや国際的に通用する言葉になっているのも事実です。英語では「tidal wave」というそうですが、潮(tide)の満ち干によって引き起こされるものではないので、あえてtsunamiが使われるようになったみたいです。

元々英語圏にはこの自然現象は馴染みのものではなかったという証拠だということもいえるわけですが、日本にはおなじみの現象の割には怖いという語感がなく、最近ではサザンの歌なんかでかえって親しみすら覚えてしまう言葉に、ある意味成り下がっていたような気がします。

もしかしたら、「津」には「ものすごく恐い」みたいな意味が隠されているのではなかろうかと語源を調べてみると、「津」は「港」のこと。「常の波とは異なり、沖合を航行する船舶の被害は少ないにもかかわらず、港(津)では大きな被害をもたらすことに由来する」とwikipediaには書かれています。

「強(つよ)波」から「つなみ」になったという説もあるようですが、有力な説とはなっていないそうです。まあ、強波でもあの恐怖は表現しきれないでしょう。そもそも「波」というのが「並」に通じてしまうのが難点なのか?「大津波」なんて書かれてあった日にゃ「大津」とも重なって「えっ?大津並みかよ~。全然弱っちいやん」てなことに。

言葉が弱いからつい軽視する、なんてことがあっては不幸です。「癌」とか「コレラ」とかその響きだけで怖そうな感じがいたします。「津波の日」を設けて日頃からの警戒を強化するのも大切ですが、この際どえらい恐ろしそうな名前を考えることも必要なのではないでしょうか?

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