浮木の亀

テーマ:曳山・歌舞伎
浄瑠璃を習っていますと、いろいろとわからない言葉や言い回しが出てまいります。今、テープを聞きながら自習しているのが「壺坂観音霊験記 山の段」。既に習った「沢市内の段」の続きで、夫婦が谷に落ちた後、観音様のご慈悲で盲目の沢市の目が開くというハッピーエンド。

なのですが、目が開いた後に観音様に感謝しながら「♪有りがたや、かたじけなや、これよりすぐにお礼参りは浮木(うきぎ)の亀、初めて拝む日の光は年立ち返る心地ぞや...」と歌うのですが、ここに出てくる「浮木の亀」の意味がわかりません。

しかし、そんなことを一々気にしていてはキリがありませんで、まず節を憶えるのが先決。てことで、わからないまま放ったらかしにしておいたのですが、先日毎日新聞の夕刊のコラムに「盲亀浮木(もうきふぼく)」という言葉が出てまいりました。

「競馬は『縁』である。縁があれば的中するし、縁がなければ損をする。海の底に目の見えない大海亀がいた。大海亀は100年に一度、海面に顔を出し、新鮮な空気を吸って、再び海底に潜る。

いま、広い海に一本の丸太が浮いている。見れば丸太の真ん中に小さな穴、100年に一度、大海亀が首を海上に出そうとした瞬間、丸太の穴に、ひょいと頭を入れてしまった。何億年に一度の出来事?奇跡のチャンスを仏教では『盲亀浮木(もうきふぼく)の縁』と言う(雑阿含経)」

と、競馬好きの編集子が書いており、彼は5レースの一着を全て当てる「WIN5」という難しい馬券に夢中だそうで自分も「盲亀浮木の縁」に与りたいというわけ。競馬はどうでも良かったんですが、ひょっとしてこれって先述の「浮木の亀」と関係有るのでは?

調べてみると案の定、「盲亀浮木」と「浮木の亀」は同義なんですね。つまり、観音様の力で谷底に落ちて命を落としたはずの身が助けられ、しかも盲目の目が治り日の光を拝むことが出来た沢市が、自分を奇跡のチャンスに巡り会えた盲亀に例えたというわけか。

そうそう、先日サッカーくじのビッグで10億円が9本も出たそうですね。まさに浮木の亀が9匹やん。9匹も出てきたら、せっかくの浮木も沈んでまうんとちゃうやろか。

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