大日本帝国の思い出

テーマ:よもやま話
30年近く前、東京でサラリーマンをしておりました頃、残業(これはほとんど無し)や飲み会で遅くなった時に、上司から「これを使って帰りなさい」とタクシー券を渡されたものでした。

今はどうか知りませんが、管理職になると「青券」と称されるタクシー券を何枚か支給され必要に応じて使うことができたのだと推察いたします。私はそのような特権をいただく前に退職いたしましたので定かなことは不明。

ただし、どのタクシーでも乗れたわけではなく、「大日本帝国しかダメだよ」と言われます。大日本帝国ぅ~?何じゃそりゃ?と最初は思ったのですが、それはいわゆる大手4社と呼ばれる
大和日本交通
帝都国際
というタクシー会社の総称だということがわかりました。これらの4社のタクシーは車両の柄が共通で、頭に上のような行灯型のマークをつけておりまして、黄緑色に輝いているのが特徴でした。

当時は単なる偶然で「大日本帝国」と通称されているのかと思っていましたが、どうも違うことが10/26(土)の日経新聞の記事でわかりました。同紙が業界関係者で「大日本帝国」と呼ばれる理由を取材したところ、次のような秘話が隠されていることがわかったというのです。

日本で初めて法人タクシーが走ったのは1912(大正元)年だったが、その後地方からの流入者が増えて台数が急増。1944(昭和19)年、太平洋戦争の戦況悪化を受けて都内のハイヤー・タクシー会社の代表を集めて4社への集約を命令。

この結果、大手4社体制が生まれ、戦争末期には重要産業、軍などに充填配備され、何と救急車の役割も果たしたそうです。つまり、この4社の名称も偶然というより、意図的に「大日本帝国」を配置した名前だった可能性が大きいんでしょうね。

そうそう、そう言えば石油産業の自由化で業況が悪くなるにつれて、支給される青券がいつの間にか「白券」に変わり、使用できるタクシーも「かたつむり」マークの個人タクシーに変わってしまった記憶があるんですけど、何だか戦争に負けた感じでしたわ。

おかげさまで今は職住共通で、盛り場からは歩いて帰れる距離に暮らしておりますので、タクシーとはほとんど無縁の生活をしておる私でございます。

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