渡岸寺の観音さん

テーマ:まちづくり
一昨日、湖北の観音をテーマに滋賀県都市教育委員会連絡協議会の研修会が行われ、渡岸寺の国宝十一面観音収蔵庫では向源寺のご住職の解説を直接拝聴する機会に恵まれました。

私自身ずっと渡岸寺というお寺の観音さんだと思っていましたし、おそらくそのように誤解されている方がたくさんいらっしゃると思いますが、実際は向源寺さんというお寺の所有なんですよね。

高月支所から収蔵庫へ歩いて向かったのですが、途中に向源寺が現れました。あれ?確か国宝十一面観音がある所が向源寺ではなかったっけ?そこは収蔵庫から50mほど手前です。

謎が解けないままご住職の話が始まったのですが、最初に「向源寺は浄土真宗大谷派のお寺です」と仰ったのは意外でした。うちと一緒ですやん。元々は天台宗だったものが、真宗が湖北の地で普及していく流れの中でいつの間にか変わったんだそうです。

ちなみに「伊香郡誌」には、「同寺は延暦年中(782-806)に空海が創立、慈雲山光眼寺と称する真言宗寺院だったが、のち天台宗に改宗、向源寺と称した。慶長年中(1596-1615)教如に帰依し浄土真宗に改宗したという」と書かれているようです。

昔は神仏習合だったこともあり、神社が近接するお寺の中に観音堂が存することが結構ありますが、光源寺の場合十一面観音が国宝指定を受けた後、本堂を改修しここに十一面観音さんも安置したいという思いがあったそうです。

ところが浄土真宗では本堂には阿弥陀如来以外の仏を置くことは許されないんですね。飛地境内であればぎりぎり認めるとなったのですが、逆に本堂そのものをを観音堂から少し離れたところに移設したとのこと。それが、高月支所から歩いて来た途中にあった寺だったのです。

新しい収蔵庫が8年前に建てられ、現在では観音様を後方からも拝めるようになっていますが、収蔵庫新設を河合隼雄さん(当時文化庁長官)に直談判に行った時に出された条件が十一面観音の「東京の国立博物館への貸出」と「後ろからも見られるようにすること」だったそうです。

湖北の観音はお寺の所有物というよりも村落の住民が「守らせていただいている」と気持ちをもって大切にお守りしているところに特徴がある、と言われますが、だからこそ寺名ではなく「渡岸寺の観音さん」と地名で親しまれているのでしょうね。

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