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踏切神社

テーマ:旅日記
唐津視察が終わり一路嬉野温泉へ。最近寂れがちで中国資本も入りつつあるという噂を佐賀に入ってから聞いたのですが、本当に人影もなく「悲し野温泉」状態。それでも流石「美肌の湯」と呼ばれるだけあって泉質はヌルヌル感があって、如何にも肌がツルツルになりそう。女が喜ぶ「嬉野」とは良く言ったものです。

さて、盛りだくさんの日程をこなすため翌日は6時起床、入浴、7時朝食の後、8時に宿を発ち陶芸の町有田へ。ほんな早う開いたるんかい?と思いきや、香蘭社の本社は何と8時開店。まあ、他はみんな閉まってるんですけど。
香蘭社の外観
香蘭社の内部
すまん、商品の写真は無し。9時過ぎからは観光ボランティアガイドさんに案内をお願いして街を散策。この辺りは伝統的建造物群保存地区に指定されているそうで、それらしき建物が通りに点在しております。

表通りはかなり広いのですが、元々は参勤交代用の道だったものを後に昭和初期に軍用道路として拡張されたからだそうで、裏通りが商品の搬入路になっていたそうです。平日の朝早くということでほとんど通りは閑散としていますが、陶磁器の生産、販売でかつては殷賑を極めたであろうことが覗える街並みです。

400年もの長い間、陶石が削られ続け有田の街を支えてきた
泉山陶石場
の姿にも胸を打たれましたが、この有田の街で最も驚いたのは
何と言っても陶山神社
このように、階段を上りつめた拝殿手前の鳥居が陶器でできております。いや、そんなことより何より、
ちょっとこれ見て
神殿に向かう階段とその参道の中間に踏切があり、線路が走っているではありませんか。
踏切を渡って参拝

滞在中にちょうど電車が来て、すわ写真!と思ったところ、あっという間に過ぎ去る2両客車。何でも、地元の反対で境内に線路を通さざるを得ない結果になったんだとか。

訪れた人たちは陶山神社という名前は忘れても、「あ~ん、あの踏切神社ね」と思い出すこと必至。日本珍風景の一つだとか。

唐津くんち

テーマ:旅日記
よく友達の家を「◯◯君ち」なんていう言い方をいたしますよね。そうそう、我々も佐賀へ行ったからは、ユネスコの無形文化遺産登録を待つ山・鉾・屋台連合会仲間である「唐津くんち」へ行かないわけには参りません。

もっとも、「くんち」というのは祭礼の名前でして、供日、あるいは祭礼日の9日(くにち)から来たとも言われているようです。元々は唐津神社の本殿祭である10月29日に行われていたようですが、観光的・人的理由からかくんち行事は昭和43年に現行の11月2,3,4日に変更になったようです。
まず訪れたのは曳山展示場
長浜の曳山博物館のようなものですが、唐津市民会館と隣接し唐津神社は目の前に。長浜と異なり、14基の曳山が修理中のものは除き全て収納されています。当展示場は唐津城、そして後述の西の館とともに運営者は唐津文化事業団とのこと。
建物の裏側の曳山搬入扉
一番目立つ5番山「鯛」
大型獅子舞のイメージ
館内のテレビでおくんちの様子が映しだされていましたが、だんじりや山笠のように曳き廻しがメインで、特に西の浜お旅所での砂地での曳込み、曳出しが最大の見せ場。

さて長浜の曳山博物館N館長のご手配で、唐津神社の宮司さんと曳山取締会の役員さんにもお時間を割いていただき、修理中の山車を見せてもらったり、神社の社務所で色々な話を聞かせてもらうこともできました。
修理ドックのある西の館
修理ドック内は撮影禁止でしたので写真はありませんが、6番山の「鳳凰丸」(大石町)が修理中。ちなみに唐津は作成順に1番山、2番山という順番がつけられており、最古の1番山は文政2年(1819)建造の「赤獅子」(刀町)。

30年という短い周期で各山順番に漆、彫金の塗替が行われ、費用負担は国が1/2、県が1/4、市と地元が1/8。地元に塗箔師や彫金業者は居られず、全国的な仏壇屋さんの関連会社である「はせがわ美術工芸」さんが一手に修復を手がけておられるようです。

祭は曳山取締会という長浜で言う総当番のような組織によって運営され、そのトップの総取締は各町の取締の推薦によって選ばれるのですが、長浜の総当番委員長のように毎年変わるのではなく、一期4年の任期で、中には8年、12年と務められる方もいらっしゃるそうです。

材木町、本町、魚屋町など町名が現在も行政上のそれとしても使われている山組組織。元々は消防団組織だったため火消装束が正装。曳き手や女子の参加の可否などの決まり事は町によって若干異なり、一番人口の少ない呉服町は町内(出身者も含む)以外の人間が山を曳くことは許されないそうです。
獅子型4基、兜型4基、その他6基
wikipediaによれば、地元の子どもたちは「10人のインディアン」の曲の替え歌で「赤獅子青獅子浦島太郎、義経鯛山鳳凰丸(この歌ではほうまる、と発音する)飛龍、金獅子武田上杉頼光、珠取鯱七宝丸」と歌いながら曳山の順番を覚えるそうな。

唐津神社宮司さんのお話によれば、坂井唐津市長も山組で新町(飛龍)の方だとか。いやいや、もっと驚いたことに古川佐賀県知事までもが山組、それも最も厳格な呉服町出身だそうで、知事さんでも特別扱いは受けず「祭の時だけ来てなんばしとっちょ」とか怒られるそうです。家も「古川くんち」呼ばわりなんでしょうな。





玄海だな

テーマ:旅日記
6/17の早朝6時汽車で長浜を出発した長浜専門店会の総勢8名。新幹線で博多に到着後レンタカーでいきなり昼食会場へ向かいます。当初、呼子のイカをという話も出ましたが、漁船で迎えに来てくれる漁師料理の店があることがわかり俄然盛り上がり、数カ月前に予約。

佐賀県玄海町の仮屋漁港に到着すると
お~、この船だ、この船だ
さあ、乗り込むぞ

漁船の運転手はちょっぴり笹野高史さん似のおじさんで、実はこの方が店の経営者であり料理人。船は半島の先端に建つお店に向かって湾内を10分ほどかけて走っていきます。

降船後歩いて丘の上のお店へ
店は民宿風の建物
ご自分で建てられたそうで、電柱も当家専用で隣家は4km先。けもの道を伝っていけば来られなくはないものの、船で移動した方が安全で早いという。店の名は「魚山人(ぎょさんじん)」。1日に昼夜一組づつしか受け入れない完全予約制。

海の隠れ家的な雰囲気に惹かれてか、かのカルロス・ゴーンや料理の鉄人坂井シェフなど多くの有名人がお忍びで訪れる、知る人ぞ知る有名店らしい。

さあまずはお刺身から
採れたてのヒラメ、鯛、かわはぎ。「但しわさびは使いませんよぉ。醤油に自家製のゆずこしょうで食べていただきます。」と。見慣れた緑色のそれではなく、赤唐辛子を使った瓶入りの赤いゆず胡椒が配られます。蓋には「うに」と書かれています。

半信半疑で醤油に溶かして食してみましたが、これが合う合う。甘い九州の醤油にはこちらの方が相性がいいのかもしれません。さらに刺身のつまは大根でなくオニオンスライス。こちらはポン酢でいただきます。

この後、とにかく次から次へと料理が出て参ります。漁師料理ですからもちろん魚介類なのですが、豪快というよりも随所にご主人のセンスと繊細さがにじみ出た料理です。
蒸し鮑にぐじのすり身揚げ
鯛の塩焼きにガラカブの煮付
とげつきのウニ(中身少なし)

この他、写真を撮り忘れましたけど、ひじきのキッシュ、もずく酢、サザエの壺焼、ヒラメの皮の唐揚げ、お吸い物、茶碗蒸し等々、新鮮で美味しい料理が食べきれないくらい次々と出てきて、
締めは赤米のお寿司

フルーツやデザートも出てきましたけど、これでしめて5000円。お腹はまさに「げんかいだな」でございました。

お客様と大あんまき

テーマ:旅日記
知立で泊まったホテルのバスルームで座って用を足していた時に目に入った注意書

「お部屋のタオルのお持ち帰りはご遠慮頂きますようお願い致します」とある。なるほど、ホテルのタオルってちょっと厚手で高級感ありますもんね。わざわざ但し書きするほどだから、持って帰る人結構いるんでしょうね。

さて、この注意書をよく見ると、日本語以外でも英語と中国語で書かれております。日本語では「お客様へ」と簡単に呼びかけていますが、英語だと「TO OUR VALUED HOTEL GUESTS」と何だか仰々しい。

VALUED、つまり「大切な」お客と言っておきながら、その口で「タオルを持って帰るな」と。わざとこう書くことによって、「あなたはそんなゲスなことをすようなゲスト(下衆人)じゃないですよね」と釘を刺しているような。

その下には中国語で「尊敬的客人」とあります。「客人」は「客戸」とも言ったりするようですけど、いずれにせよ「尊敬的」とつけるんですね。これも、タオルを持ち帰るような客は尊敬できんやろ、と言いたくなるんですが。

こうしてみると、日本語というのはよくできていますね。「客」に「お」と「様」をつけるだけで、適度な敬意を表す言葉になっちゃうんですからね。

さて、知立名物といえば銘菓「大あんまき」


疲れが吹っ飛ぶ味だとか。マッサージチェアか!

知立と池鯉鮒

テーマ:旅日記
さて今回山鉾屋台保存連合会の総会が開催された知立(ちりゅう)。かつては「池鯉鮒」という字を書いたんだという説明が何度かございました。
ハッピもこの通り「池鯉鮒」
何でこんな素敵な字を捨てて、知立なんていうありふれた字にしちゃったんでしょうね。そう思いながら、翌日はバスで移動して「かきつばた園」を散策。

平安時代のプレイボーイ在原業平が、この地で咲き誇る杜若を見て都に残した妻を思い、「かきつばた」の五文字を句頭に置いて「唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う」という句を読んだそうな。

杜若と菖蒲の違いは植物の専門家に任せるとして、私としては知立の地名の謎が心残り。バスの出発までまだ時間があるので、観光ボランティアガイドの方に声を掛けて、「何で池鯉鮒から知立に変えちゃったんですか?」と聞いてみる。

すると、「あのねぇ、知立に変えたんじゃなくって、元々が知立なのよ。だって知立神社は『知立』って字でしょ」と。これには曳山博物館のN館長さんも「そうかぁ、確かに知立神社がこの字なら、そっちの方が古いはずだわねぇ」

知立神社のご利益は「安産」「雨乞い」、そして「まむし除け」。その由来は、平安時代の慈覚大師円仁がまむしに噛まれて死にそうになったところ、知立神社にお参りしたら治ったということらしい。

で、知立に池鯉鮒の字を当てはめたのは江戸時代で、発案者は沢庵和尚だったそうです。「でも、池鯉鮒の方が絶対いいと思いませんか?」と尋ねてみると、女性のボランティアガイドさん、「何言ってんのよ、あんな画数の多い難しい字は御免だわよ。簡単な方がいいでしょ」

なるほど、なるほど。さらにアンパンマンの作者である故やなせたかしさんが「知立はとも(知)だち(立)」とおっしゃったとかで、最近はそれがキャッチフレーズになっているそうな。

しかし、ボランティアガイドさんたち皆さんお元気で知識豊富。入れ替わり立ち代わり5,6人のガイドさんが私たちの質問に応えていただき、時にN館長と歴史知識のキャッチボール。あっという間に待ち時間の30分が過ぎてしまいました。
ボランティアガイド正副会長のお二人
どうもありがとうございました。今回の一番の思い出となりました。
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