さきわい

テーマ:よもやま話
昔から、うすうす不思議に思ってたんです。そう、顔の部位。いや、鼻が曲がってるとか、目の大きさが左右で違うとか、そういうことじゃないんです。

目=め→芽、鼻=はな→花、歯=は→葉、といった具合に顔の部位の名前が妙に植物の器官の名前に一致しますよね。そしたらね、古代の人は本当に顔の部分を植物になぞらえたんだということが、「日本人の愛したことば」(中西進/東京書籍)っていう本に書いてあったんです。

芽は最初に確認するもの、花は一番先端にあるもの、葉は末端で伸びるものだから。じゃあ、耳はどうなんだ?と思ったら、耳は「実」になぞらえた。入ってくるものを受け止め、その結実するものが果実という考えなんだそうです。

耳はとても大事な器官で、見て認識されるものよりも、聞こえてくるものの方が大切。聖者とは「聞く耳」を持っている人のことで、相手の言っていることをまず受け取って、それから判断する。聞・聴・効・利など色々な漢字が当てられますが、「きく」という言葉は「ものの本質をとらえる能力がある」という働きを表しているのだそうです。

さらに、こうした考え方は日本だけではなく、人類に共通した考え方なんだそうで、英語のperson(人)という言葉の元の意味は「音によって」とか「音を通して」、つまり人格とはその人がどのような音をたてているかによって決まる。「人格は響き」なんだと。

日本国中にそんな聖らかな音を響かせて下さったブータン国王。幸福の度合いこそが国の豊かさ。幸せは昔、「さきわい」と言ったそうです。体の中に花が咲くということ。高山植物の宝庫、ブータン。国中にそして国民の心の中に花が咲き誇っているのでしょうね。

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