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出雲そばと豆富

テーマ:旅日記
松江の名物と申しますと、解禁になったばかりの松葉ガニ、和菓子、そして出雲そばでしょうか。懇親会は珍しく居酒屋で飲み放題カニづくしセットだったのですが、ブランド蟹からは程遠い冷凍物が...。

気を取り直して翌日研修会終了後の昼食は出雲そば。松江城にほど近い「八雲庵」という名店でロケーションが抜群。悠々と鯉が泳ぎ回る池を見下ろした離れ風の部屋は情緒満点。

採れたばかりの新そばということで歯ごたえ抜群。出雲そばは割子そば、つまり3段重ねの浅い円柱型の漆器にそばが入っているのですが、通常と異なるのはタレにつけて頂くのではなく、そばの方にタレをかけるんですね。

調子よくダバダバとかけましたら、どす黒いタマリのような色をした液体が出てまいりまして、アレアレアレ?何じゃこりゃ。どうやらこの濃い辛めのタレを少量からませて食するのが流儀だそうな。食べたことはないのですが伊勢うどんの蕎麦版みたいなもんなんでしょうか。神様は濃いお醤油が好きなのかな?

昼食後は昨日記した小泉八雲記念館等を回った後に松江城に。

なかなか立派な天守閣ですが、最上階に達するまでは急な階段をいくつも上って行かねばならず、最後下りてきた時には足が釣りそうな始末。日頃の運動不足を痛感いたします。

さて、最近読んだ「方言漢字」(笹原宏之/角川選書)という本に、島根県では「豆腐」ではなくて「豆富」という縁起字が頻繁に使われている、というようなことが書いてありました。タクシーの運転手さんにそのことを尋ねてみると、「そうだね~、確かにどっちかっていうと、豆富の方が多いかなぁ」と。

もっとも当地もご多分に漏れず、いわゆる街の豆腐屋さんは減少の一途をたどっているとか。先の本によれば、「豆富」の字は島根県豆富商工組合が豆腐のイメージアップのために申し合わせた当て字のようですが、既に昭和中期にそうした看板がやたら目についていたそうです。

そんな時、松江城の中で見たこんな資料

昭和中期の解体修理工事で取り外され保存されていた部材の木口に「富」の文字が入った刻印があることが確認されたそうです。松江城築城には広瀬の月山富田城(がっさんとだじょう)の部材を一部転用したとの伝承があることから、この刻印はそれを裏付けるものだと考えられているとのこと。

どうやら、豆腐が「豆富」と記されることとは何の関係もないようですな。




ちょっとだけ松江

テーマ:旅日記
昨日、一昨日と滋賀県都市教育委員会連絡協議会の県外研修として島根県の松江に行って参りました。観光ではなく西日本の市町村教育委員会研究協議会に参加するのが目的。

今年も大津駅に集合しバスで移動の予定だったのですが、例年会場に缶詰で講演と分科会参加のみでせっかく遠方まで行ってもその土地の文化、香りに接する機会が全くない乾いた研修でしたので、今回は私が無理をお願いして、長浜だけ電車で行って2日目の日程終了後にわずかでも現地散策の時間がとれるように組んでもらいました。

宿泊と夜の懇親会は県内他市と合同だったんですけど、泊まったホテルはちょっとたまげましたね。ドアを開けた瞬間に部屋の狭さに思わず「何、これ~!」。その階の見取り図を見ると、法の限界に挑戦!みたいな感じでさまざまな形状の数多くの部屋が配置されており、外気に接していない部屋も多数。

翌日、松江駅から泊まったホテルが見えまして、納得。この値段ならしゃあないわな。

さて、松江といえば以前に「緯度端会談」というタイトルで小泉八雲のことや長浜と緯度が同じであることを書いたことがありますが、おかげさまで小泉八雲記念館や小泉八雲旧居(ヘルン旧居)にも訪れる機会を得ました。

八雲は1年3ヶ月しか松江には居なかったのですが、三方を庭で囲まれた武家屋敷に住み、庭がちょうど全て見渡せる床の間を背に座るのがお気に入りだったそうです。

日本人のセツさんと結婚したわけですが、小泉八雲記念館のしおりの中に「松江時代の行動歴」というのが書いてあって、それを眺めておりましたら、次のように書かれておりました。

1891年(明治24年)
 1月中旬  風邪でしばらく床につく
 1月下旬  セツが住み込み女中として世話にあたり、やがて事実上の結婚という関係に進展する。

患者さんと看護婦さんが結婚するという例は結構あるようですけど、やっぱり体が弱っている時にお世話になった女性は天使に見えるんでしょうね。

淡路と淡海

テーマ:旅日記
野島断層保存館に向かう途中の四つ角で「→伊弉諾(いざなぎ)神宮 1km」という表示が目に入りまして、そんな近くなら参拝しない手はないと立ち寄ることにいたしました。

日本列島の中で最初に淡路島が作られたという国生み神話がございますが、そこに登場するいざなぎ、いざなみが祀られております。そう、多賀大社と同じですね。しかも、この神社の所在地も多賀という地名ですから何らかの関連がありそうです。
やや小ぶりな太鼓橋
売店で女店員さんに滋賀県から来たことを伝え、「滋賀県の多賀大社とは何か関わりがあるのですか?」と尋ねますと、「祭神が同じですけど、あちらは大社で、こちらは神宮なので...」とやや決まり悪そうな返事。

しかし話しているうちに、おもむろに下の絵の描いたフリップを取り出し、「実は伊弉諾神宮は緯度が伊勢神宮と全く同じで」と話し出されます。何でもそこから28度30分東北のライン上には諏訪大社、北西には出雲大社、南西には高千穂神社、南東には那智大社があるんだそうです。

現在の格は多賀大社の方が上だけど、これを見たらこっちの方がホンマもんやということがわかるでしょ、という間接的な反撃です。古事記に「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)」という記述がありますが、淡海は淡道(淡路島)の誤写であるという説も確かにあるそうな。

また「琵琶湖と淡路島は大きさがほぼ同じで大阪の吹田あたりで180度回転させるとぴたりと重なるんですよ」と両者の不思議な因縁を語り出します。昔ダイダラボッチ伝説というのを聞いたことがありますが、それ以外にもポルトガル沖に落ちた隕石の影響で琵琶湖の部分が吹っ飛んで淡路島になったという説もあるみたいですね。

で、この女店員さん、何を思ったか「もっと面白い話があるんです」と今度は同神社を中心に五芒星の書かれたフリップを取り出し、ユダヤ=日本同一発生説について話し出すではありませんか。「ユダヤ 君が代」でネット検索してみて下さい。鳥肌立ちますよ、と。

ま、その説は飛躍し過ぎなんでしょうけど、淡路と淡海(近江)の間柄、多摩が神奈川県から東京都に移った例もありますし、兵庫県に対して淡路を滋賀県に返してくれと言ってみてはどうでしょうか?

断層の例示ん

テーマ:旅日記
去る9月11日で東日本大震災から2年半が経過し、各紙が被災地の現状を取り上げていましたが、ややもすると当事者でない者にとっては災害の記憶はどんどん風化していきます。

ましてや阪神淡路大震災は平成7年1月17日ですから、もう18年以上も経ってしまっているんですね。今回淡路島に行ってどうしても訪れたかったのが野島断層保存館。

東日本大震災では津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられましたが、この施設を見れば活断層型の地震の凄まじさも改めて再認識させられます。

まずエントランスゾーンには、無残に屈曲した陸橋とそれが割れてトラックが落ちたところを再現するモニュメントが。

さらには、震災で地上に露出した野島断層を140mの区間にわたり屋根で覆い保存・展示しており、これはいわば野外そのまんま博物館。「国指定天然記念物」という長閑な称号がこれほど似合わないものも無いのではないでしょうか。

他にも、震度7でも倒壊せず残った鉄筋造の住宅がそのままメモリアルハウスとして公開されており、震災直後のダイニングキッチンの惨状などが再現されていました。柱が傾き床も水平ではなくなった後もしばらく住居として使用されていたとのこと。

最後に我々を待っていたのは、当時の揺れを再現体感できる地震体験館。係員さんに促され椅子に座り、揺れが来る瞬間を唾を飲み込む思いで待つ緊張感。最初に震度7の揺れ、そしてしばらくして震度4の余震。

十分に覚悟し、しかも床に固定された支えにつかまってでもあの恐怖ですから、これが突然訪れしかも倒壊物が周りにあるとしたら、この世の終末を覚悟して念仏でも唱えるしか無いのではないかと想像します。

「日本はいつどこで大地震が来ても不思議ではない。過度に恐れること無く、しかし被害を最小限に抑えるために備えるしかないのだ」。映像の最後に出てきたそんなような趣旨の言葉はまさに諦観の境地としか言いようのないもので、日本人として日本に生きる覚悟を突きつけられるような思いでした。

御食国の本気

テーマ:旅日記
息子が淡路島出身の友人に淡路島の名所、名物を尋ねたところ、「タマネギしか無い」という答えが返ってきたそうですが、「御食国(みけつくに)」というだけあって食が売り物。

「御食国」とはかつて「天皇の食物を献上した国」だそうで、そう言えば若狭や伊勢志摩に行った時もこの呼称がキャッチフレーズに使われていたことを思い出しました。

宿の夕食に出てきた鯛、アナゴなどの魚介類や淡路牛は確かに美味で御食国の面目躍如。しかし何といっても淡路島が他地域の追随を許さない代表選手はやっぱり「タマネギ」なんですね。

息子の友人の「タマネギしか無い」という表現には謙遜の中に大いなる自信が含まれていたに相違ありません。我々滋賀県人が「琵琶湖しか無い」と言うようなものでしょうか。

てことで、昼食はいづも庵で
玉ねぎつけ麺を

これ、大玉ねぎの丸揚げでして、汁をぶっかけてほぐして頬張りながら、麺をつけてすするわけです。

宿の朝食についたオニオンスライスも絶品でしたし、何でこんなにタマネギが美味しいんでしょうね?妻が土産に一袋350円の大玉を買いましたが、早くかき揚げ(と言ってもタマネギオンリーの)にして食べたい。

さて淡路島では各店が特徴のある牛丼を提供するプロジェクトが展開されており、52種類の牛丼(厳密に言うと牛肉の形態は自由でハンバーグやステーキの丼も有りみたい)が楽しめ、中には10,500円という超高級牛丼もあるそうな。

上記いづも庵では石焼牛丼も注文し、これも結構なお味でしたが、考えてみると牛丼にタマネギはつきもの。吉野家の牛丼もタマネギがあってこそで、あれ牛肉だけだったらとても食べられた代物では無いのかもしれないとふと思いました。

ちなみにこの
「三年目の本気」というコピー。♪馬鹿言ってんじゃないよ、と歌ってもたがな。
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